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猫次郎のなんたらかんたら書き放題
お山の上から鴨を食うノマドライフは極楽ね

書庫日記

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箱根大湧谷が危ないという。水蒸気爆発の秒読みなんじゃないの?と僕自身は感じているが別段何が起きようと起きた時に対処する以外にない。できそうな事はしているから、あとは具体的に現在ここから「逃げる必要」があるのか、その手段があるのかだけの単純なお話である。
直線距離で多分20キロぐらい大湧谷まであるから、噴石が直撃で二つのフラットを襲うには、相当規模の大噴火が必要で、前回は600年ほど前にあったらしい。人生60年なら10人分の人生の時間ということで、それに見事に当たれば「まあしかたないね」と思う以外に無い。富士山でも箱根山でも活火山だから、一端大規模噴火(マグマ噴火)があれば、一義的に噴石、火砕流、溶岩流、その後の火山灰の被害と想定される大規模被害は、同時に起きる地震と津波を別にしても「極めて大規模」だろう。地元の神奈川、静岡、山梨も被害は大きいだろうが、恐らく風向きからすると横浜東京のほうがヤバイ可能性も高い。火山灰が広範囲に5センチも積もれば、交通の遮断と電気の供給はおそらく断たれるから「都市機能の麻痺」が起きる。水も電気も無いという「想定外の事態」に対処しているようには到底思えない。都市のパニックのほうが、田舎のパニックよりも数段深刻なのは言うまでもないから、地震や津波や噴火という直接的な災害よりも深刻だろう。逃げるなら東京方面ではなく、名古屋か大阪、京都だろうと思う。
 震災以降で、今回の箱根、去年の御岳山、現在蔵王とか桜島などは警戒レベルが2で同じような状態だろう。多分、風評被害で観光は今後はしばらくダメだろうと思う。わざわざ不幸を買いに行くような馬鹿は稀だろう。多分、日本に限らず太平洋プレートの先端は火山の活動期にきっと入ったということで、チリの大噴火とかニュージーランドやアジアの地震、津波も同じ原因で起きたのだろうから、日本だけが例外というのはまず可能性としては低い。世界の火山の4割がある日本という地形的な特徴が変ることはないから、チリやアジアで起きたことは当然日本でもそのうち起きるのだろうと思う。チリの場合は半径30キロ以内に避難命令が出たらしいから、ドンピシャ二つのフラットはその中に入るかギリかだろう。東名高速2本と246、1号、新幹線もドンピシャで入るから、日本が富士山付近で2分されるということが起きる可能性はあるだろう。あちらとこちら、河岸と彼岸ということだ。東西冷戦ではないが、静岡ー糸魚川断層ぐらいで東西に別れるのだから、この付近での断層からの地震もきっと起きるだろう。
 さて起きそうな事は予想できるが、いつどんな規模で起きるかは想定できない。起きて「ヤバイ感じ」がしたら「逃げる」努力はきっとするだろうが、果たして効果があるかどうかはわからない。だから普通の通りの生活をする以外に結局は具体的な結論は無い。
「やり残した事がないか?」という意味で、僕はグラフ更新が終わってからまた読書ばかりをしている。したがってブログの更新はマジにやっていない。一日に500−600ページを読んでいると他の事はほとんど出来ない。ゴハンを作って食べるのと風呂になるのと寝る以外はほとんど何もしていない。ただただ本を読む。外出も全くしていない。「ヒッキー100%」の状態である。動くのが面倒なのである。
読んだのは平野啓一郎「決壊」、森絵都「ラン」その他だ。 カズオイシグロの「失われし者」はまだ買っていないので早速買って読みたいなと思う。ティムオブライエンの「カチアートを探して」は再読だ。戦争について若いアメリカ人が体験から考えた事というのをまた読んでいる。ベトナムの最前線から一人の兵士が逃亡して徒歩でパリに向かう荒唐無稽なロード小説という事だが、「いかなる状況に置かれても、馬鹿げた事をする(個人の欲望)男の物語性」についての真面目な記述である。
憲法改正をして9条を弄ってなんとか戦争をして「殺されないという疾しさ」から逃れたいという屈折した心理の自民党議員でオブライエンを読んだような奴が一人でもいるのかね?(爆)

