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猫次郎のなんたらかんたら書き放題
お山の上から鴨を食うノマドライフは極楽ね

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石の上にも3年

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「石の上にも3年」という格言がある。何事も上達には慣れが重要でその体得には3年ぐらいの時間は誰でもかかるから、一旦新たな事を始めたら3年ぐらいは最低でも諦めず努力してみよというぐらいの意味なんだろうと僕は理解している。
さてこのお山の上から鴨を喰うノマドライフもきっちりと3年がたった。アッという間という感じだ。もう59歳だしあと3年で「年金支給」の立派な高齢者、孫も3人いるから正真正銘の日本のお荷物の爺の部類に突入しているのだろうが、今の所頭以外にあまり悪い所はないから不便するようなことは無い。だが加齢による視力の低下とか物忘れなんてのはしかたがないと諦めるから、「悔い」というものと無縁になってくる。元来、「悔い」だの「反省」だのは子供に頃からあまりしないほうだったように思うし、暗くて辛いのは大嫌いである。それよりは「ウハウハの楽しい今日と薔薇色の明日」の事ばかり考えたほうが気分が良いに決まってる。なるべく働かず、嫌な事、面倒な事は他人様に押し付けて、札束で顔を叩いて買えるものは買えば良し、その上がりをそっくりと後から全部まとめて頂戴するというのが相場師の商売柄当然の生活態度であり、現時点でもそういう生き方にいささかの変化も無いのであるから、人様の1/10の労働で10倍の快楽という当初の悦楽比率の達成は満たされてるように思う。こういう暮らしをまず3年、石の上でしてみるという事だ。実際は石の上ではなく山の上、雲の中の生活であるが、なかなか宜しい。当時(3年前の7月)ここを見たときにリソルというリゾート物件の販売会社(三井不動産系)の株価を見ていて、底の底だよねと感じて、それならリゾート物件全体も安いよねと思って買う事にした。投げ物があったのは、大震災の後で需要が元々全くない、売りばかりの悪い時期に急いで売る必要のある人だったから更に値引きがあった。
半年で1600万から1280万、980万、900万と3回も急激に下げたという事は、よほど金に困って売りたかったということだろう。たった4年しか前の人は住んでいない。バストイレと床、壁、畳を全面改装していたからそれだけでも500−600万は追加工事をしたはずでご苦労な事である。結局870万で僕は買った。メルセデスより安いのね.(笑)時計より安い!売り急ぐと半年で半分になってしまうのだろう。発売当初は1994年バブル崩壊後の遅れた工事の関係で(高層物件をひな壇式に変更したため)、億ションで売れたのは3割に満たない。あの大魔神がフェラーリでゴミ置き場の脇から静かにご入場していた時代である。1/10に物件価格が下がっても固定資産税とか管理費は下がらない。保有するだけで最低年間100万以上の余計なお金がかかるからそれぐらいの無駄が出来る人しか買えないし住まないということである。だから「お品」が宜しいのだろうが、お高い人が多いようだ。お品の良いご老人もかつては社長様、お医者様、国営放送のディレクター様と偉い人が多いんだが、お金は大して持っていない年金暮らし、金融資産が数億円というようなのは多分120戸の住居でもあって数戸だろうと思われる。それでも郵便受けには証券会社からの売買報告書が結構いろいろ入っているようだ。郵便屋さんが集合ポストに入れる時に見えるからよくわかるのである。だからそこから700万、こちらから500万、お隣から300万と僕の所にお金がいつも市場を通じて流れて来る。今日も蛇の目祭りは続いているから朝からもう3時間で100万円上がっている。低位株はもともと安いから指数なんて無関係で、日柄が立つと自動的に上がる状態であるから、なんでもかんでも周期的に安値付近を散らして買いさえすればどんな馬鹿が目をつぶっていても今なら儲かるのである。「イレグイ」「お金が落ちている」のが見えるのか見えないのかだけの差であるのだが、見えない人にはきっと見えないんだろうと思う。
 物の値段というのは「使用価値」と「交換価値」の二つがあるとマルクスは書いているが、豊かに暮らすコツはきっと使用価値の高い物件を交換価値が極度に落ちている時に通貨交換するのが宜しいということなんだろう。日本中が大災害でてんやわんやの時に、こっちも追い出されててんやわんやなんだが、追い出すからにはお金頂戴と言ったら500万くれたので、それで少しお小遣いを足して買いましたけれども、こんなもんを長いローンを組んで買う馬鹿が多いから、不動産会社が飯が喰えているのだろうと思う。なんか金の使いかたとか稼ぎ方とかド下手な人ばかりいるから、僕のような怠け者のほうが楽しく優雅に生活できたりするのだろう。反語的生活とは非都市的生活であり、逃走線に沿ってトンズラして、必要に応じて振る向いてお金をかっさらって逃げるノマドライフというだけのこと。振り返るタイミングは場帳とグラフに書いてあるのだ、そういう地図と数値の読みを覚えるにはやはり石の上にも3年ということであろうか。
 さてこのお盆の時間はしこしこまた50年グラフを書いていた。東京機械と日本化成、日本ケミコンの3つを書いた。どれも食べごろの美味しい時間帯にあるように見える。2−3年で3−4倍には最低なるなと思うので、1億の買い玉なら3−4億にはなるんだろう。もう生活上で必要な物がないし、どうでも良いのだが、お金というのもはこういうどうでも良いような人の所にいつも集まってくるんだなあと経験的に思うのだ。「自家発電機」があったな。50万ぐらいでガソリンで発電するやつだ。これを買うか。ガソリンタンクも300リットルぐらいのが欲しい。そんなもんは何時でも買えるのだが運搬保管が面倒であるから、ついつい後回しになる。富士山が爆発したり、北朝鮮が御前崎の原発にテポドンを打ち込む前には買っておく必要があるかしら?(笑)そんな危機的な時に生きてるかどうかもワカランのだから、今日は映画でも見に下界にでも行くかな。50歳を超えたら夫婦割引2200円でいつでも見れるの知ってる?
 下界は曇っている。暑そうだな!

