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猫次郎のなんたらかんたら書き放題
お山の上から鴨を食うノマドライフは極楽ね

書庫日記

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目標のない暮らしというのは気が楽だ。リーマンを止めてもう20年だから、毎日特にこれをしろというような社会的要請というものはない。あるのは自分の身体的な欲求だけで「暑い、寒い、眠い、腹が減った」ぐらいしか日常的には無いのである。タマに税金払えとか申告しろとかあっても年に数回だから時期が過ぎれば忘れてしまう。無職というのは良い物で慣れると面倒な勤め人などいくら金をくれてもしたいという気にはならん。まあ典型的な怠け者であるから猫のように日がな一日つらつら寝ているかボーッとしているのが性に合っているんだろうと思う。全く困ったもので、だから人様の迷惑にならんように山で一人暮らしなら良いだろう。その結果世の中で何が起きているのは良くわからんし、都会でないから人もいない。今週会ったのはマダム以外では近所の生徒がグラフを返しに来た時に1時間ぐらい雑談をしただけである。後は毎夜マダムからかかる生存確認コールだけである。「今日は何を食べたか?」というやつで毎回答えるのが面倒極まりない。何を喰おうがまずスーパーで売っているものを喰っていれば死ぬようなことにはならんから心配はいらないのだ。昨夜は面倒なんで変形富士宮焼きそばにした。エビと烏賊とベーコンとキャベツともやしを入れた焼きそばである。製作時間5分だから手がかからないで美味しい。お好みソースというブランドの焼きそばソースに醤油をチビッと入れると上手いのだ。月に500万稼いでも原価300円の焼きそば喰ってるのが面倒くさがり屋の相場師の実体である。金儲けなんて楽しくも何ともない。だから金が余ると下らん買い物でウサを晴らす。ユークスという洋服サイトでアレクサンダーマックイーンのジーンスとカシミアセーターにブルーの革製のスニーカーを買った。イタリー製の高級品だかセールで安い。18万のが4万の特売だ。ユニクロばかりだと飽きるからタマにこういう下らんものでも買って暇つぶしをする。100万のメッシュのボッテカベネタのトートバッグを持っていると若いネーチャンが目を剥く。400万の18Kの金時計をしているとオッサンが目を剥く。人間は愚かだなあと思う.そんなもんで驚くな。欲しけりゃグラフを書け。(笑)
 生徒に長いグラフをたくさん書けと言った手前、自分でも少しは書かんとシメシがつかんだろうと思って資料を戴いたから盆休み前から1969年からの45年間のグラフをボチボチ書き始めた。すでに1200ほどいろいろな期間のグラフを書いていたから新しい銘柄というのはない。それでも書いていない期間というのはあったから、暇つぶしという意味でも良いだろうと思ったのだ。約1ヶ月で30枚弱を仕上げてみた。グラフを書くのは単調な作業だから慣れるとタンタンと定規とボールペンとはさみと糊の作業である。数をこなすと早くなる、綺麗になるからどんどん進む。サイトでも最初は酷いなと思った女性が最近はどんどん綺麗に書くようになったからきっと彼女も上達が早いだろうと思う。書いてリャ馬鹿でも買い時なんてわかるんだから、最初から言われた通りにすれば良いだけの単純な事なのに、どうも下らんノイズに翻弄されてああだこうだと変な事を考える。その変な事を考えないために書くのだが、作業の実行に手間隙がかかるから普通の人はしないのだ。馬鹿だとどうしたら早くたくさん書けるかなどと意味の無い余計な事まで考えるから始末に困る。目的は早く、大量に書く事でない事が馬鹿なんで理解出来ないうちは一向に上手くなんてなりっこ無いのだが、まあ自分でやってわかる以外にないんだろうと思う。