光る海

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「緩い生活」というのがある。何をするのでも、あまり急がないでゆっくりやる。食べるでも寝るでも歩くでも風呂に入るでもとにかく動作を意識して緩めて量は少なめに遅くする。より「早く、多く、綺麗に」という工業資本主義のドグマを離れて、より「鈍く、いいかげんに、テキトウに(あるいは一部はデタラメに)」物事を行うか行わないか、とにかく動作するということの効率性を一端は破棄してみる。
 多分多くの人は、実際の生活の中心は労働だろう。労働とはつまり平たく言えば「お金」をどう稼ぐのかという動作の質に関しての物事と言って良い。この時点で既に生活は労働という社会性に既に絡めとられていると言って良いが、自覚はないのが大半だろう。「そういうものだ、生きる事は」と納得して大衆社会は成立するのだから。ここで少し時間があってヘソが曲がっている猫は「果たしてそうだろうか?」としばし立ち止まって寝ながら考えてみても良いだろうと思う。大半の哲学者のしたお仕事とはそういうことを考えるという事だったはずである。マルクスもエンゲルスもニーチェもクロソウスキーもサルトルもみんなブルジョワの子弟だったのは偶然ではない。貧乏だと「考える暇」がそもそも無いのである。喰うのがやっとなのね、きっと。
 資本主義の(共産主義も分配以外は同様だが)教科書的な教えとは「合理的な行動」という事なのだろうし、「目的指向的なお仕事の完遂」に絞りこまれ、それが個人的であれ、集団的であれ、とにかく合理的(無理、ムラ、無駄無く)に立ち振る舞う事が暗黙の掟として社会の仕組みの大半が成立している。別段、これに大きな異論はないし、好きなら永遠にそういう事をしていても良いだろうとは思う。価値観の相対性を議論しても最初から噛み合いはしないのだ。ただし、労働の目的が主として「お金」のお話であるとすれば、それを獲得している人たちの生活が歴史的に実際にどうだったかは知る必要がある。階級が消滅したのはこの100年ほどの人間史から見て(インドはまだカーストがあるが)まだほんのわずかな時間でしかない。歴史のイベントで残る正史とは、後の権力が妥当と感じたものだけを残した物語であるはずだから、実際の歴史とは多くの(人口の恐らく99%以上の人々の)正史とは無関係の人たちの生活だったはずであると思う。大衆の無知性とは「何が描かれているかを知る事の不足ではなく、何が描かれていないかを想像する力の不足である」と僕は思う。(偉そうで御免ね。)
あまり権力とは無関係なその他大勢こそが記述されない歴史そのものだったはずであると思う。自分が歴史のイベントで残る正史とはほぼ無関係だと仮定すると、「そんなその他大勢が正史に登場するような人と同じ考えで何かをしなければならない義理は無い!」という当然の結論を若い頃から馴染んで来た僕にとれば、「忙しい生活」を真似る人が、「全員 馬鹿に見えて来た」という時期があった。それが大学時代の効用だったと思う。以来読書ばかりするようにもなったのだろう。仕事も嫌いだが遊びも同様に好きではない。わざわざするほどの楽しみが無いからである。寝ているほうがマシであると感じる。人は教育によって刷り込まれ、騙される単純な生き物であるなあと思うので、社会の大衆に対しての要請(つまり勤勉さや正義)とは、「早く、正しく、綺麗に」という工業資本主義のドグマであろうから、それをしない事こそ日常的、庶民的「革命行為」であると思われる。つまり寅さん的フーテン暮らしこそ、最も資本主義の敵にならざるを得ないだろう。何も生産しない、ただただ労働を愚弄して寄生する。この時期になると藤の花が咲くが、藤は大木に寄生してツルが伸びる植物だ。あのリゾーム、あの逃走線、あの平滑局面という事だ。
