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8/28に旅行から帰ってきた。途中の大月の駅で落としてマダムはあずさかかいじで新宿まで帰る、最低限のお土産と荷物をもって。僕はそこから東富士道路で御殿場経由で富士山の麓を通って函南にたどり着く。現地集合、現地解散だからまあ社員旅行みたいなもんだ。汚れ物の選択は僕の仕事である。ドリスバンノッテンの美しいサマードレスをハミングで洗った。それから1週間たった。久しぶりに今日は街に降りたということはこの間はフラットに缶詰でグラフの更新や場帳の筆記をしていたということである。さすがに7日間もそんなことばかりしていると飽きる。そもそも頭を使う要素などほとんどない感覚だけにたよるお仕事である。ちゃんと良いペンやボールペンがあれば誰でも出来るお仕事である。最近は視力が衰えてきたので、なるべくゆっくりと筆記するように心がけている。急いでも意味は無いし、ゆっくりのほうが受け止めが強いしと動作は鈍い。
8月の目先のボトムは8/8TOPIX 1228だったが、今日は1301 プラス73 、5.94%の上昇だ。一方PFは7703が8422とプラス719、9.33%上昇だから低位株優位が際立つ。700万も毎月使うはずもないから金は勝手に増えるのだろう。安いものを買い持ちしていれば良いというだけの事である。特別に上がったというものも無い。どれもジリ高で短い陽線が5月から3−4本連続で出ているに過ぎないから利食いのタイミングはまだ先である。玉が寝る時間帯でありイジッテはいけませんねえ、寝た子は越すなと言いますし。
ということで能天気に旅行に行ったりしていたのだが、自分で書く記事はなんか「食い物」ばかりである。普段は自炊をしているものだから、自分の作った飯を写真に取るのは飽きるものだし、そもそもトーシロが柴田書店の料理本を見よう見マネで近い材料をなんとか見つけて家庭の調理器具で作る手前、そんな驚くような美味しいものが出来るはずも無い。だからプロの作った料理を食べて、ここはきっとこういうふうに作ったかな?と少しはわかるようになったというだけに過ぎない。俺ならこうするがというのはアレンジの材料と調味料ぐらいだが、辛いものが好き(カプサイシン大好き)なのでどうしても僕は唐辛子が多くなる。
こんな事ではそのうち専業主夫になるとまずいから、今日はちゃんと本屋に言って買い忘れていた MONKEYの3号を買った。一緒に文春も芥川賞の号なので買ってみた。選考委員に女性が増えて、日本は新閣僚も女性が5名だというし、ますます彼女たちにがんばってもらいたいものである。もう日本の男はダメであると自分も含めてそう思う。これからは女の時代であると正直に思うのでどうぞ彼女たちががんばって明るく楽しい日本を作ってほしいものである。
さてこの柴田元幸が発行する売れない文芸誌MONKEYは実にセンスが良い。第一号はポールオースター特集で初期の未発表原稿が乗ったし、売れない雑誌を売るためにわざわざ村上春樹のショートの書き下ろしを無理ヤリ入れてなんとか部数を伸ばして生き延びている。春樹は小説は大した事が無いと読むたびに思うが、彼の翻訳センスは宜しい。というのは翻訳が実に丁寧であるし原文に忠実であるという点と取り上げる作家に日本の出版社が見過ごしている大事な部分があるということだ。だから僕は春樹の小説は買わないし、あれば図書館で借りるが、彼の翻訳は全部買うという変なファンの一人だと思う。いつも感じることだが、日本では海外の翻訳ものが売れない。たまに売れるのは映画のハリーポッターとかおよそ文学というよりはパルプフィクションの類いでそれはそれで宜しいが、お金にならない文学が売れないまでも活字にならない状態というのはまずくねえかな?と思うのだ。そもそも本が売れるということは程度がひどく低いから売れるのであり、程度の高いものが(量的に)売れるはずがないという文学の逆説を考えると作家は苦しい仕事である。良い物を書けば書くほど売れにくいというのは歴史的な事実であり、一般的な芸術の共通要素だろう。死んだ後でやっと値打ちが確定するという意味で画家に近い仕事なのかもしれない。この雑誌が素敵なのは柴田自身が読みたくて買った本を毎号5冊上げてることだ。シティーライツで買った5冊の本と題して今回は以下の紹介があった。
