ここから本文です
猫次郎のなんたらかんたら書き放題
お山の上から鴨を食うノマドライフは極楽ね

書庫日記

記事検索
検索
イメージ 1

 社長の息子はボンボンだから、一般的におっとりして欲が無いのは本当だと思うが、例外はいて僕の息子も娘も「金!金!」と結構アグリーだ。娘の亭主も社長の息子だがおっとりしていて安リーマンをしているが、家事とか子育てとかは完璧で頭が下がる。(僕は30歳ぐらいから3つほど小さな会社をいろいろとやっていた。飽きると潰すか売ってまた別のをやるの繰り返しだ。多くが節税対策で消費税は設立後3年間は有限会社にはかならないという法規に着目して回転させていたのね。)イクメンと呼ぶらしいが、同じ保育園の母親たちに絶賛されているらしい。3人子供を抱えていても上手にいなしているから確かにスゲーなと思う。僕など3時間も一緒にいるとクタクタになるほど幼児はパワフルでワガママだから「孫が可愛い」なんてちっとも感じない。
 毎年、娘の家族は夏になると4泊して富士ロックというロックフェスティバルに全員で出かけるのが楽しみらしく、皆勤賞で必ず行くのが決まりなのだそうだ。今年もメールで写真が来たが、3年前ぐらいからキャンプに凝っているらしく、朝霧高原なんて常宿らしい。だからベラヴィスタは売らずにアタシ二クレというがヤラナイ。贅沢は自分の力でするものだからだ。欲しけりゃ売ってやる(定価でね。)20歳過ぎたら親を当てにするな!
 僕の友人たちは、子供のいない夫婦もかなりいるから子育ての苦労というのをしていない。いろいろ事情があるにしても、子供がいると家族の問題は複雑化するから子供たちは自己と他者とその中間との関係性に関しての微妙な距離感という政治問題に幼い頃から毎日晒されるという生活習慣が身に付くから、その後社会に出て、自分以外の全てが他者という環境の中での都合の良い泳ぎ方というのを嫌でも覚える。子供が多い家族に育った子供ちは、一人っ子のように大事にされないというメリットがある。自分がいかに親の愛を独占するのかを生活の中で実現しようとするのだから、ボヤボヤしている暇がないのだ。兄弟の不合理な偶然の順位と政治性を役割として受け入れあるいは逆転するという子供達の闘争が彼らの資質を作る。女系家族の男が鍛えられるのは、「女の恐さ」を幼児体験で嫌というほど知るという点なんだろうと思う。だから幻想がない分、現実との折り合いを学ぶ。徹底したマテリアリスト(物質主義者)にならないとたくさんの価値観の異なる女の中では実際には生存していけないのだから、お金は記号という単純な定式がストンと小さな頃から身に付いて、国家教育の底の浅い馬鹿らしさを自然に見抜いている。だから簡単には犬にならない癖がつくんだろうと思う。自分は犬にならないでどうやって犬を使うのかという発想になるのだろうと思う。猫を観察していると運動能力に長けていると思うが、実に素晴らしいのはその脱力のポイントだろう。力を抜くという力点の移動のポイントがしなやかだから、フワフワとそこに黙って体制に寄生するずる賢さを持っている。だからペットを飼うというのはきっと良い教示教育なのだろうと思われる。
 全ての生物の♂の役割とは「自己の遺伝子をいかにたくさん残すか」という命題なのだから人間も例外であるはずがないのだが、日本では本能が壊れた♂が激増しているのだから、競争はドンドンラクチンになってきたのだろう。金=餌が同義語の資本制社会では、その量的速度(量とその回転率と加速度)を支配するものがルールそのものを変えられる。バタイユの言う所の本能の持つ「呪われた部分」ということなのだが、そんな事は初等教育では教えないし、大学でも教えるような所はまずほとんどないだろう。犬になる方法ばかりを教えるのだから何をか言わんやである。

 さて利潤率と利子率の乖離が甚だしい。指数が2倍以上に上がっても乖離の状態に大きな変化は生まれていない。
預金利子率が0.1なのに利潤率は2.5だ。25倍という金利裁定不能がずっと続いたままだ。この金利裁定機能の回復が日銀の目的であるとすれば、答えは明白で金利の上昇とインフレの到来(つまり資産価格の劇的上昇)以外に解はない。それが間もなく起きるだろうというのが唯一の僕の予測である。それを猫のように脱力して待つだけの事。仕事というのが仮に金儲けだとするのなら、「寝ていることがお仕事」なのである。たまにストレッチで操作もするけれど、それは飽きるからしかたなくしている事であるから誤解の無いようにして欲しい。
 「何もしないでヒラヒラ遊んでいる人が、身体を壊すほど働いている人より裕福なのは何故だろう?」そういう根本的矛盾の解を解けるには、労働教育では無理だねと僕は思う。自分で視野を広げる以外に方法はないのだろう。

もはやこれまで?

