社長の息子はボンボンだから、一般的におっとりして欲が無いのは本当だと思うが、例外はいて僕の息子も娘も「金!金!」と結構アグリーだ。娘の亭主も社長の息子だがおっとりしていて安リーマンをしているが、家事とか子育てとかは完璧で頭が下がる。(僕は30歳ぐらいから3つほど小さな会社をいろいろとやっていた。飽きると潰すか売ってまた別のをやるの繰り返しだ。多くが節税対策で消費税は設立後3年間は有限会社にはかならないという法規に着目して回転させていたのね。)イクメンと呼ぶらしいが、同じ保育園の母親たちに絶賛されているらしい。3人子供を抱えていても上手にいなしているから確かにスゲーなと思う。僕など3時間も一緒にいるとクタクタになるほど幼児はパワフルでワガママだから「孫が可愛い」なんてちっとも感じない。
毎年、娘の家族は夏になると4泊して富士ロックというロックフェスティバルに全員で出かけるのが楽しみらしく、皆勤賞で必ず行くのが決まりなのだそうだ。今年もメールで写真が来たが、3年前ぐらいからキャンプに凝っているらしく、朝霧高原なんて常宿らしい。だからベラヴィスタは売らずにアタシ二クレというがヤラナイ。贅沢は自分の力でするものだからだ。欲しけりゃ売ってやる(定価でね。)20歳過ぎたら親を当てにするな!
僕の友人たちは、子供のいない夫婦もかなりいるから子育ての苦労というのをしていない。いろいろ事情があるにしても、子供がいると家族の問題は複雑化するから子供たちは自己と他者とその中間との関係性に関しての微妙な距離感という政治問題に幼い頃から毎日晒されるという生活習慣が身に付くから、その後社会に出て、自分以外の全てが他者という環境の中での都合の良い泳ぎ方というのを嫌でも覚える。子供が多い家族に育った子供ちは、一人っ子のように大事にされないというメリットがある。自分がいかに親の愛を独占するのかを生活の中で実現しようとするのだから、ボヤボヤしている暇がないのだ。兄弟の不合理な偶然の順位と政治性を役割として受け入れあるいは逆転するという子供達の闘争が彼らの資質を作る。女系家族の男が鍛えられるのは、「女の恐さ」を幼児体験で嫌というほど知るという点なんだろうと思う。だから幻想がない分、現実との折り合いを学ぶ。徹底したマテリアリスト(物質主義者)にならないとたくさんの価値観の異なる女の中では実際には生存していけないのだから、お金は記号という単純な定式がストンと小さな頃から身に付いて、国家教育の底の浅い馬鹿らしさを自然に見抜いている。だから簡単には犬にならない癖がつくんだろうと思う。自分は犬にならないでどうやって犬を使うのかという発想になるのだろうと思う。猫を観察していると運動能力に長けていると思うが、実に素晴らしいのはその脱力のポイントだろう。力を抜くという力点の移動のポイントがしなやかだから、フワフワとそこに黙って体制に寄生するずる賢さを持っている。だからペットを飼うというのはきっと良い教示教育なのだろうと思われる。
全ての生物の♂の役割とは「自己の遺伝子をいかにたくさん残すか」という命題なのだから人間も例外であるはずがないのだが、日本では本能が壊れた♂が激増しているのだから、競争はドンドンラクチンになってきたのだろう。金=餌が同義語の資本制社会では、その量的速度(量とその回転率と加速度)を支配するものがルールそのものを変えられる。バタイユの言う所の本能の持つ「呪われた部分」ということなのだが、そんな事は初等教育では教えないし、大学でも教えるような所はまずほとんどないだろう。犬になる方法ばかりを教えるのだから何をか言わんやである。
さて利潤率と利子率の乖離が甚だしい。指数が2倍以上に上がっても乖離の状態に大きな変化は生まれていない。
預金利子率が0.1なのに利潤率は2.5だ。25倍という金利裁定不能がずっと続いたままだ。この金利裁定機能の回復が日銀の目的であるとすれば、答えは明白で金利の上昇とインフレの到来(つまり資産価格の劇的上昇)以外に解はない。それが間もなく起きるだろうというのが唯一の僕の予測である。それを猫のように脱力して待つだけの事。仕事というのが仮に金儲けだとするのなら、「寝ていることがお仕事」なのである。たまにストレッチで操作もするけれど、それは飽きるからしかたなくしている事であるから誤解の無いようにして欲しい。
「何もしないでヒラヒラ遊んでいる人が、身体を壊すほど働いている人より裕福なのは何故だろう?」そういう根本的矛盾の解を解けるには、労働教育では無理だねと僕は思う。自分で視野を広げる以外に方法はないのだろう。
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