無論邦訳はない。柴田自身が翻訳に手こずりそうな程度の高い英米文学という水準である。英語の得意な人はトライしてみたらよいと思う。
Jack London , John Barleycorn
James Agee and Walker Evans , Cotton Tenants
Peter Orner , Lsat Car Over the Sagamore Bridge
Rebecca Solnit, The Faraway Nearby
Bilge Karasu, A Long Day's Evening |
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諏訪湖の先に岡谷という場所がある。ここに「水門」22−7494 という地元民一押しの鰻屋があるというので出かけてみた。火曜日の昼間に満席で入店待ちである。60席ある店はうなぎの良い香りで食欲がそそられた。待つ事45分、特上うな重が出て来た。炭火焼きの香りが食欲を嫌でもそそるが残念ながら「甘い」のである。このタレでぶちこわしだと僕は思う。蒸しをしない直火で焼いているのは良いのだが、タレが甘いと素材の風味が壊れてしまうと思う。静岡、伊豆、山梨と中部はこういう甘い味付けが人気なのはなんでだろう。名古屋も同様に味付けが濃いのだが、田舎者はこういうアジが好きなんだろうなあと思う。トヨタ車のデザインがいつまでたっても田舎臭くてダサイのはこのせいだろうと思うのだ。オメーラ京都の割烹でも喰って来いと言いたいが、、、。
がっかりしたので北沢美術館で10年ぶりぐらいにガレとドームを久しぶりに見た。アールヌーボーも最近は話題にならないようだ。
増富温泉が良かったので、今度は鹿教温泉にも足を運んでみた。さらっとしたアルカリ単純泉で我が家の温泉とそっくりだった。あいにくの雨でかなり振ったので小川も増水している。日本各地で豪雨による災害が頻発しているが、インフラの限度を越えるような災害が起きるのは、地球環境が50−100年単位の曲がり角に来ている証拠なのだろう。対処は逃げる以外にない。踏ん張って守れば負けは確実である。いくら防潮堤だののり面補強だのしてみても無駄である。
津波の来ない高い場所、山崩れのない平な場所、つまり良い土地にしか安全はないのだからそのつもりで暮らす以外にないのである。努力の方向を間違えるというのが愚かな所だと思うが、そういう人が実に多いと思うけど、、。1300万もいたら何かあれば逃げ場がないのぐらい誰にでもわかるから、都会に済むリスクを少し真面目に考えてみるほうが良いだろう。良い事よりも悪い事のほうが目立ってきたような感じが強いのだ。
さて更新完了したので練習生宛の8月レポートをまとめた。レポートは個別の銘柄リストをつけたがブログでは公開しない。
練習生 各位 8月のまとめ
月足グラフを更新した印象は、指数の弱さに反して低位株の強さが目立つという感じがますます強まるということで、300円以下の低位株に関しては、指数や材料無視で強気で当面持続という判断を僕は継続している。総じて10年以上にわたるフラッグ、ペナントの煮詰まりが最終局面に入ったというような良い型のグラフが8割ほどに増えている。いわゆる満玉買い持ちで当面することがない(上げ待ち)というのどかで暇な状態ということで、いくつかは先行して昨年来高値を取って来るようなものも散発されるがまだ例外という感じだ。出遅れの循環物色でありまだ大きな相場というほどのスケールには至っていない。玉が寝るという状態の局面である。倍加するまではすることが余り無い。細かく銘柄を入れ替えても長い目で見ると同じ事であると思う。(あたんねえなということだ。笑)
上げの典型は6796クラリオンで昨年夏の110円が1年で4倍の450円まで押目らしい押目もなく4倍化の美しい波動を描いているが、今後材料などなくてもこのような持続的にジリ高で居場所を大きく変える低位株が1−2年で激増することが予想される。200円以下の株がなくなるような相場になると思われる。