イメージ 1

   先進国はどこも人口構成が高齢化し、子供の数が減少するという一般的な傾向がある。例外はアメリカとフランスで、アメリカは移民の増加でこれを解消し、フランスはリベラルな家族制度と政府の厚い支援で出生率が2を超えている。こうした傾向が定着したのは20世紀の後半からであり、それは資本主義の円熟と変質が強く影響しているのではないかと別にエビデンスがあるわけでもないのに強い確信が僕にはある。
もうそろそろ何かの事件をきっかけに資本制社会はお陀仏になるのかもしれないとも思う。共産主義が死んだように次は資本主義社会そのものが死滅する可能性も高いかな。トポロジーとしてのフロンティアの喪失。もう地球上のどこにも拡張の余地がないのは自明だから、、。
日本とドイツとイギリスは、人口減と子供の減少が激しいので、そのうち100年も待たずに国が残っているかどうかも怪しい。全員が金儲けばかりを追求しているうちに、そのうち誰も居なくなったというようなおバカな状態になっていても不思議は無いし、いくら金(記号)がたくさんあっても、それを使用する主体が消滅してしまうのなら悪い冗談と言うほか無いのだが、国政を司るこの国の与党はどうも真面目にそんな事をどう改善しようかなどどは考えない輩ばかりのようだ。子供は女性しか産めない(生殖医療が発展して試験管で子供が出来るようになるのかもしれないが)のだから、成人女性が最低3人子供が産めるような産業政策をすれば良いだけの事だろうし、そのために予算を使えばつまらない競技場を作るよりよほどマシなんだろうと思うが、そんな話はとんと聞かない。
3人目を産んだ女性には子供一人当たり3000万ぐらい成人するまで毎年分割して国が贈与するとか、子供を産むのにメリットがあればもっと結婚してエッチに励む人も増えるんだろうと思う。その分の資金は老人福祉や医療を大幅に削って、年金は1/5ぐらいに減らすと、貧乏な老人は全員生存が苦しくなるから今より数年は多分早死にするだろう。死にたくない人ならマジに働くようにきっとなるんだろうし、寿命が80歳から70歳に下がっても別段国全体が困ることもないのだから、割り切って一度30年間がぐらいの時限立法でしてみたら良いと思う。公的なコストをかけるのなら未来のある人に重点配分するのが英知というものだろうという常識ぐらいは誰にもあるだろう、どうしようもないお荷物の老人は誰でも安楽死が出来るような法的処置が出来るようにしてみるのも良いかもしれない。注射1本で安楽死なら案外あっさりもういいかと思う年寄りだって結構いるんじゃないか?と思う。
 人口減少社会、成長しない縮小する需要社会という定常社会の発生は1996年ぐらいから始まった。人口がピークを迎え、賃金が減少し、総需要がマイナスになる世界で、一時的な現象ではなく、それがずっと続くのが当たり前の社会という事だ。それは成長する社会と常識が逆転する社会という部分がたくさんあるはずだが、誰もそんな事は言わないし、気がつかないフリをしてなんとか毎日をやり過ごしているように僕には見える。それを緩和する方法は一つしかない。需要が数量×単価であるとすれば、減少する数量を補う単価の上昇以外に総需要をキープする方法は無いのは自明である。だから全員が高くて贅沢なものを使用するというのが合理性からは正解だが、社会の大部分は逆の方向に常に動いてきた。賃金が下がるのは贅沢不足が理由だが、下がる賃金では高い贅沢なものは買えないから生活水準は下がり続ける。一方ゆとりのある人は贅沢消費が出来るので水準は上がる。この下がる人(9割ぐらい)と上がる人(1割ぐらい)の混合社会が、貧富の格差の拡大であり、現実の先進国の今日という景色なのだろうと思う。