グラフをながらで書いたりするとテレビニュースなんて耳だけ聞いていると昨夜は給料の話が二つあった。日立が管理職の月給の年功序列制を廃止したのと、貧富の格差の広がりについてだった。年収200万未満のリーマンが1120万人全体の24%、1000万以上が180万人で4%だと言う。フーンそんなものかと思うがこの5倍の差異をなんとかしろという事なのだろうか?別にどこの国でもありきたりの事だろうし、日本はどちらかと言えば共産主義に近いからあまり差があるとも僕には思えない。本当に能力があればリーマンなんて最初からするはずもないだろうし、自分で会社なり事業なりを起こすに決まっているからどうでもイイじゃないかと思うのだ。一方で貧窮児童が激増しているらしい。クラスの16%ぐらい、一人親では55%が貧窮児童だということでご飯も満足に食べられないという。主に離婚した母子家庭の子供がそれに当たるらしい。親の都合で迷惑極まりないが運命で16%ぐらいの子供はハンデを負って育つという現実で、ハルトモさんはここをどう救うかというお仕事を毎日しておられるという事なのだろう。人ごとのようで申し訳ないのだが競争社会での現実はこんなものであるし、社会がどう変ろうが人間が変らない限り現実は同じようなもんだろうと思う。「餌の取り方」というのを親が子に教えるという生物生存の基本条件=本能を人間が放棄したからこうなったまでのこと、そして気がついた時には大半の人がもう遅いというのが現実で、そこから挽回できるガッツのある人の比率が少ないという事でしかないんだろうと思う。ややこしいのは人間社会はルールがあって、それは大半が通貨交換ルールであり、そのルールが法規ということだから面倒なのである。ルールを少し変えれば良いとも思うが、変えると不利になる人が反対するからなかなか現実は変らない。だから金でカタがつく事はある意味で公平で楽なのだ。金が万能の世界=金が神の代理となった世界=西欧近代に対して現在イスラム国が挑戦状をたたきつけているがさてどうなるんだろう?トマホークで無差別に虐殺するキリスト教倫理を自爆テロで粉砕するイスラム倫理という対置的な十字軍の再現だろうと思う。リーマンの貧窮なんてのどかなお話であるなあー。

 さて30枚45年を書いて改めて感じるのは、底練りもそろそろ終わりじゃね?という事だ。45年間で5年以上の底練りを見せた銘柄は一つも無いのだ。底練りの後は倍加波動の上昇を全ての銘柄がすべての期間で実現している。歴史は繰り返すから十字軍同様に底練りのものは数倍の倍加波動を近々開始するだろう、というのが毎度の猫の結論である。1億買ってりゃ数年で馬鹿でも3−4億は取れるんだろうと思うけどね。そんな金は爺さん婆さんには使いきれんから孫の留学費用にでもするかな?皇室の女性が結婚して民間人になるのに「品位を保つために1億の持参金が必要」という政府見解があったそうだ。これを聞いてマダムは私の品位を保つにもそれ以上は必要だと言う。だから宜しくだとさ。現代女性はプライドが高いから何億が現金がないと満足して貰えないという事なんだろう。今後はきっと相場師になる男性が激増するんじゃないのかな?「結婚は良いよ!!」と若者のために苦し紛れに書いておく。

結論は書く前からすでにわかっているし、書いて変らないのもわかっている。ならなぜそんな面倒な事をするのか?「暇だから」という他無い.(笑)

霧が出ている

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雨がしっかりと降っている。お山は霧で視界はせいぜい50メートルの白い世界で音が無い。雨の音が他の全ての音を消してしまう。だから猫でも起こしにこないといつまでも寝ている。昨夜は5時半ごろまでリズム時計の月足を書いていて寝たから起きたら10時を過ぎていた。猫のご飯は空っぽで、「朝飯!朝飯!」と毎朝起こしにくるのだ。夏毛から冬毛に変る時期はきっとお腹がいつもより減るんだろうと思う。爪研ぎがマメな猫なので膝に乗ると痛い。風呂に入る時は、毎日たいてい数カ所が赤くドットのように点になっている。キーボードは踏むし、書き上げたグラフの上ではスピンターンをするし全く邪魔ばかりするのだが、邪魔をしている自覚はきっとあるんだろうと思う。注意すると止めるのだ。だから嫌がることをすれば自分に関心が向けられる事を知っている。猫と人間の意思疎通というのは、動作ー反応ー効果の連続であるから玉操作に近い部分があるんだろう。