長く続いた(23年)低迷下落相場にピリオドが打たれ、自然な需給によるリターンリバーサル相場ということだろうが、株主が全く入れ替わる大きな上げ相場ということでもある。この23年間で個人の株式保有比率は下がり続けているし、現在の戻り相場においても個人の売り越し基調に変化は無い。国内が売り越したものを外国人が拾うという需給がいつ変化するかがポイントで、そのうちに現金、債券と株式の保有比率のトレンドに逆転現象が起きると思われるが、その鍵は金利の動向ということになるだろう。まだ長期金利は低位安定が当面続きそうではあるが、株式益回りと利子率の歴史的な乖離がこのまま継続するはずもない。いずれ革命的な変動が起きるのは確実であり、その時に起きるのは、低位株の価格革命の激化であるという結論以外に論理的な帰結はなかろう。
さて今月の買い銘柄のリストを上げる。公開しても構わないのだが提灯が早めにつくのが嫌なのでメールにした。グラフをたくさん書いて行くと1200の中から煮詰まってそろそろ動きそうなものというのが自然に選択できるようになるだろう。場帳銘柄の多くが入っているが、それ以外でも良いものはある。何を外して、何を入れるかという入れ替えをするタイミングは高くなれば外し、下げれば加えるという入れ替えを僕は1年ぐらいですることが多いが、今回は年央にすることとなった。練習生はこのリストの中から順番に30年グラフをコツコツと10年かけて増やして行って欲しい。最後に頼りになるのは自分の感覚と技術であるのは言うまでもない。それされ会得できれば金の額など結果論の笑い話というのが相場師という職業なのだ。仮に職業的に長い間相場と付き合うつもりでいるのなら焦っても意味が無い。どんな人でも一人前に相場が張れるようになるのには、まず道具の整備からしか始まらないのである。感覚の基底となるものが類を見ないほど完璧であるか?と常に自分に問うてみよ。
8月に兆し陽線が出て突き抜けた蛇の目6445にしても2012年の50円の安値から100円に3回タッチして押して、その後月足で星を数回つけて煮詰まった後に上離れたというグラフの型になっている。現在このような安値で煮詰まって星が出ているものが半年後ぐらに大きく離れるというパターンが今後増加して行くというのが自然な流れであると個人的には感じるので100円以下の売られているものを拾うというコツコツ溜めるという動作だけを僕はしている。これも一番易しい買い方の例である。月足グラフ無しには実行できないだろう。
ラサ工、ナイガイ、東京機械、エコナック、ティアック、石川製作、OKK,エンシュウ製作、オリコ、アプラス、光世証券、大京など一旦昨年大きく2−3倍に買われたものが高値で掴んだ芋筋が投げたものを拾うという単純な安値買いによる増玉である。うねりとりの繰り返し売買であるがインターバルが長いのが今回の特徴だ。80年代の押しの60−90日が2010年代は150−300日に拡大しているのだ。アホでも倍加の簡単な例だがする人は極稀であり、すれば馬鹿でも金になる。難しいことよりも何倍も効率が時間的に期待できる方法論であるが実際に自分で経験しないとわからない事であり、そのような経験を一通りするのには最低でも10年の時間が必要であり、99%のアマチュアがその間に市場から敗退するのが現実なのだ。残るには感覚と技術であり、まず道具ということ、場帳、月足、折れ線と玉帳の4つの完璧な整備に尽きるのだ。ここを手を抜くから敗退してしまうのである。押目買いにしても長期にコツコツ拾うというポツンポツンと分割しないと焦れて投げるになりやすい。日柄に応じた操作ということもやはり経験がものを言うだろう。やってみなければわからないことである。酒田の教科書の通りにやればいくら金があっても足りないという事である。どう相場の状況に時間軸を合わせて(今回はすごくゆっくりと遅らせて)操作が出来るのかに結果はかかるということで、ネットの発達で相場知識自体は広まったが動作は反面刹那的になっているから(デイトレ、スイングの比率の上昇によって)ゆっくり相場が出来れば大勝ちする条件は益々高まるということが理解できよう。上げ相場なら遠藤さん流の買って2−3年放置して数倍で売れというのが基本的に一番容易に儲かるという結論である。
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玉村豊男が SINRA を復刊した。椎名誠が編集長で潰した雑誌だ。復刊に際して巻頭で玉村は高らかに宣言する。