 定常社会ではパイが減るのだから、その減少するパイの分捕り合いが熾烈になる。ボヤボヤしていると
パイにありつけないから餌の取り方にも工夫が必要で、その工夫とは「殺られる前に殺れ」以外にない。動物と同じ、食物連鎖のヒエラルキー社会。誰も(家族以外には)守ってはくれない畜生の社会であると言える。もっとも最近は尊属殺人が頻発している現状を鑑みても、弱い家族では既に共食いの殺し合いが起きてもいるのだろう。資本制社会が発達して生み出した社会とはこのような鬼畜社会であったという事だ。いくら共生という美しいお題目を左翼が唱えても、おそらく全体がその方向に進むのは困難だろう。
群れの中にいれば安全安心の社会という幻想の中で、使い殺されるリーマンも激増中という事なのだろう。解決法は単純で、群れを捨てて自分の力で餌が豊富にある場所を探して静かに黙ってそこで暮らすというのが一番固い方法だろう。それを見つけて実行出来た人が1割の人、出来なかった人が自動的に残りの9割になるんだろうと思う。

不良の悪趣味


イメージ 1

  「社会(あるいは集団の)正義よりも常に個人の快楽を徹底して優先する」という生き方を、きっと世間では「不良」というんだろうと思う。高校生が授業をさぼって体育館の裏でタバコを吸うというようなカワイイものから始まって、省エネが叫ばれている中でひどく燃費の悪い大きな外国車を乗るというような他愛ないこと、果てはマルキドサドの「悪徳の栄え」のジュリエットのように快楽のために他人の命まで無限に奪うような極端なものまで、種類は様々であると思う。
快楽優先主義は日本ではあまり人気がないが、きっとそれは日本が資源が乏しくて貧しい時代がずっと昔から続いてきたという歴史風土に由来する部分が大きいのだろうと思う。狭い国土に過密な人口となれば、物が不足するのが常態であるのが当然で、思想や行動規範が集団全体を中心に措定されるのは自然だから一部の特権階級だけが例外的に富や自由を享受してきたのが歴史の教えるところである。一方で大陸では(中国、アジア、西欧、アメリカ)、広大な国土があるせいで物資が豊富に存在するかあるいは大量に移動が可能だったために物事のスケール(尺度)が島国と比較してずいぶんとダイナミックになるのが自然だったのだろう。快楽とか悦楽とかの行動規範が実におおらかな気がする。もっとも源氏物語や浮世絵を見れば、こと恋愛や性に関しては昔の日本人だって結構過激な快楽主義を打ち出していた時代もあったようだ。
21世紀になって、国境を超えて人、物、金が自由に移動するようになると、狭い国土の特性に縛られないもっと相対的な自由度があるスケールの人が当たり前に生まれるようになってきたのだろう。ノマドライフというのはそういう固定した場所や価値に固着しない生き方のスタイルなのだろうし、自由であるというのは場所と時間という次元と意思とお金と行動という次元においてフリーハンドを持った快適な暮らしのスタイルを指して僕は使っているつもりだ。リベラルということはイデオローグ一般を排除する。(爆)だからネトウヨのカスが結構たまってやってもくるが、それは反語的に考えればテキストが効果的であるという意味でもあるんだろう。「お山の上から鴨を食う、ノマドライフは最高ね」というサブコビーの猫次郎の暮らしは、住所が結構ころころ変わって(不定というほどではないにしろ、メルセデスやジャガーでヒラヒラ猫と一緒に移動する)無職(相場師は税務署の職業区分では無職である。)は縛りがなくてお得ですというスタイルの事だ。所得があって無職ってどういう事だろう?泥棒と一緒という認識かね?だから、確かに怪しい!!だがこういう怪しい人がもう少し増えたほうが良いんじゃないの?と感じて相場塾なんてものも以前はやってみたりもしたが、なかなか同類項が増えないという事実がある。全部僕の知っていることを教えているのだが、同じような人が増えないのである。ニーズが無いのか?やる気がないのか?それとも困難な事なのかなった当人には理由がよくわからない。教師のお仕事というのは、コンテンツを詳しく教える事だとは僕は思わないが、クドいぐらい教えても出来るようにならないのは、きっと彼らの学ぼうという姿勢を起動する何かが伝える僕のほうで不足しているのかもしれないと感じるようにもなった。反復と差異?(爆)知能と行為?