 ブログを書き始めた時は、相場に関する程度のひどい質問が多かったが僕は答えないから(答えなんて本来無いのだから)その種の下らんのが減ったのは好ましい。質問と解答という形式は、学校教育の典型的な弊害だと思うから、何事も重要な事項に必要な答えは自分で思考し経験しながら答えを出すべきものだろうと思うし、メタな思考方式に慣れていない鴨が相場をすれば大抵時間の問題でお釈迦になる。自分は何で料理されてしまったか知らない間にオケラになる人がきっと大半なんだろう。そうなりたくないなのなら、クドイが基礎的な準備をしてから相場に向き合うべきなのだが、そんな事はどこでも教えてくれない。教えると自分が相対的に不利になることを教えるアホは稀だから、大抵は本物のプロである。どうせ教えても素直に実行出来る人は千三だから関係ないからである。
 15名ほどの練習生のサイトを見に行くとグラフを真面目に書いている人が大半のようだ。時間的に制約のある人が多いせいもあるんだろうし、そもそもよほど気合いが入らないとこんな面倒で手間がかかり、しかも即座には利益にも上達にも貢献しない作業を貴重な時間を費やして習慣化するのは割に合わないと感じることが大半だろう。そもそも彼らの「割り」というレベルは時間を売って金を貰うというレベルの「割り」であって、相場からえられる利益としての「割り」を本来知らないのだから酔狂でもない限り合理的な人はしないだろうと思うのだ。保証の無い賭けである。競馬、競輪だって予想のオッズはあるだろう。相場にはオッズさえないのだ。計画、実行、結果、改善という通常の戦闘プログラムしか頭にない人間に対応可能な仕事のはずがないのだろう。アホでもないとしませんねえという事になって生徒や弟子はだからみんな少し変な人ばかりということになるんだろう。本質的な事が肚に落ちるのにはきっと誰でも10年ぐらいはかかるんだろうし、そんな悠長な事はしていられないという焦りが結果的に自然淘汰を引き起こして専業になって相場で飯を喰うというような人を絞り込む。その絞り込み方は半端でない比率だから10年、20年して生き残るような人たちは寡黙にならざるを得ない。少し長い時間軸では死屍累々の地獄絵となる。だから一般人はそんな事にはかかわらないで普通に暮らしていくほうが良いと思う。