 エイトマンという漫画が昔あったと記憶している。主題歌は「光る海、光る大空、光る大地」だったように記憶している。正しい資本主義を鼓舞するそんな歌を覚えているけれども、僕の現在見ている「光る海」は、全く異なる光景だ。のんびりと光る海という事も事実このようにあるじゃないか?とフと思う。
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 なんとかグラフの更新を終えた。毎度の事ながら、老身に鞭打つとは大げさだが、1000枚仕上げると結構、肩、眼、背中は疲れてバリバリになる。これは近眼のせいもあるし、細かいグラフ用紙とPC画面の交替で視野が変るからであり、グラフが主に40−50年と長期なために全紙サイズを3枚繋げた巻物が実に重くて扱いにくせいでもある。まあ自分の決めごとだからゆっくりと実行する以外に手が無いから、疲れが大きく減ることも今後もないだろうと思う。
 1ヶ月で4日間ぐらい、1日10−12時間ぐらいのお仕事だが、している事そのものは結構楽しい。最中は「独り言の連続」で猫とかマダムはもう慣れっこらしいが、常にブツブツ何かウルサいぐらい喋っているらしいが記憶にはあまり無い。「ああ、煮詰まって来ているねえ、、吹くのもそう遠く無いかなあ?」とか「ヤッパお辞儀したよねえ、、まあ3−4ヶ月、半値押しで止まるかね?」とかそんな勝手な事をぶつぶつ言いながら多分書いているのだろうと思う。
早いもので、もう台風6号が発生しているし、箱根も噴火しそうな気配が出て来たし、6月初旬にはお引っ越しの予定で、アート引っ越しセンターが見積もりに来たし、マダムがタケノコゴハンを炊いてくれたし、時間が過ぎるのはあっという間で、もう来月には還暦であるから、立派(別に偉いという意味じゃないよ、、)な爺の仲間入りである。「お年寄り」「ご老人」の部類に突入するとそのうち年金が貰えたり、電車に乗るとシルバーシートに座れるという事なんだろう。古い友人からお手紙を頂戴したのだが、僕の言説は全て「規格外」なんだそうだ。まあ言ってみれば「フーテンの寅さん」と似たようなもので、社会との折り合いが悪くて組織や社会に馴染めない「規格外」品であるから、部品的な生き方が出来ない外様であるという事だろう。社会に適合できないし、無論したくも無いのだからリーマンなんてやれば即座に病気になるんだろう。縛られるのが大嫌いで、自分の好きな事しかしない。働くのが死ぬほど大嫌いだから、「全ての労働倫理を愚弄する」ことをエクリチュールの標的にするという変な男だ。だから真似なんてするととんでもない事になることは最初から分かり切っているが、そのくせそんな生き方が良いなあと憧れる人が周囲には事実たくさんいるのである。「出来るならオメーもやれば?」と思うがまず多くの人は不可能だろうと思う。そもそも自分以外にロールモデルを見つけてそれを真似るというようなタイプの人間は、ロールモデルそのものになる事は決して無いからであるという歴史的事実。たまたま生き残った人が結果的に「わかりやすいロールモデル」になっただけという歴史的事実がそこにはあるだけだと僕は思う。ロールモデルになった人は他の事なんて全て最初から視野の外なのである。
 今日はマダムが帰京された。今回は連休で8日ほどの長期滞在をされて、美味しいゴハンをたくさんごちそうになった。タケノコゴハンとか豚汁と胡麻和えとかそういうなんということのない和食の家庭料理がミシュランより嬉しい。男は肉じゃかで簡単に転がるのである。深く感謝したい。さて今日からまた「お一人様の老後」再開である。今晩は、記念に手作り餃子を作ってみた。このレシピはさるガールフレンドから頂戴した「絶品おかず365」というdancyuの本で作っている。もう何度も何度も作ったから、本の厚みが2倍ぐらいに膨らんだ。