蛇の目祭り!!

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先日来、場帳銘柄でご推薦のジャノメミシン6445、JUKI6440 が活況で久しぶりの出来高でちょっとびっくりだ。出来高上位に6445が食い込むなんて僕には記憶が無い。普段は100万ぐらいが多いのだが、8/6に1300万、8/8に2600万、8/11には6000万も出来ている。それ以来連日2000−7200万と超活況で新高値を更新してもなかなか押さない。
 保有している株は全部利食いが可能だが、3割ぐらい取れてもしかたないので倍加する位までは放置になっている。ちょうど昨年末に
8013ナイガイの倍加を取った時の動きに似ているが、こちらのほうがさすがにかつての仕手株だけあってジリ高に凄みがあるのだ。
ということで、ある方から資料をお借りしたのでさっそく1969年からの長期月足グラフを昨晩から書いているのだ。
 
 1969年が僕が14歳、中学生である。ちょうどタバコを初めて間もない頃の不良中坊だったころだ。
1969年 年足 180 258(11) 171(6) 238
1979     365 393(1)  250(11)269
1989     3780 4220(12)2900(2)4050

10年ごとの年足を書いてみるとこんな感じで、桁が間違っている?と思うほど上値は高い。1990年6月は5000円の高値がある。因に今月の14日までの足は 91 121(13) 90(1) 116 となっている。データ場の最安値は1971年8月権利落ちの135円で100円以下は1990年まではない。だから100円以下の株価は過去の最低の最低レベルであるというのがわかる。だから今月30円ぐらい上がっても別に驚くには当たらないということになる。興奮する要素は全くないから、まあ10倍になったてもたったの800円か900円だ。400万ほど仕込んでいるので、10倍なら4000万で美味しいよねと思うが、そうそう簡単に10倍にはあんらんだろうが、2−3倍なら半年、1年でなっるんじゃないの?とデータを見れば誰でも思うだろう。
だから売り込まれて底練りが済んだか、済みそうな低位株というのは変動率(上昇率とほぼ同義)がデカイのでまとめて買っておくと楽dということになる。そういうのの押目を適当に買う。ということで今日は4022ラサ工を寄りで−4と増玉。(139)他に5302の日本カーボン 179 −1、9132 中央汽船 90 −3と買って、9107川船 226 3−と利食いしてみた。同じ船でも高い9107を3枚売って、安い9132を−3と買い、ここからまた6枚下値を買って行くつもりである。クルクルとやっても良いし、粘って放置でも良い。気分次第であるから決まり事なんてないのだ。全部いい感じで動くだけである。