倍加する蛇たち

みなさん国策にのっとって懸命に毎日仕事をしている。実に好ましい。みなさんが懸命に労働するときっとその努力が実って生産性が上がり、生産と売上げが伸びて経済活動がきびきびと活性化して成長が早まる。すると運が良いと利益が伸びて、その伸びた利益に応じて配分が増える。リーマンの人はボーナスがアップしたり、賃金が上がる。そもそも賃金を上げるためにきっとこうも多くの人々が満員電車に詰め込まれて250日も300日も会社に毎日きっと通うのだろう。そういう生真面目な生活習慣がなければ、きっとJRもこれほど発達することは無かったし、東京ー大阪を3時間もしないで無事故で何十年も往復するような鉄道技術も生まれはしなかっただろう。まことに奇跡的に正確で安全な鉄道技術だと思う。きっとこのような生真面目な国民性がこの国の労働倫理の底流となったのが戦後の経済発展の基礎となって国が豊かになったのは多分間違いない事だろう。団体戦が得意な日本人のやり方というのはきっと農耕を通じて共同作業を行う村民経済の分業体制が基礎となって数百年とか数千年とかの時間軸を通じて遺伝子に刷りこまれたと僕は想像している。アジアのモンスーン気候の住民は程度の差こそあれこのような行動特性を特徴としているのかもしれない。
日本人の血液型はA型が多いそうで、真面目で勤勉な資質があるらしい。一方、中国とアメリカはO型が圧倒的に多いそうで、アバウトで積極的な強気の資質らしく、なるほどそんなもんかなと思う。僕は典型的なOで家族もマダム以外は全員がOである。娘もOで婿もOなので孫も全員がOなのだ。つまり協調性が全くないもの同士が集まっている.(笑)そもそも人の話は全く全員が聞いていない。聞かないばかりか自分の言いたい事だけ言っている連中が5人、7人といる食卓は壮絶だ。だから会話というのではない、言い合いでどちらが声がデカイかが競争になる。誰かが何か言っても「それはそうとして、これは、、、」と話題がクルッと変るのが通常である。まとまりが無いし、そもそも纏めるという発想が無いのだ。それぞれが好き勝手に「これこれ」と言うのである。
 農業が国民の職業の大半だった時代から、戦後は軽工業から始まり、重化学工業が飛躍的に発展し、その後サービス業や商業も購買力に応じてどんどん発展して久しい。人口が13000万となってピークアウトしたのは2008年ころで江戸時代の3000万人から4倍化したことになる。要した時間は300年という所だ。しかし物事の勢いというものはきっと程度の差こそあれ、ボトムとピークを循環するものだろうし人口という国の勢いもこれまた例外ではないのだろう。最近の少子化という子供があまり生まれない現象はきっともうこれぐらいでいいだろうという国民の総意の(多分女性の総意の)結果なんだろうと思う。数字だけ見れば女性一人が生涯に出産する子供の数が2.1人を下回れば人口は減るから(もっとも時間のズレと寿命の長期化で少し後ズレするが)今後の人口減は必然ということになる。過度な競争状態が緩和されて僕の孫の世代はきっと僕よりハッピーな暮らしになることを期待したいと思う。孫たちは2人の親と4人の爺婆を持っている。仮に孫が一人なら爺婆4名と親2名の資産を受け継ぐことになるから、幸運な孫ならそれで相当な財産を受け取ることになるんだろう。半面、爺婆や親たちは子供が少ないから現在の年金制度のような仕組みで老後の生活をすることは叶わないというぐらいはどんな馬鹿でもわかる。一人の孫が4人の爺婆や2名の両親を支えることなど出来るはずも無い。期待するほうが馬鹿だと言うことである。その結果、爺婆とか親は自分のことは自分でする以外の選択肢が無くなっている。「老後が心配」という人が多いのは多分そのせいなんだろうが、自業自得だから今更どうしようもないことだ。そもそも論だが「老後」なる概念が発生したのは、そんなに昔ではないだろう。長生きする人が多くなかったから少し前までは年を取れば自然に、老、病、死という順番で人は死んでいったし、今も程度の差こそあれ100歳まで生きる人は稀だろう。幸か不幸かわからんが、現在のような社会状況になれば長生きすること自体が不幸の元ということも実際に十分に起こりえる。社会のお荷物となってみんなのお世話になるだけで肩身の狭い思いをして税金で食いつなぐような老後は惨めだろうと思うから、そうはならないで済むように健康で真面目な老人ほど身構えて消費を慎むというような生活態度が常態化しているのがこの国の有り様だろう。