日本人の典型的なロールモデルのようなものもだから変化を始めているようだ。社会とは家族の拡大判だから、家族が変わると社会はその影響を強く受けて変わる。夫婦子供二人という『標準世帯』という戦後のモデルが崩れて、「単身世帯」がどんどん増えているから、社会も繋がりが小さく薄くなって、個人が原子のように単体で存在するような、流動性の高い社会に変わりつつあるのだろうと思う。個体の感覚的、本能的強度と加速度が優れていること。多分、生き残りの鍵はそれだろう。ボードリヤールの言う「悪の知性」とも言えるかな?
 仮に個人の仕事がその個人の社会における役割であるとすれば、それは自分だけのためにあるのではなく、自分以外に人に何か役立つためにもきっとあるのだろうし、それによって分業が成立して物事がスムーズに回転していくことになるのだろう。そこから生まれる便益を全員が何かしら享受しているのだろうし、個人で何から何まで全部賄うということは事実上不可能だろうと思う。
僕も若い人に期待している。JKの亜紀ちゃんはまだ高校3年生だというし、そういう僕の孫に近いような女子が時給1600円のルーチンワークを蹴って、自分のしたいことに自分の時間を有効に使うというようなスタイルは魅力的な事だ。そこには個人の希望がある。人生は自分の好きな事をするための時間でもあるのだから、生活コストをなんとかするだけが大事というような寂しい生き方は刹那すぎる。そういう大人たちの生き方を子供たちはもう真似ようとはしなくなってきたという意味では救いがあると思う。

それでも「詩ではおなかが一杯にはならない」というテキストが示す現実を真正面から受け止めている彼女は爺の真似事を無駄になるかもしれないが真似るという自己決定を自然に行った。多分、それを素質とか才能とか世間では呼ぶのだろうと思う。口の悪い爺ではあるが、還暦になった不良猫の餌の取り方が少しはJKの参考になるかもと思って、下手な連続譜を上げてみよう。
6310 井関農機の小枚数(最大7枚)の現物買いのみの半年分のリズムの譜だ。

11/10      246     -1
11/13      234     -1
11/18      238     -1
               226.5   -1
12/12      224     -3
2/17         241    3-
                241     -2
                243     1-
                233      1-
2/24        246       4- 
3/4          235      -1
3/23        246       1-
6/1          239       -1
6/17       227        -2
6/23        225.7    -2
6/24       236       2-
6/25       246       3-

15-15と○になって、また今日1枚買ってみたのは226だった。15枚でたったの160円ほどの利食いでしかないが、場帳とグラフの筆記時間は1銘柄なら1日20秒以下、150日でも40分もかからないだろう。時給で言うと20万ほどになろうか?
1600円では働く気がしないのは当然で、仮に亜紀ちゃんが同じ結果になるのなら、1600円のお仕事は人類の才能の無駄使いと断言できるだろう。ベトナムさんのように1を10にすれば160万の利食いになるのは当然である。すると途端に時給200万のJKが出来上がる。きっとAKBより稼ぐかな?(爆)こんな娘がいたらどんな顔を世の中のお父さんはするのだろうか?
「親の顔が見たい」というテキストは猫の老後の悪趣味一つでもある。快楽主義者で良かったと思うのは実はそんな時でもある。

    
イメージ 1

 相場や投資をする人は上手い下手という事を少しは真面目に考えたほうが良いんじゃない?とマジに思う。大きなお金に関係することだから(金額はどうあれ本気にやれば個人にとって多分切実な金額が関係すると思うから)失敗すると自分や家族の生活がメチャクチャになるのは必然である。毎年20万人以上が相場の失敗で家を売っているという統計が業界にあるらしい。交通事故死の20倍以上だ。だから日本中でどこにでも毎回暴落暴騰ごとに起きている現実だろうと思う。僕が以前に買った函南のリゾートマンションの前オーナーもFXの相場で大損をして証拠金不足で自分が住んでいる不動産を売り急いでいた。だから簡単に値引きに応じて投げたという事だったのだろう。眼の前にそんな人がゴロゴロいるのである。急いで投げさせられるから割安な不動産の出物が暴落の少し後になると相当数出回るというのは良く聞くお話である。彼の失ったお金は廻り回って僕の所に来てそのお金で僕は彼の不動産を買ったというだけの話である。自分の金で叩かれた人と人の金で叩く人、常に等価交換で成立する契約は2種類しかこの世にはないが、前者の比率は後者のおよそ50−100倍いるということなのだ。自分がどちらになるかは頭の善し悪しと腕ということになる。
つまり百万、千万、億単位の現金が不足してそれの辻褄合わせの売りである。N証券なんて系列の不動産会社はその担保物件の処理のために設立したんじゃないの?と穿った見方を僕はしているのだ。
 マグレでたまたま運良く相場に勝てることは無論誰にでも起きるが、継続して相場からお金を引き出すこと(相場は市場から現金を引き出すゲームであるから)は容易な事ではない。出来るなら誰もが安リーマンなんてしないだろうと思う。