 昨日、4022ラサの決算があって、少し減益だったらしく後場売られていた。僕は材料で売られるというのは値動きが「追っかけ」であるということだから、チャンスと思って当然増玉になる。目先高値160円から20円ほどの良い押しでつまり下ヒゲなんだから4枚(2口座分)増して平均を下げるチャンスである。一方で川船は2週で1割上がったので3枚ある玉を落として資金を作り、それで同じ船の単価が半分の9132をとりあえず3枚建てて枚数確保で、残った金で4022を建てるというような銘柄間の移動によって利食いを入れつつ単価を落として総数を増やすという作業を、リズムとかうねりを使って実行するということである。まあ20年もやっているとそんな売買になったが、自分的には同じ一つの低位株の鞘の有利さをどう「買いの片張り」だけで泳いでいくのかという事だが、きっとほとんどに人には理解も出来ないし、実行もできないだろうと思う。これも慣れによる感覚売買であり、譜にしてみても、チンプンカンプンで理解不能だろうが、本人だけは明瞭に感じてわかるという世界である。
 さてここに来て、大分煮詰まってきたものが増えて来たようだ。材料を追うようなものもあるが、低位株は金融緩和だけの理由で、突如大きく動き出すというような例が実際に多いのだ。金が余れば何かに向かうというだけの自然な流れであり、これが大相場を作る最大の理由である。だから悪材料には無条件で向かえというのが当面正解だろう。25年も売られて数10分の一に叩かれた株が潰れなかったというそれだけの理由で3−5倍に戻るぐらいは、一般的なリターン&リバーサルでは「当然の当然である」と思う。
だから50円の蛇の目ミシンが300円に戻ってもそれは単に1970年頃の値段に戻ったに過ぎない。本当は1990年の4000円ぐらいがあったほうが面白い!「そんな馬鹿な!」というような事が起きるのが投機の世界なのである。
 だから30円ぐらい押してもへこんじゃ長丁場はモタナイよ!「押目、押目!」と小踊りで買いに行くようなのが酒田の逆張りである。「突っ込みと押しは無条件に買い、買い、買い!」である。「ひよこちゃん、わかった?」
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景況感に温度差が著しいようだ。二極化と言われるが、税制と所得の内容で今年は変化が大きく出ているのだろうと思う。16年ぶりというほど高めのベアや定昇があった割に、6月の雇用者所得は増税の関係で前年比でマイナス3.6%と大きな落ち込みぶりだ。派遣など正社員でない人が急増したせいで、その分だけ増税で消費が落ちたということかもしれない。スーパーとか外食の販売が振るわない。増税分を控えてるのだろう。住宅も駆け込みが終わって、販売サイドが供給を前年比10%ほど絞っていること、人件費の急騰で販売価格を上げざるを得ないこと、都心部の土地供給に大型のものが少ないことなどから一時的に前年割れになっている。ただし今後更にあと2%上がる消費税を考えれば、買いたい人は別に躊躇する理由は無い。また自動車もドイツ車など高級車は軒並み5%以上前年比で伸びていることから、富裕層は増税は無関係で、むしろ資産価格の上昇のメリットのほうが何倍も大きかったという事だろうと思う。
 都内で立地の良い億ションは完売というから、ローンがどうのという層でなく、投資用にポンと現金買いというのが多いそうだ。「金余り」ということである。買っても賃貸には出さず自分でも住まず、そのまま放置して値上がりを待って売るということで、これは株と同じ事だ。面倒な事はしないという事だろう。