 反面昨晩深夜の海外番組で、引退した夫婦が中南米をキャンピングカーを引っ張ってキャラバンして回る長期間のドライブ旅行の番組を見た。数十組の夫婦が(75−50歳ぐらいが中心)交替で運転しながらアメリカからメキシコを通って名だたる観光地を巡る旅だ。カップルがいろいろな思いを胸に旅をする。お金持ちというよりは普通の人で冒険好き、活発な人生を送りたいというアメリカ人夫婦が多い。かっての職業は様々で子供や孫がいる人が大半だが、とにかく長い結婚生活30−50年を振り返って旅をする。「あんな事も、こんな事もあったがここまで良くお互い来ましたね。」というほろ苦くも微笑ましいカップルたちだ。連れ合いと離婚や死別をして最近熟年で再婚したカップルもかなりいた。残った人生を後悔ばかりしていても始まらない。新しい相手を見つけて積極的に人生を切り開く老人は逞しいと思う。キャンプの係留地では電気と水道を車に繋げて普通の家のような暮らしをする。みんなで集まってパーティーをしたり、ビーチで泳いだり。数十年一緒に暮らしても、それぞれ役割があるから必ずしも一緒にいる時間が多いということでもないカップルは多い。それが1日24時間、同じ狭い車の中で目的地を目ざして行動する。ハプニングも起きるが助け合ってキャランバンしながら長い旅路をひたすら走り、遊ぶ。ジャックケルヤックのON THE ROADのシニア版という感じの旅だから、家でテレビと読書以外にする事の無い老人たちよりも数段マシな悦楽の人生だろうと思う。アメリカは個人主義の国柄だから、移動手段は車ということであり、車というよりは家を背負って放浪する元気な老人たちという所だ。移動するということで視点の位置がどんどんと変る。移動することで空間距離が変ると同時に時間的な距離感も変っていく。生産に費やしていた時間が消費のみに費やされていくから当然お金は減る一方なんだろうが、そこには暗いムードがないのは何故だろう?毎月3000$ぐらいかけてずっと旅行しているそうだ。
 いくつになっても見知らぬもの、見果てぬものを追いかけるという旅の動作というのは時間と空間の定住を否定するものだ。ノマドライフ!きっとこういう変化する環境に順応するのにはO型という血液のタイプが合ってたから残ったということかなとフと思った。O型はイイカゲンきわまりないのである。あまり先々の事など深く考えて行動なんてしないのだ。出たとこ勝負の楽天派。そのほうが楽しいという理由だけだ。中国で新幹線の大事故があった時に、その場で埋めてしまうというような凄い事故処理(というか隠蔽)のやり方を見ても、O型の処理はヤバイのであるが、本人たちはいたってマジで「何か変?」と思っていると思う。そんなタイプが選ぶのは決まってゲテモノ趣味である。
 さてゲテモノの6445蛇の目ミシンが半年で倍加した。180円の高値引けできっちり半年で化けている。提灯をつけた人は儲かったかな?(76円3/20年初来安値から)都合6ヶ月で倍加したからやはり安値で買ったら半年ぐらいは待ったほうが良いということだろう。僕はまだ1枚も売っていないので値洗いで450万ほど評価益があるようだがきっとまだ売らないと思う。場帳を書いても上げの勢いに変化がないからである。2006年高値350円ぐらいまで節らしい節も無いからきっとあとしばらくでそうなるのかなと思うが、まあどっちみち急いで金が必要でもない。金余りのインフレ相場が始まっている。気長に待つとしよう。350円になると取らぬ狸だが1300万ぐらい儲かる。そしたら中古のベントレードロップヘッドクーペでも買うか?その車でグランドツーリングをするのも悪くない。12気筒48バルブツインターボ600馬力、最高時速312キロのカブリオレってお化けだなあと思う。こんな車を走らせる道は日本にはないけどね。