『文化とはかたい食べ物をやわらかくすることである。また、自然の力を人間が制御できようにたわめる事である。そして文明とは、土地から土地の刻印をはぎ取って、ある文化から生まれた様式を他の文化をもつ人々に強制するシステムである。文明化された社会の中で、つねに私たちにつきまとってきたオブセッション。工業化されることによってのみ達成される近代化、無限に拡大することでしか持続できない経済活動、無機的な管理の強化と引き換えにしか得られない生活の便利と安全。それらに異議を唱えようとする者は、森の中に潜むか、山の中に隠れるか、はたまた社会の中で異端視されなければならなかった時代が、長く続いてきた。しかし今、世界は確実に変ろうとしている.自然の偉大な力を目の当たりにして、あらためて人間が築いてきたものの卑小さに気づかされた私たちは、海や山の営みに畏敬の念を抱き、森の生命に思いを寄せ、地球の声に素直に耳を傾けるようになった。(中略)私たちは拡大することなしに維持できる経済活動のありかたや、脱成長社会でのよりよい生活の質の獲得について、憚ることなく世界中の友と語りあうことができるようになるのである。その新しい時代の流れに棹さすために、ここに『SINRA』を復刊する。』 玉村豊男 SINRA より転載
20年位前だったろうか、ちょうど仕事を辞めて相場師になろうかなと考えていた時に玉村の本を読んだ、東部町というところで、都会の便利な生活を棄てて百姓を始めた酔狂な男の生活スタイルの本で、台所で男が真面目に料理をするような本だった。ストーブのある暮らし。身体を使って荒れ地を耕して野菜を作ってレストランに売る。果樹を育てて葡萄の樹からワインを作るという男の夢物語。都会の東大出のインテリで親父が日本画家の彼が、マジで百姓をやるのか?と驚いたが勇気があるし、こういうアホなことを本気でする男は好きだなと思った。それから20年がたった。東部町は東御市に替わり、田舎暮らしをする男も増えた。世の中が豊かになると金では買えないものが欲しくなる男もきっと増えるのだろう。そういう僕も現在は都会を棄ててリゾート暮らしのなんちゃって田舎者である。都会の便利な部分はちゃっかり戴いて、田舎の良い所も頂戴する。虫の良い話ではあるが、商売柄どんな場所にいても通信環境さえあれば飯は喰えるのだから、住む場所は快適で安全なことが大事だなと思って、温泉付きの豪華リゾートマンションを叩いて買った。3年住んですごく快適で満足している。ああ、やはりいろんな人がいたほうがきっと日本は楽しいよと思うのだ。玉村の言う「田園回帰の時代」というのはトレンドとしてもあるんだろう。リーマンのように都市に通勤する働き方しか選択肢の無い人は別として、そうでない生き方が可能なら、海でも山でも田園でも生活していくことは出来る。しかも都会よりも上質で快適な暮らしも十分に可能だと思うのだ。そんな思いもあって、玉村のワイナリーのある東御市に初めて旅行で立ち寄ってみた。レストランで3600円のランチコースを戴いたが、サーブは玉村の奥方がしていたようである。彼の庭園の写真をいくつか乗せよう。小雨と霧でくすぶる美しい庭だった。
酔狂な玉村はワイナリーを作るために60歳を過ぎて2億銀行から借りたという事で、その分絵を描いたり、物販をやったりして金を作ってるようだ。やりたい事がまずある。そのためになんとか知恵を出して無理筋でも前に進む。こういう生き方をする男が増えるといいんだかなあと僕は思うのだ。経済がどうであれ、きっととても幸せだろうと思うなあ。 |
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社畜の頃がなつかしい。絶対に戻りたくはないがああいう暮らしもあったのだと人様のブログを読むとたまにはそう思う。自分で好きで会社をやってはいたものの、社員がいるとそうそう自分勝手な時間配分というのは難しい。朝は嫌々でも出社しないとならないし、会議は自分が議題設定や目標数値を決めざるを得ない。労組の委員長をしていた手前、社員のギャラは当然以前よりも高給優遇を全体にするのだから、利益率を上げロス率を下げ単位労働コストを全体的に下げながら業績を上げるというパレート最適をせざるをえない。まあどこの社長でもすることに大差はない。したがってハードワークの連続でストレスと寝不足になりがちだ。
それでも使われていた時の5倍のギャラを取るにはしかたのない選択だったように思う。