 企業業績は団塊世代の高齢者が退職してコストが下がったせいもあり、新規雇用は大卒中心に売り手市場だという。入れ替えによって総人件費は下がるので少し売りが伸びれば、一気に利益が出やすい体質に変ってきている。円安の割に販売価格、輸出価格を下げないから利益面からは漸増する所が多く、決算は増益基調で底堅い。事実、復配、増配が増えている。消費税アップと同時に販売価格を上げる動きも出て物価は実質的に上がってるというということだ。企業は手元資金が余る状態にあるが、設備投資にはまだ慎重な所も多いようだ。海外が中国、欧州が弱いので増産投資があまり国内では出てこないという所なのだろう。
 もともと人口減が定着しはじめたから、国内の数量景気はもうほとんど望めないから、付加価値投資以外に国内産業を伸ばす要素はないが、富裕層以外の老人消費は芳しくないというところだろう。寿命が80歳付近まで伸びたせいで60歳からの20年をどうやって生きるかを考えると所得手段が年金しかない世帯はどうしても保守的になるのは当然だろう。生活保護は300万世帯というから老人層は貧富の差が勤労世代より大きくなっているという事だろう。お金がないのなら働くのが一番なのだが、高齢者の雇用は極めて限られるから狭き門だろう。自分で仕事を持っていた人はそれですむだろうが、リーマン時代に後を考えて準備していないと苦しいだろうと思う。勤め人と商売人は全く異なる仕事だろうと思うからだ。リスクに関する感度が天地ほど異なるから、大抵リーマンをやめて趣味の小商いをすると9割以上の人がすぐに2年もしないで潰れて足が出る。3日前に中野のバーが倒産して自己破産の通知が弁護士から来たそうだ。マダムが良く行くバーだった。40代の脱サラだったそうだが2年でダメということだ。マダムが居抜きで10年前に買った花屋もリーマンの奥さんの趣味で始めた花屋だったが3年で潰れてうちが買った。売り上げは買う以前の3倍以上になったから、いかに甘い商品構成と温い仕事をしていたのかと思う。毎月何十万も赤字になれば、勤め人の小遣いでどうなる額ではなくなる。あっという間に一年で数百万単位の赤字になるし、店を閉じれば閉じたでまた金がかかるのだ。
 終身雇用の弊害と言えばそれまでだが、企業を辞めると所得手段が途端に無くなるという人が一番困るだろうと思う。何か手に職があれば、熟練によって時間をかければ付加価値が生まれるものだが、勤め人はそうはいかない不器用になってしまっている。人生のキャリアプランを一旦会社に勤めると考えなくなってしまう弊害なのかもしれない。その会社以外では使い物にならないという事で、そんな仕事の質では他ではどうしようもない。リストラされればアウトということで50代で割の良い仕事は終わりになるという事だ。
発想が柔軟なら所得に応じて生活サイズを変えれば良いが、ローンでがんじがらめでは手も足も出ないということになりやすい。都心の高い住居費に利息まで払って住むには低賃金では土台無理な話である。
 先週の金曜のSQで一時的に指数は売られたようだが、低位株はもともと安かったせいもあって連れ安ででも数円だった。反面225採用とか大型の低位株は年初来安値付近まで再度売られたものがいくつかあったので軽く拾ってみた。この二日でスルスルと一応は戻るがまだ鈍い感じ。反面、年初来高値を今日も96ほど出ている。昨日の蛇の目、今日のプリマハム、JUKI,オリジン電気など、場帳銘柄がポツポツ高値更新しているからまあ順調に循環物色しているということだ。
2月、4ー5月、8月と三尊かW底になるものが225低位には多いという結果だが、これは11月と2月のWトップに今後なりやすいという事でもある。半年前後の周期のうねりになっている。
 あと3年は国政選挙が無いということは、政権はリフレ政策一直線で突っ走るのは既定路線。インフレ、増税、金融緩和に公共投資と手揃いでオリンピックこのまままで突っ走る。「後は野となれ山となれ」が見え見えである。リーマンショックの時にリチャードファルド元CEOが議会の公聴会の質問に答えていたのを思い出す。
『音楽が鳴り続ける限り、我々はダンスを止めるわけにはいかない。』
阿部ちゃんも黒田君も気分はきっと同じようなもんだろうと思う。官製オーケストラはまだまだ続く。