お家カフェ

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9月は災害の月だ。防災の日というのは9月の関東大震災にちなんでいるのだろうし、国営放送でも防災関連の特集番組が毎年放映される。今年はタモリの司会でメガディザスターという地震、津波、豪雨、火山の噴火などを4回に分けて放映していた。ちょうど1月前に広島の豪雨による土石流災害で多くの人が被災されたし、最近はまた少し関東で大きな地震もあったからタイミングとしてはピタリという所なんだろう。地震列島というか火山帯が隆起して島になった日本だから、もともとそういう運命の上に生物の生存は成立していると醒めた目で見れば当然であると思うが、不幸が起きるインターバルが地球の変化によるものだから、人間の一生のインターバルと噛み合ない所に不安の要素の主たるものがあるんだろう。たまたまそれに合わずに済んだ幸運な世代と、もろにそれに影響される不運な世代。
どのみちこの国に済む以上は、そういう不幸な災害にいつかは巡り合うことは誰にでも起こり得るのだから、それにどう対処するか、またはしないかというこちらの有り様で事態は変るのだろうと思う。この変るという点は、災害が起きた時に変るという事ではない。起きたらいくら対処を訓練していてもどうしようもない事が大半だろう。そもそも対処が人間の想像を超えるから大災害なわけである。不謹慎ながら、そうした自然の大きな力に人間が人工的な施策でなんとかなると考える頭脳構造そのものが「アホらしい幻想」であると思うのだ。火山が爆発して時速100キロの火砕流が起きれば、どんな早い車で逃げても捕まるに決まっているだろう。そもそも道がないなら走ることも不可能だ。日本の平野はそもそも川が山からの土砂を堆積して作った扇状地が拡大して平野化した所が大半だから、雨が降れば災害になるのは当然の結果でそれが嫌なら山裾を避けて海岸付近に住めば良いが、今度は津波の被害が待っている。前門の虎、後門の狼が日本中の地形である。つまりどうしようもないのである。
「諦めれば良い」素直にそう思えばなんということもないし、いかなる想像を絶する自然災害が起きようとも、人類は何千年もこの地で残ってきたという事実がある。だから誰か幸運な人が必ず生き残るから心配ないと僕は思う。その幸運に自分と家族が入るのかどうかが問題と言えば問題だろうが、大半の日本人が死滅するような大災害が仮に起きたすれば、残るほうだって無傷のはずが無い。
 海岸線に囲まれた国で、傾斜の急な狭い平野と大地という特性。災害時は悪いことばかりが起きるのだが、むしろ平時はこれほど豊かな地形は無いと考えて、そのメリットを生きている時間にたっぷりと享受して楽しむ以外に対策なんて無いよ、いつも僕はそう考えて実行する。海が近いと魚が捕れる。伊豆は金目、沼津は鯵が美味しい。だから金目の煮付けや塩焼きは旨い!沼津の鯵は干物でも刺身でもいける。下田のアワビと伊勢エビは最高だ。海のメリットは美味しい料理になるんだから、魚貝を買って料理を作れば良い。火山があれば温泉がどこにでもある。熱海、箱根、伊豆とそれこそ100や200はあるからどこでも直ぐに様々な泉質の豊かな温泉に入れる。物事の好悪という両面はコインの表と裏と同じ事だ。良い事と悪い事とはそもそも人間の勝手な都合で決まっている。だから勝手に都合の良い面だけ享受するような時間軸の優先を個人では実行すればこんなお得で楽しい暮らしはないのだが、国営放送は意識的に悪い面を全面に出して人々を脅す。それによって防災意識を高め、防災計画に必要な予算を正当化して大きな公共事業を実行して景気を拡大しようとする。まあ、国営放送の性質上は当然と言えばそうだろうが、いくら防潮堤を作ってもそれ以上の規模の津波が来れば無駄である。いくら扇状地の山裾に住宅を建てるなと言ってはみても、他に土地が無いなら業者は安全と歌って売るだろう。金がないならそこにしか家を建てることが出来ないのが現実なんだろう。最初から誰だってそんなことはご承知でしている事なんだろうと思う。