月給が300万になると税金が馬鹿らしいほど高くなる。それでギャラは月給と社宅家賃(億ション)、交際費や車にいつの間にか変るようになっていった。それでも楽しくないのだ。最後のほうはもうどうでも良くなったからきっとあまりお金が好きなほうでも無いんだろう。金で買える満足など所詮は知れているが、無い時は欲しい物だと思う。いくらあると満足するのかは人それぞれだが、僕は個人的にはあまり欲望が強い方ではないと思う。贅沢が好きなのはそのほうが快適な事が多かったせいである。2000万する大きな外車に乗ればどこに行くのでも「あの人は金持ち」だという看板のようなものなので一々面倒な説明が必要なく適切なサービスを受けやすいというメリットはある。高速道路で追い越し車線に入れば9割の車はすぐにどく。相手は車間距離を嫌がってつめないから安全で快適にドライブ出来る。そういう性能ではない、相手の勝手な思い込みを使うにはお金が多少は必要なんだろうと思う。まあでも山奥で一人暮らしをするには現在はあまり関係がない。第一お金を使う場所は最短距離で4キロ走ったサークルKで、ここで散財しても10万も買う商品がない。タバコを1カートン買って5000円だ。それでも相場をやるのは、他にめぼしい暇つぶしがないからだろう。
今朝は寝坊して友人の電話で目が覚めた。10時45分。ネットを立ち上げると低位株が上がってる。指数はちょい高だが、PFは150万増だから半月給という所か。1日で1%以上PFが上がり始めたから、秋相場が順調に立ち上がり始めたということなんだろう。9月は低位株は大きく上げそうである。昨日までに1000枚ほど更新したグラフを見ると500円以上のものに陰線が多く、それ以下のものに陽線が多いという配分だから指数が鈍いのは当然である。なんでもかんでも当たり構わすに200円以下の低下株を買っておくと年末か来年の節分位には大きく居所を買えるのは間違いないんじゃないですか?と思うが曲がると文句を言われるのでまあ好きにしたら良い。5000万とか1億とかロットが欲しい人はそれなりのリスクを取る仕事をせざるを得ないのは資本主義社会では当然のプロセスでそれに手間と暇をどうかけるかは個人の好みなんだろうと思う。「反復と差異」という言葉を何度も書いたがもう説明するのも面倒だ。数年前に国営放送で野球のイチロー君の毎日の生活をリポートする番組があった。彼の昼飯は365日、毎日同じ奥様が作った特製カレーだそうである。同じ物を同じ時間に同じ量だけ食べるのが彼の仕事の一部なのである。するといつもと変った部分が自分でよくわかると言っていた。「アレンジとかしないのですか?例えばカツカレーとか」という質問者に「あり得ないです。食べることも仕事なのですから、変化を知るには前提に変化がないのが当然じゃないですか。」というコメントが際立つ。彼の華麗な動きを支えているのは日常の生活の全てを「反復と差異」という一点に集中するからなのだろうと感じた。僕の好きなピアニストにキースジャレットがいる。ほぼ毎年東京公演があるが、彼は必ず同じホテルの同じ部屋を手配するそうである。それが出来ないなら公演しない。余計な事に注意がいかないように彼は慣れが重要だと感じているのだろう。その彼の演奏は公演のたびに変化する。感覚が商売の人(野球選手とかピアニストとか)には前提となる基礎的な感覚の基底となるようなものが一番のよりどころということであるし、それを作り上げるのが一苦労なのである。相場師は当然、場帳とグラフからの変動感覚、比較感覚ということになろうが、くどいので省く。そう思う人はすればよいだけのこと。10年かかるし、ダルいしやれば全ての人が身に付くとも思えない。僕には出来たというだけの事かもしれない。
松本は好きな街だ。京都、金沢、松本はどこかしっとりとして好きな町だ。アルプスが見えて盆地で山に囲まれている。料理はすごい場所はほとんどないが、日本浮世絵博物館というのが郊外にある。広重のコレクションが素晴らしいので、東海道五十三次の絵葉書を買った。箱根の山がこんなに尖っているのはデフォルメしすぎの感じが強いが江戸時代の人は結構コミカルななと「まるも」というナマコ壁のカフェに一年ぶりに寄った。女性に人気のお宿、扉温泉の明神館が松本市内に「光屋」という料理屋を始めている。懐石とフレンチの2館で、今回はお昼に和食を食べた。といっても信州牛のステーキ定食だったが、、。なかなかいけるね。 |
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