お一人様の老後 2

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 先月グラフの会というのをやった。目的は「きとんと道具を揃えるという事の重要性とその現実的結果」というのを若者に直接認識させるという事だった。別に他人にこんな事をおせっかいでするのは酔狂と暇つぶし以外に意味などないのだが、「老後は暇つぶしというか人生はいかに優雅に暇をつぶすかというのが優れて職業相場師のお仕事」であると思うからでもある。そういう男を多分一度も見た事が無いだろう。俺が死ぬ前に珍しいはずだから一度見ておけという事だ。動物園のパンダみたいなもんだ。
 総じて相場師で生き残るのは僕の周囲では「慎重でケチなタイプ」が実に多い。つまり金を稼いでも使えない人間である。典型的な日本人の貧乏性を絵に書いたタイプでそれなら元々面倒な金儲けなどやる意味がない。時間の無駄である。それは彼らが相場で実際に何度も痛い目にあって、金の足りない苦労ということを人一倍味わっているからに他ならない。爺さんは4回も破産したというから、よぼど常に張りすぎのアホを実行していたということだ。欲望と資金の自己管理が出来ない相場ジャンキーだったという事で、無論褒められた話ではない。爺さんがちゃんと資金管理がまともに出来たのは60代になってからでないのかと著書を読んでいて感じる。それで会う人全員に「張るのは控えめにしろ、満玉張るな、片玉1/2」などと自分では出来もしなかったことを説教した。まあ相場師というものの心理を何度も破産して熟知していたせいだろう。それから「10億作れ、最低でも5億」というのは誰にでも言っていたようだが、僕は言われなかった。たった2回お会いしただけだったが、、。きっとこいつには言っても意味が無いと思ったからだろうか?
 僕はまず奢侈をして使うために相場を張るのだから勝ったら適当に遊んで使う。目的と手段をはき違えたりはしない。そのほうが身体と心に良い感じが自然にするのである。これはお祓いと同じことであり、相場で死んだ霊の弔い行為の代償だろうと思う。お祓いをすると当然ご利益があって、するとまた同じように勝つ。その繰り返しが相場をすることである。入りと出の組み合わせを持って完成するから、そのバランスが相場をする事と同義である。だから蓄財の額が5億も10億も無意味に他ならない。いくらでも宜しい。50億でも100億でもかまわんし、5000万でも1億でもかまわん。それ以下だとそもそも相場を張れないからあまりに少ないと意味も無いが。業界で1億以下はゴミというのが常識だから、まあゴミ程度で普通の人なら十分楽しめて宜しいかと思う。

 翻って僕の周囲には優雅な相場師なんて一人もいないのである。こいつらアホちゃうかと思うのは、貧乏癖が抜けないのならもうまとまった金ができたのなら相場なんてしなけりゃ良いだろうにと思う。少し大きくなればその出来た金でちびちび暮らせば相場なんてしないでもきっと十分死ぬまで生活ぐらいできるだろう。相場を張るのが「強欲のせい」であるのなら、その欲を何か別の物や事に変えない限り、(所得の移転行為を実行しないかぎり)社会性という意味では存在意義が無い「ただの無駄」である。「分相応」という言葉があるが、稼ぎに応じた消費というのが言葉の一般的解釈であろう。この「ただの無駄」のような老人比率が預金残を含めて他の国と比べて圧倒的に高いから日本の空気が暗くなるのだ。年寄りがバンバン金を使って楽しく生きるような国ならもう少し日本は明るい良い未来があるだろう。そもそも「オレオレ詐欺」に会うような事は金が無いなら起き得ない。クソ真面目に使いもしない金をコツコツ溜め込む国民的貧乏人根性をなんとか改めて優雅な老後を楽しむ以外に現実の幸福なんてないんじゃないの?というのを形で見せるのは若い人以外には効果も意味も無い。50を過ぎたようなくたびれた奴はもうどうやっても変りよう無いのである。だから参加に年齢制限をつけたのだ。老人は全部そのまま惰性で過去の生活習慣に引きずられて生きているのだ、大半が。講習会後の生徒のメールには、大きなメルセデスでグイグイと太いトルクで登る山道の走り味は素晴らしいという感想が数名から来たのだが、この走り味だけのために無駄な金を支払うというのが相場師の現実的な金の対処法の一つである。そういうどうでも良いような下らない事にために強欲はあるし、そういう強欲なしには奢侈も文化も進歩も動機がないのである。年金暮らしをするという一般的なリーマンの老後とはいかに異なる明るく馬鹿げた消費の未来を若者が感じないかぎり、金などいくら積んでみても何の意味も無い、単なる記号の寄せ集めである。相場師の社会性が仮にあるとすれば、このようなゼロサム社会で貧乏人を蹴落として毟り取った金をいかに消費という行動で一般化するかしか方法論などないのである。「呪われた部分」と僕のいう相場師のお仕事の重大な部分ではある。良いも悪いもない。そういうものだと言う事で、嫌ならしなければ良いだけの事である。日露戦争の時に大勝ちした相場師が今の金で一晩で2億使って芸者を上げて豪遊したという話を聞いたことがあるが、そういう馬鹿げた金の使用でもちゃんと金は回るから普通の人の数百倍の貢献があるという事になる。相場師にあるのは今現在のこの時の快楽であって、未来の安心などないのだ。単に現在があるだけである。明日はオケラかもしれない商売なのだから、戸板一枚下は常に地獄だ。投機とは未来を担保に現在を費消する記号の微分である。