 これは勝負事とかスポーツとかお勉強とか、ある一定の競争条件のルールがある世界の中で、母数の中で一部の優れた競技者がどれぐらいの割合で結果的に存在しているかという単純な数値である。プロでゴハンを食べるような上手な人と、楽しみで(損をしながら)それをする下手な人の割合だ。多分どんな業界だって同じような比率なのだろと思う。格別比率が高いなら参入する人が急増しないほうが不思議だろう?となんで考えないのだろう?それが個人でも法人でも簡単に大きな利益になるなら誰だって参入するから結果的には時間と共に利益率は落ちるのだ。

 例を出せば野球というスポーツを見ると、高校生は大体毎年150万人ぐらいいるはずだ。その中で野球をする男子の比率は5%と仮定すると男子75万人の5%なら37500となる。一方プロ野球の一軍登録選手は1チーム28人だから12チームで336人だ。するとマトモなギャラ(億レベルの年収の可能性のある選手)は336/37500以下になる。(だって登録選手は19歳から40歳位まで複数年度の組合せだからだ、、)因みに一軍登録の最低年棒は1500万らしい。それ以下は業界ではゴミという意味だろう。

336/37500だと0.896から0.0448%となって1000人に8人から0.4人ぐらいの数値になる。まあ実に狭き門だから、いわゆる天才的に上手だというのは多分間違いない。それぐらい特技を見せ物として金を取れるレベルというのは上手くないと無理だという事であり、素質は勿論としておそらく野球を小さい時に始めてその練習量と質たるや、それ以外の生活が無いほど真剣に充実したものなんだろうと思う。技芸というのはそもそもそういうものである。一部のエリート以外にはお金には無関係な世界であるから、普通の人はしないし、しようとも思わない。いくら自分がなりたくても最初の参入の関門が高いからそこでほぼ全員が弾き飛ばされてしまう。

 一方相場はどうだろう?こちらは金されあればどんな人でも参入できる。JKだってお金があれば可能だ。いやどんな人でも参入してくれないと困る。(爆) カモが多いほど楽に勝てるからだ。日本の労働者が6000万いるとして2割が入れば1200万人が参加者だ。資金が一人平均500万円なら60兆円の市場である。値が一定として(あるレンジの往来として)市場規模全体は変らないとして、プロの比率が野球と同じだと仮定すると0.8%から0.04%だから9600から480ぐらいになるんだろう。おそらく勝ち組の比率は毎年同じようなもので同じような顔ぶれだろう。プロ野球で新人の比率が一定以上にならないのと同様な事が相場の世界でもきっと起きていると思う。大半の人が数年の往来相場で大半の金を失って退場する中で最大で数千人ぐらいが継続的にウハウハな成果で笑っていると思われる。(実際の勝者は利益の大半を胴が取るので個人は多分480に近い人数だろうと思う。)
 ここにどう自分が割りこんでいくのか?というような発想を持って相場を始めるようなシビアな考えの投資家にお会いした事が僕はないのである。だから生徒の中で相場で喰えるようになる人が実に少ないという現実があるのだ。ホント1%もいないのは何故だろう。方法論と練習法を公開して、細かいアドバイスをしてもなかなか出来るようにならないのが大半(99%)である。単純な売りと買いと休みの組合せしか無い世界なのだが、その単純であるが故に難しいのだろうと思う。

 生徒に良く聞かれる事が未だにある。

月足グラフは何枚書いたら良いですか?(プロになれますかという意味だろう)
場帳は何枚書いたら良いですか?(値動きの受け止めがプロ的になりますか)
2分割は何回やれば出来るようになりますか?