 時間を意識して生活するという事をするのが、「仕事時間」中心の暮らしだからそうなるのかもしれない。今月の納期とか今日の来客とか来年の目標とかである。一旦それが取り除かれる生活を経験すると、多くの人は呆然自失となって困るらしい.(笑)定年後に毎日することがなくてノイローゼになったりする。リーマンの時は忙しくてしたい事が出来ないと嘆いていた人が、暇になると途端に何をして良いのかわからんで困るのだ。だから嫌な事はしないで楽しい事、嬉しい事だけまずは最初に実行する、快楽主義優先で時間を潰す。どうせどうじたばたしたところで人生は死ぬまでの暇つぶしであるというのが結論の僕としては、どう死ぬかという意味は、それまでどれだけ遊び倒すかという事と同義である。金儲けも相場もその手段でしかない。
 ということで今日は早川コーヒーから荷物が届いた。春に買ったコーヒー豆が切れたので8キロのお薦めセットをまた買った。ここの豆は業者向けの卸売りだけあって、農園の選別や焙煎の時間などさすがにプロである。8キロで2万円しないからスーパーの袋入りの豆と大差ないが、味も香りも別世界の美味しさである。当然一人では飲み切れないので家族、友人、ご近所にお裾分けということになる。
あまりに良いので、ミルも買ってみたがこれもカリタの機械でなかなか良い。グラインドの粒子を5段階調節が効くので同じ豆でも引きかたで味が当然変る。こんなことばかりして暇をつぶすというのが実際の僕の生活だが、朝起きて、10時か11時に朝風呂に入る前に
濃いカフェオレをテラスで山を見ながら飲む時間は至福の時である。楽しまないともったいない9月の陽気だと思う。
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 器用とか不器用とか反射的操作の質に個人差がある。一つの事を同じ道具で練習してみても、結果は驚くほど異なるのは、例えばリズムの2分割の基礎練習のように、これ以上もう単純化するのが困難なほどシンプルなものほどさせてみるとすぐに結果が出る。センスの良い人は理屈なんて全く知らないでもコツを飲み込んでスイスイと泳げるがド下手な人はいくら考えても上手くいかない。これは当然でアマチュアは実行力がないからいろいろ考えてしまうので大抵は反射的な動作が遅れてしまうという例が大半であり、センスの良い人は動作のほうが先に来て身体が動いてしまうという事である。同じ資料(グラフ2種と場帳)を見て、スイスイ出来るのはセンスの良い人である。だから相場のような値動きの激しいものは理屈の通りにいかないので現実の波の動きに逆張りであわせろというのが酒田罫線の建玉法なのである。
 板で譜を見るとベトナムさんとかひよこさんなどは抜群にセンスが良い例で、リズム取りをすれば100発100中とは言わんでも98%ぐらいは利食いに持ち込めるセンスがある。だから身体を動かすように玉を転がすことが出来るし、そういう風に動いている自分が「快感」であると自覚しているから、試しで仕掛け、増し玉、本玉と進み、そこからつなぎ、増減を経て利食いに持ち込む、あるならドテンまで進むという一連の波を泳ぎながら進むということなり、つなぎで短期の押し分を稼ぎ、本玉は根玉で溜めて大きなうねりを取るという二つの時間軸を同時に泳ぐということが数年位やると出来るようになる。立花サンの譜は基本的にそうなっているし、林さんの売買譜の実例本でもいろいろな相場師の時間軸の捉え方の例が乗っている。『プロの玉操作」とはこういうものなのかと理解するには良い本だし、こうやって練習すると上手くなるのかとうヒントにはなるだろう。しかしこうやって上手くなって飯が喰えるレベルに到達出来るのは容易でないと思うのだ。ある種の運動神経や反射が人並み優れている必要があるだろう。1000名練習しても多分数名だ。
ベトナムさんはラグビーをしていたスポーツマン、ひよこさんはピアノが好きなピアニストという身体を通じて感覚、動作を訓練した経験がきっと脳と動作の反射に重大な良い結果を及ぼしているという風に僕は推測している。二人が譜で似ているのはそういう点であると僕は感じるのだ。建ても落としも素早く反射的。リズムは粘らないという特徴で、テキパキ動くのが快感という感じ。僕とは全く異なるしマネしようとしても出来ないと思う。僕はもっとゆっくりと酒田逆行の7−8本から重ねて粘るし時間軸の感覚が長めだ。仕切りは11−13本が大半だ。教科書通りだが乗せで大抵曲がることも多い。10回で2回ぐらい当たる時に資金が3−4倍になるので善し悪しという事ではないし、好みということ。おでんに関東風とか関西風とかあるのと同じだろう。
ベトナムさんは2枚から練習して10枚になるまで何度もきっと同じようにうねりの波乗りを練習しながら上手くなったはずであり、現在同じことをひよこちゃんが訓練中だから、練習生もうねり取りが目的なら、彼女の譜を参考にすると良いだろうと思う。ただし、教えた経験から出来る人は300名で数名(4名か)しかいなかった狭き門である。だから感覚の良い人以外は僕はあまり勧めない。特に時間の制約のある勤め人がこれをやって、携帯電話で取引をして大失敗(数百万、千万単位の大損)が目立つからである。つまり団子の悪い玉を意地で建てて逆行するという致命的失敗が多いからだ。20回に1回、あるいは30回に1回でも致命的失敗をすると相場師は簡単に潰れる。1回ごとに10万ずつ利食い、10回なら100万、30回なら300万の利食いだが、最後にドテンでしくじって1000万やられればトータル700万の損でお釈迦になるのが相場というものである。慣れた頃に大事故になる例が多いから、大きくなるのが(億以上の規模に育つのが)難しいのである。
 良く器用な若者がデイトレードやスイングで数億を取るのだが、どこかで曲がって破産するというような事が起きるのは上記のような例に近いだろう。結局、成功を急いで資金管理がおろそかになって張りすぎの時に逆行で潰れる例が大半だろう。ブラックスワンがいつやってくるのかは誰にも分からないからだ。それでも中には大きくなって成功する人も生まれるから相場は面白いのだろう。兜町でちょっとあいつは取ったと言えば1億のことだし、事実それぐらいは誰でも当たればすぐに取れる。元手60万で商品から初めて2年で80億取って成功した人が週刊朝日に出ていて、その後半年でオケラになって足が出たという記事が昭和37年ごろにあったのを鏑木さんが書いていた。大きく勝つには乗せの順張りが必ずどこかで必要だが、さらにどこかで手仕舞いと長い休みが必要だ、ブラックスワンが来る前に。それがわからないから難しいのだ。欲が適当ならどこかで止めるという事だが、この止めて休むのが難しい。ついつい取れると玉は膨らむし操作は甘くなる。そうならないには買ったら適度に金を使うしか方法は無いと思うのだ。大きな買い物をして(大半が家とかビルだろう)しばらく休む。それしか方法は無い。現金だとどうしても張ってしまうものだろう。