 相場師という職業=税務署の区分では職業と分類されないが が仮に職業だとするなら特別な仕事というほどの事ではない。職業とはゴハンを食べる手段であるから、目的も動機も他とそう大差があるはずがない。仕事とは総じて生活の糧であるというだけの事。少し変っている部分があるとすると、売り買いするものが物やサービスではなく「価格という記号の時間的交換である」という事にすぎない。記号と記号を時間軸の中で微分する仕事と言えるだろうが、そういう認識の人はきっと多くないだろうと思う。売買ロットが大きくなると、当然結果もその価格差に応じて大きくなる。その価格差が生活コストと比較して大きくなれば「遊んで暮らす」というような一見勤め人には夢のような生活が実現するというわけである。記号交換は労働時間量とはほとんど関係がなくなる。1000株も100万株もクリック一つは変らないから仮に1回の売買で50円抜くと1000株だと5万だが100万株だと1000倍の5000万の利食いになる。ここが記号の記号性であり、実際の物やサービスの交換過程と決定的に異なる省力化のメリットが抜群に現れる部分である。「手抜きの商売」と言える。交換過程の時間軸では波に乗った玉は寝ている。利食いを粘れる以外に大勝ちはないからだ。大相場師は総じて「引かれ腰が弱く、利食いが遅い」に決まっている。玉が寝ている間は相場師も同じように寝ているのだ。
 さてきちんと道具を揃えるという事は、「流儀に応じて」ということで、僕はスイングでも短期でもないし、低位株の長っパリという流儀であるから、それに応じた道具という意味で、それ以外の方法にこの道具が役に立つかどうかは興味もないし知りもしない。馬鹿の一つ覚えだし、一つあれば飯が20年喰えていることをわざわざ面倒なことを増やすような熱意などかけらもない。相場は商売であるから、儲かれば良いのである。ただし勤め人をやめてもう30年が経つから、勤め人の苦労を全部忘れているし、それが嫌で始めた商売なんだから、今更彼らの気持ちがわかりたいとも思わない。そんなものがわかったところで相場は1ミリも上達などしないからである。貧乏人根性というのがあるが、相場でこれが役にたった記憶は無いと思う。弊害ばかりでロクな事が無い。例えば道具の整備に手間と暇と金を存分につぎ込むことが上達の近道だというのは別に僕に限らないと思う。だから仕事で最も優先することがこれである。あとは価格に関する感覚とその分割技術を縦横の軸(価格と時間と銘柄)でどう実行するかという点であり、これは無限の順列組合せがあるから結果的に「個性」が嫌でも出るし、それにより結果も大きな差が出るという当たり前のことが起きる。同じ道具、同じ銘柄、同じ時間軸で同じ方法論で実行しても、上手い下手で結果は数倍、数十倍、あるいは大損と大勝ちに別れるのであるから、ヒエラルキーのトップ、三角形の頂点付近に常に留まるというのはきっと高校野球に参加する高校球児の中でプロになってレギュラーで活躍するような人の比率ぐらい多分大変なことなんだろうと思う。
 練習生に「長期グラフと折れ線グラフと場帳」を実際に見せることで、彼らはこれを1200枚30年間書いている人間と同じ市場で闘って勝ち残ることが必要であるという現実を見たという事だ。しかも資金量が数十倍、数百倍の相手であり、何時間でも相場のために時間を空けることが出来る相手との勝負事である。「いかに自分が不利な状況での仕事を強いられているか」という自覚が生まれれば、「軽い気持ちで玉を建てれば命取り」という自覚がいやでも生まれるはずである。3億ある人が3000万相場で評価損が出てもどうと言う事は無い。残りの27000万ですぐに3000万以上を取り返すことは容易に可能だが、3000万しかない人が3000万失ったらそれで相場人生は即座に「終わり」になる。「欲望と恐怖」というが同じ3000万に対する心理的、現実的ダメージには比較しようもないほどの圧倒的な差がある。その差が現実の玉操作に決定的な違いを生んでしまうのである。僕などは「ナンピン買い下がり逆バリ」が常だから底打ちまではいつでも評価損が常に出る。どうせ毎回数千万出ることも多いからそれならメルセデスの1000−2000万を先に使って遊んだほうが得だよねなんていつも思うのだ。だってそのうち何億かはいつも儲かるのだから車なんて何を買っても誤差の範囲である。年間生活費そのものがもう誤差の範囲なんだからいくらでも同じ事になってしまった。
 つまり他人にとっては奢侈に見えるものが当人には誤差でしかない。そういう世界に生きているということだ。だから自分がそうならない限り理解なんて出来るわけが無いし、理解したところで一向に相場が上手くなるなどということは起こりえない。それにはどうするのか?貧乏性を直すことに尽きると思う。稼いだ金を使って奢侈をすることで「お祓い」をする。すると不思議にお金はまたやってくる。エネルギーが循環であるかぎりに極めて合理的な説明なのだが、理解できる人はいない。まだ会った事がないのだ。仮に必要性のないものがこの世に存在する意義がないとするなら、相場師の必要性とは何か?というのを全体性の中で考えてみれば宜しいだろう。そういう視座を待つ事が無い限り運などやってはこないんだろうと思うほか無い。
 相場師に限らないが、世の中で大きく成功した人を見れば実に運に恵まれている。それは何故だろうか?無論、人一倍努力をするとか、多少の才能があるとかは前提として必要としても、何故このように決定的な結果の差が個人で生まれてしまうのか?僕にはどう考えても個人の才能と努力だけでは説明がつかないのである。運という不思議なものが味方する人とそうでない人の差とはどういうことだろうか?科学が答えない事柄である。