以上のような愚問が出ている間は、質問者が相場を上達することは1ミリも恐らくないと断言出来る。それは野球好きの少年がプロ野球の選手に「キャッチボーツを何回やったらプロ野球選手になれましたか?」と聞いているに等しい愚問だからだ。
数え切れないぐらい彼はキャチボールをしただろう。覚えているはずもないだろう。やりすぎて肩を壊すなんてザラにあることだろうと思う。それでも結果としてプロになった人とそうでなかった大多数の人に結果的に別れたのだ。そこいらへんの加減が身体的にわかるようでないと残れない世界であるという事だけは多分誰にでもわかるだろう。
この分かるというのは論理的理解を指して言うのではない。そんなものは10分でアホでも理解できる単純さなのだ、分かるというのは体感的に出来るようになる事であって、それには長い時間と経験と練習と失敗が必要であるという当たり前の事実が必要になる。それを乗り越えた人が専業になるという事である。だからそういう事をしたくない人が相場をすると100%の確率で自分と家族が泣くという事が起きてしまうのだろうと思うのだ。だからかったるい事が嫌いな人は相場には近づかないほうが無難であると思う。

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3


 突っ込みを拾って2週ぐらいたって戻りを外す、あるいはコツンと来て上げ途上の押目を新安値2本目ぐらいから買い下がって2−3週たった戻りを新高値で売る。いわゆるクルクル売買、低速回転2、3分割クルクル売買で資金が回転すると馬鹿にならない金にはなると何度も僕は書いてる。これは買いの片張りの基礎の基礎で、売りも同様で弱い時は純空で入って戻りを売り増す。そして垂れたら手仕舞いだ。コツは一緒だがタイミングは売りの方が少し早い売買になることが多い。(もう100回以上は書いたね。)資金が少しあれば月に100とか200とか真面目にやれば1日2時間ぐらい場帳を書くだけでリーマンの安月給の数倍ぐらいは眼を瞑っていても楽勝で取れる。「アホでも利食い」という僕の言う状態の相場ツキで、材料とか指数とか思惑とか100%無関係である。値動きの周期のリズムやうねりに沿った売買をすれば良いだけの事である。波に乗るというのはそういう事だが、上手に出来るようになるにはかなりの時間がかかる。(普通10年ぐらい下手な人はかかるのね。それでも出来れば凄く稀に優秀なほうで大半というかほぼ全員がいくら練習しても多分出来ない。)ちゃんと道具を整備して練習を単純化して身体が反射的に動くようになるまで何100回も反復練習をする必要がある。上手くなるとそれこそほぼ100発100中に近い利食いになるのだが、下手だとトータルで損になる。この過程を通過出来るのかどうかが、生活としての相場への通過儀礼のようなもんだろうが、大体1%ぐらいしか通過しないのが統計値であり、ほとんどの人はダメである。針の穴に駱駝を通すとか言うこともあるが、出来る奴は出来るから、そういうのはセンスなのだろうと思う。運動脳の運動神経とか反射神経が有る無しという事だ。理屈は不要だというのはそういう事である。
それは下手な人が全員色々とアホな頭で考えて(思索、思考、推理、予想して)必ず下手を打つからであり、値動き以外は見てはいけないのがコツだ。と言っても材料を追いかけて、ああだこうだと予想するのは競馬と同じ楽しみだから自分で止める事が出来ないのだ。相場は博打ではない、お仕事であると考えるとやり方と取り方が劇的に変るという事であり、全く別の世界で生きているという事が起きるのだ。
 だって馬鹿でも取れるのに取れないという人がいるとすれば、出来る方から見ればそれはマジに玉操作が「ド下手」という他言いようが無いのだが、そんな人が99%以上いるんだから、内田さんの言う所の、貧富の差が激しくて1%の働かない金持ちと99%のいくら働いても貧乏な人という階層化はこの点でもきっと事実なんだろうと思う。自分が何になりたいかという事だが、何になるにしろいきなり難しい事を狙うと失敗が多いのが当然だから、
最初は立花さんのように銘柄を固定して2−3年はじっくりと基礎を固めることが入り口であると思う。後はやっているとその人なりのやり方に自然に変化していくものなのだ。
a
友だち
白猫次郎
白猫次郎
男性 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
友だち(16)
  • まっちゃん
  • ホウセン
  • 妻田北
  • ラブレス
  • kurisan
  • hir*5*321*7
友だち一覧
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

Yahoo!からのお知らせ

過去の記事一覧

開​設日​: ​20​13​/1​2/​21​(土​)

本文はここまでですこのページの先頭へ

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン

みんなの更新記事