数年に1回は大きな上げや下げの相場は必ず来るのだし(景気変動から当然の結果だ)その時に銘柄選択さえ出来れば大きな波に乗る事は容易いだろう。グラフを書く意味はだから当然の必要条件である。プロで生き残るにはブラックスワンは必ず来る、来た時に負けても生き残れる規模になれているのか、淡々と損を切れるのかというドライなハートにかかっている。5000万元手で数年で3億取って、1億損を切れれば2億残る。それでも15000万の利益なのだ。その利益で生活していくのが現実の相場師ということだ。毎年1000万がコストなら15年生きることが出来る。2000万なら7年だ。それぐらいのうちにはまた大きな相場は来るものだし、小動きの時も数千万なら毎年取れることも少なくない。結局大きくは金は減らないのである。だから人より多く使うしかないし、使わないと金がいやでも残ってしまう。家を買っても現金は減るが資産で残れば相続の対象だ。車や旅行はその点すぐに評価がゼロになるから気が楽だ。しかし身体は一つだからせいぜい3−4台しか乗れないだろう。長い旅行は猫がいるので無理である。せいぜい1、2週だ。毎日20万使ってもせいぜい200万かそこいらだろう。車はあまり多いと乗る間隔が伸びで(半年乗らないとか)バッテリーが上がって困ったことが何度もあった。ドロップヘッドクーペなんて天気のよい秋しか乗らなかったので12気筒のXJSなんて上がってばかりで不調だった。
しかも年を取ると運転も面倒になる。ついついデカイ車に乗る癖がついているので過剰な性能の車に乗ると免許がいくつあっても足りない。250キロでリミッターが作動するメルセデスはまだマシだが、これがベントレーや、ポルシェ、フェラーリだと300キロは簡単に出てしまう。はた迷惑極まりないのだが、あればどうしても出してしまうのが人間だ。免許が100万で売っていれば良いのだが、こればかりは売っていないから免停で不便な生活になる。一度京都に講習会に行くのに、深夜2時頃の東名厚着付近でオービスに捕まったことがあった。80キロオーバーで免停90日。参るぜと思ったがしかたがない。それ以来、あまり飛ばさないようになった。もう還暦だし大人しくしろとマダムは言う。
しばらくブラックスワンは来そうにないと個人的には感じる。それよりも壮大な上げ相場が必ず来るだろう。若い人は誰も経験したことの無いような長期の上げ相場がやってくるのではないか。トピックスが3000ポイントを越えるような新高値に進む、壮大なインフレ金余り相場である。バブル崩壊以降に成人した人は余り経済的に良い事が今までなかった世代だろうと思う。その人たちも人生に1回ぐらいはウハウハ言うような良い事があるものだ。100万円が1億2億になる。そんな良い事が起きる相場。そうしたら日本ももっと明るくなるといいなあと思うのだが、、。
ブラックスワンは必ず来るが、スワンが来る前には必ず大きなお祭りがあるものである。そして孫の世代は明るい世の中になると良いなあと思うのだ。
































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