台風一過となったが、お盆の季節柄、困った人もきっと多かったんだろう。でも静岡の空はご覧の通り、海と陸を境に空もきっかりと二分されている。晴れと曇り。光と影。世の中の比率がどうかは知らんが、明るいほうが人生は多分楽しいのだ。明るい空を引き寄せる力を信じることが幸福の鍵だろうと思う。

お一人様の老後 1

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ジェンダーのヒロイン上野千鶴子大先生が「お一人様の老後」を書いてからしばらくがたった。彼女の論考は「スカートの中の劇場」ぐらいから良く読んでいた。女性という特殊性から「女をみるんじゃねえよ!」というつり上がった目は恐いので、軟派しようとは思わない対象であるが、ジェンダーの気持ちは「そうなんだ?そうだよね」とわからんでもない、ちょうど長姉がこんな感じの弾けた女で男をコケにして喜んでいるようなタイプだったし、我が家は女系家族で男は「徴」(しるし)以外に大した意味が無い、女が強い家だった。
 それでも孫が小学1年生になる頃には、次は俺の番であるという事ぐらいは馬鹿でもわかるから、死に支度というのを考えないでもないが、誰の役に立っているわけではないし、誰かの世話になっているわけでもないから(直接的という意味で)気楽ではある。いてもいなくても「(金のことは別として)どうでも良いという立場は気楽だ。責任感が元来ないタイプで群れとそりが会わないのだから、集団生活は無理である。それより集団を見て、それを襲って強奪し、略奪し、殺戮し、というような物騒な映画のほうが好きだから、生活もどうしても好きな方向に流れる。銀行強盗とか列車強盗みたいな映画が好きなのだ、秩序を破壊する快感!一方でNHKの「プロジェクトX」みたいなのはダメである。「ハーン、そんなのあんの?」と興味が湧かない。
だからお仕事も結局、そういう仕事に近いものに自然になったと考えるほうが納得がいく。高校の世界史で、中国の古代史で「匈奴」というのがいた。万里の長城は月から見える唯一の人工物だそうだが、それ以来これだけの規模の人工物を人類は作れていないという意味で、千年規模でも大した進歩もなかったんだろうし、それぐらい匈奴の脅威は都市の政権にとっての最大の外敵であったという事だ。「文明の脅威となる動機」ということか?僕の得意な「呪われた部分」である。都市は人間の脳が作り出した理想空間だという養老さんの指摘が正しいとすると「お山の暮らし」というのはある意味反語的である。
 どれぐらい都会と比べて変るか?というのは実際に住んでみれば段々とわかってくる。一例は住み初めて3−4日して買い物に出かけ、食料その他を大量に買い込んだ時だ。買ったのは三島にあるSCの輸入食材店である。コーヒーの粉とかポテチとかアンチョビとかワインとかチョコとか、まあすこし洒落た食い物である。帰宅してさて収納をと思って袋を開けると、ポテチその他の袋がパンパンに膨張している。今にも破裂寸前の膨らみようである。「ハハー、これは気圧のせいだな。」とピントきた。写真の通り現在952へクトパスカル、台風の中心気圧より常に低いのである。