寝子のアルカリライフ

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 周囲でゴルフをする人は現在も多い。成人男子の趣味といえば人口順なら1がゴルフで2が釣りというのが定番らしい。たしかにゴルフと釣りは道具にしても設備にしてもそれなりの大きな市場規模があるんだろう。どんな郊外に行っても、ゴルフ用品店とか釣具屋は複数ある。両方とも僕はしないので楽しさは理解できないが、まあ多くの人がするのだから、きっと酒を飲んだりごちそうを食べたりする程度の快感はきっとあるんだろうと思う。両方ともプロという人も多くいる世界だから上手い下手の差がすごく出るモノなんだろうと思う。ゴルフはゴルフ場の会員権を買って行くのだろうし、クラブメンバーになるかビジターで誰かと一緒について行くのが使い方としては普通なのだろう。この付近でもゴルフ場はくさるほどあるし、東京ナンバーのでかいメルセデスやBMWがいるのは必ずゴルフ場の近辺である。釣り具屋の駐車場ににそんな車は止まっていないからゴルフは小金持ちの趣味なのだろうと思う。景気が悪くなると企業接待が減るから、最近はどんな所でも誰でも行けるようになったのかもしれないが、バブルの頃はゴルフ会員権が何千万もしていたのが珍しくなかったようで、友人の社長連中も億円ぐらいトータルで何カ所か持っていた人は珍しくなかった。それが7000万で買ったものが200万に下がったとか、中には2000万のものが倒産してゼロになったという話を良くその後に聞いた。こちらは何も知らないので「ああ相場ものはそんなもんでしょ?」と思うが、会社の法人経費で落とすからそれでも何とかなるのだろうが、これが個人の借入で買ったような人はたまらんだろうなあと思う。大して使いもしないものに大金をつぎ込むぐらいなら毎日の生活を豪華にしたほうが利口な金の使い道だろうと思うのは僕がおばさん体質とおばさん発想のせいかしら?とも思う。洒落た趣味なんて無いのだがあえて人様の50倍ぐらいすることと言えば読書とアルカリ好きという事だ。

 今度の新居は温泉権付き販売という付帯条件がついている。使用するしないに関わらず、必ず温泉権を買わないと居住も使用もできない条件だから自動的に桃山水道温泉(株)という会社から一口80万円の温泉引湯権というのを買ってお金を払う。僕のケースはラッキーに売り主負担だったからタダでこの権利がついて来た。権利証が出て、売買の名義変更に必ずそれごとに80万円がかかるらしい。熱海の鉢アラクではここ以外の温泉引湯は出来ないから実際上は独占ということなんだろう。ゴルフ会員権より随分と安いなあと思うが、毎日使うのだから10年なら年に8万、月なら7000円だから電話と同じぐらいだ。これもゴルフと同じで会員以外はサービスを受けられないということで、共同浴場はこの付近にはないし、あとは旅館やホテルに泊まる以外に無いということになる。別荘地でもそうだが、やはり個別の住居に温泉を引くには権利の売買が必要で、10年ごとに更新が必要で(ダイヤランドは10年ごとに120万だったと思う、引く人と引かない人の割合は3対1ぐらいらしい。年に数回しか使用しないなら無くても良いし、10−20キロ走ればどこでも日帰りの温泉施設はあるからお金のあまりない人は引かないのだろうが、定住するのなら引く方が楽で良いと思う。)はやりお金は少しかかる。毎月1万円ぐらいの温泉使用料金が別途必要で自動引き落としになっている。熱海の新居はナトリウムカルシウム単純アルカリ泉で少し味は苦くて塩っぱい。源泉温度は65度だが配湯の時に温度が下がるから自宅で再加熱が必要で大型のガス専用湯沸かし器を通して行う。だから新居は真水用と温泉用の大型湯沸かし器が二つついている。他に200ボルトの電源がエアコン専用に必要で設備的には家庭用としては大がかりなモノだ。維持管理コストをあまりせこく考えるような人は最初から住めないからお会いした数人の住民はおっとりしたお年寄りが実際には多いようだ。まあそれのほうが安全である。金持ち喧嘩せずでコストで排除するという資本の論理ということで排除する側とされる側という線引きが安全の担保と常になる物騒な現代社会の現実だという事だろう。「安全にコストがかかる。」というグローバリズムの特性が日本でもすでに常識的になってきたのかな?集団とは何でもそうだが頭から1−2割で切ればそれなりに質の高い秩序以外は淘汰されやすい。均質が好きだった日本人はコストをそんな面から見ている人が少ないせいだろうと思う。安全と水がタダの国。先日お隣の湯河原で有名映画監督の家のそばで放火して頭に刃物が突き刺さった老人の遺体が発見されて騒然となったようだが、マンションはその点建物自体に入るのに鍵がいるから安全性は高い。入り口から自分の部屋までエレベーターを2機乗り換えないとたどり着かないから自分でも最初は迷ったほどで、知らない人が鍵無しで辿りつけるとは到底思えないから.いきなり頭に刃物は多分無いだろう。(爆)

 つい先週もチリで火山が大噴火して周囲20キロ以内の立ち退き命令が出たようだし、国内でも桜島の火山活動が活発化しているようだ。日本は火山帯が隆起して出来た島だから火山と地面はつき物であり、いつ富士山や箱根が爆発しても不思議は無い。すると日本中で大問題が起きるのは福島原発以上に確実でそれが嫌なら外国に逃げる以外に手は無いが、そんな気分に僕はならない。火山があるから温泉もあるので、物事の好悪両面はコインの表裏と同じ事だ。だから悪い眼が出た時は仕方が無いと諦めるが、良い眼の時こそ存分に使ったほうがお得であるのだから、温泉地に住むという選択をしてみた。
 鉱水というのは僕には相性が良い。PH8−9くらいのアルカリの軟水(硬度55ミリグラム/L程度)がぴったりで、味は甘くまろやかで和食に合う水だ。料理の質は最後は水が大きいが、この水を使用すると煮物は丸く柔らかな味わいになる。老舗の有名料理店は水を大事にするから、絶対にチェーン化することが本来は出来無いはずなのだが、それを知らない人も多いのは驚く。普段は岐阜県岐阜市で取れたキリンのアルカリイオン水を飲んでいるのだが、いろいろなミネラル水の中でもこの水が僕個人には一番合っていると身体が感じるのだから、アルカリ好きという事なのだろう。酸性の温泉(例えば草津)もたまには入る事は入るのだが、やはり日常的に使用するのはアルカリの泉質は自分に合っているなあと思う。200以上は日本中の温泉に入った結果そう結論した。硬水と軟水はシルクを染めても発色や深みに格段の差異が出る。イタリー産のシルクを5年ほど扱った経験から思うのだが、絹糸を同じ染料で染めても発色と風合いに格段の差が出る。山形県にアルケッチャーノというレストランがあるがここの料理は皿ごとに3種の水を使い分けている。だから田舎でも赤坂並の値段はするのだが、味に格段の差異が出る。ご近所なら食べてみたら良いと思う。わざわざ行くだけの値打ちはあると思う。 
 今夜は伊豆長岡にある「弘法の湯」という場所に来て、岩盤浴をしている。バドガシュタイン鉱石というドイツだったかのラジウム鉱石で作った石のベッドがここにはあって、さらに採掘禁止になった北投石(玉川温泉の石)の浴槽でラドン浴が出来る便利な場所だ。宿泊施設を改造して立ち寄り主体の湯治用に改造したらしい。
午後4時から11時まで1000円でタオルと浴衣がついているから、知っている近所の人は銭湯代わりに使うのだろう。岩盤浴は40分も入ると浴衣がビショビショになるぐらい汗で濡れる。身体の芯のほうから暖まる。
それで熟睡して普段は8時には起きるのに、今朝は11時まで寝てしまった。猫は寝子と書くらしいが、寝てばかりの毎日が続く。                                                                                                                                                                                                                   

今日を表象するもの

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 世の中は大型?連休らしい。何日休めるのか良く知らないけれど、毎日朝からせっせと会社に行く人が大半だろうから、こういうお休みは朝寝でもしてゆっくり普段のお疲れを癒して欲しいものだと思う。混雑する観光地などに家族で車で出かけて渋滞にハマって結局疲れただけだったなんて経験を僕も大昔は何度もしたものだが、それはお休みがみんな同時のせいなのだ。みんなが一緒に行動するという事は全体効率が良いようで、決して個人にとれば快適ではない。幸福とは個人的なものだという信念が強いなら、全体がどうなっても個人が良ければ問題無し!というのが本音だろうと思うが、その本音をむき出しにすると「角がたつ」というのが組織の習わしであるから、他の人と異なることをするのがなかなか難しいのだろう。そういう事をいちいち意識して暮らすのが馬鹿らしいと感じれば、一人でなんとか人にあまり頼らないで生きて行くほうが楽だと思うと、組織や会社は面倒くさい。会社を経営していた本人が思うぐらいだから、従業員はその数倍も感じる事なのだろうと思う。それでもなんとか折り合いをつけて「中とってなんとかする」というのは現実的対処なんだろうし、それがきっと大人になるという事だろうが、僕は面倒だから放棄して自分の好きにしてしまったが別段それが効くならそれで良かったなあと思う。
 引っ越しを控えているといろいろ雑用が増える。まず整理ということで「ダンシャリ」実行ということで、クローゼットの洋服をバンバン棄てる。体型が10年で10キロは増量したから、パンツが入らないものが増えたのでどんどん棄てる。Sサイズ、ウエスト28インチは全部棄てる。セーターとか古くて着ないのも棄てる。なんやかんやで45Lの袋が3つ出来た。これで少し今日はスッキリする。いらないものばかりなんでこんなにあるんだろうと思うが、多分何か買っていないと気が済まないという習慣なのである。買った事をすぐに忘れて使いもしないのにまた買うの繰り返しだ。必要性など所詮は大半が幻想で必要ないから忘れてしまい込むとい現象になるわけで、余計なスペースが増えて邪魔である。でも資本主義は次々と余計な幻想を作って消費を促していかないと失業が増えて困る人が増加する仕組みだから合成の誤謬の塊だ。欲望を量的でなく質的に変化させるベクトルに規制をかけたらきっと全体が一時的には上手く行くのだろうが、すると階層化が進んでしまうのだろう。平等の原則が崩れて社会がギクシャクするかな?無駄が減るというのはそういう好悪両面を常に持っているという事だろう。
 生産力の劇的減少を実行すると資源も少なくて済むし、みんなが物質的には貧しいが働かなくて済むようになれば休みが増えて良いのかなとも思うが、ずっと休みだけ続くと何をして良いかわからない人が増えて困るのだろうか?機械を打ち壊す「ラッタイド運動」というのが産業革命以降に起きた事があったが長くは続かなかった。量産することで単価が劇的に下がると消費が爆発的に増加する。民主化というのは結局はみんなが同じような暮らしをするという意味なのだろうと思う。王侯貴族以外には馬に乗って移動することなど昔は無かったが自動車の発明で現在は免許さえあれば誰でも移動の道具を買えるようになった。行動範囲が空間的時間的に劇的に拡大しチャンスが増えるとそれがまた次の変化を生むという繰り返しがまた連鎖的に次の変化を生む。変化に加速度がついてやがて人間の日常的な生活速度では対応できないほどのスピードにまで高まって、やがて自爆するということにきっとなるのだろうと思う。時速600キロのリニアだと東京ー名古屋は40分だそうだ。テロでも有ればどうするんだろう?
 生存本能が鋭い人なら「これは自分にとってはヤバイぜ。(いかに組織にとっては好都合でもさ、、)」と感じると戦線を離脱して、適当にうっちゃってゆっくりと自分の出来るペースで生活の速度を調整するようになる。それが出来ないマジな人がきっと過労死したり自殺したりするんだろう。自殺者の年代分析は30−60代の中年男性が半分以上を占めている理由は明白だ。人間以外の動物で自殺する動物っているんだろうか?意識という幻想がどこか狂うと変なことを始めるという事だろうと思う。鬱という病気が激増したのは、頭脳の回転が早まりすぎて身体と頭(意識)との時間のバランスがきっと崩れて折り合いがつかない状態なのだろう。「あれもやれ、これもやれ、早く上手にやれ」という頭脳の命令に身体がそうそうついていけるはずが無いと思えば「諦めて放棄する」のが自然なはずだろうが、それをマジに努力してやろうとすればどこかが壊れる以外に解はない。心がそうして壊れるという現象なんだろうと思う。
イデオロギーとは人間に集団的に「変な事をさせる」教本のようなものだから、いかなる正義も所詮は必要悪であると看過した歴代の哲学者の言説はその点で傾聴に値すると思うので、クールに歴史を見ると人間の手段的な馬鹿さ加減が露になって無駄な事をしようとも思わなくなる。無駄とは多分現在必要のない事であるとそういう意味では言えるのだろう。「明日」という時間の脅迫概念を棄てると生活も思考も単純化してスッキリするものだ。1分後だってどうなるかなんて誰にもわからないのだから。

 散歩をすると今を時間的に表象するものに出会う。別荘地では藤の花が綺麗に咲き始めた。「綺麗だな。」と思う。
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