これが人間の生態系にどう影響するのか?は「耳が聞こえずらい=鼓膜がポンと抜かないと幕がかかったようなくぐもった音になる」という現象がまず起きる。それからポテチの袋ではないが、体内の物質が外にふくらんではみ出しそうになる。空気が少しは薄いし酸素濃度が少し低いはずだから(森が多いから酸素総量は多いのかもしれんが)呼吸は深くなるだろう。排泄頻度や量が増えている気がする。目ヤニとか涙がすごく出るのだ。だからきっと代謝が嫌でも活発化している気がするのだ。まあ一日3回の温泉浴のせいも大きいだろうが、、。流行の天然デトックス?
 浴室は広いビューバスで、換気用の窓がある。開けたままにしていると時々白く曇るのだ。霧?と最初は思ったが、それは霧ではなく雲そのものであった。つまり雲の中で生活しているのだ。都会から見上げる雲の高度にちょうどいることになる。標高で600メートル。東京スカイツリーぐらいだろう。結構な高さである。因に国道1号線東海道の最高高度は780メートル、箱根の芦ノ湖の隣のお山である。それと大差がない。「箱根の山は天下の剣」というぐらい尖った険しい山という意味だから、人力で登るのは200年も前はしんどい作業だったのだ。そこに住んでいるのは「獣」であったということで、どうしても獣に近くなってくるんだろう。「喰う、寝る、遊ぶ、取って来る」という4原則で生きるのが自然になってくるのだ。
「買う、売る」という感じが薄くなる。市場に行って、確かになにがしかのお金を払って、野菜や肉、パンと牛乳を買うのは買うのだが、餌をこっそり取って誰にも気がつかれないように静かに巣に戻るというような心理的な雰囲気満載なのはなんでだ?自分に取って不要な物(金)を相手に渡せば、有用なもの(貴重な食料)が手に入る。相手はこんな意味の無い記号のような紙を貰って喜んでいるのだ。こんなものトイレで尻を拭くのにも役に立たない。銀行にいけば幾らでも出て来るんだ。それをちょっとやれば、夢のような世界中の品々がたくさん手に入る。(実際はカードだから勝手に交換される)「記号が物に変る瞬間」である。嬉しい!実際に山では通貨はガソリンを買う以外は何の役にもたたない。「店」が一つもないのだ。一番近くのコンビニまで4キロ(3年間に来た当初は8キロ!)あった。
文明とのこの距離感は思考を変えるのは当然である。かといってお山のフラットそのものと移動の車は現代技術の最高峰のピンのピンで作られているという点が大いなる矛盾なのだが、まあ金でカタがつく事だ、所詮。

さあて、6月に仕込んだアンチョビが初出荷となった。まだ発酵が若いがピッツアなどにはこれで十分行ける。一瓶使用に2ヶ月ぐらいかかるのでこれを食べ終わるころに残りの(まだ7割以上ある)フィレを仕込む。
適当に水洗いしてペーパータオルで水分を取る。それをお菓子の瓶でもなんでも良いからアンチョビを入れて
好きなハーブ(今回はベイリーフ、タイム、唐辛子)を入れてバージンオリーブオイルを入れて満たす。その後3週で完全無敵の自家製アンチョビフィレが完成するのだ。市販品よりずっと美味しいし豪華である。これで作るピッツアやパスタやサラダは最高よ。材料代は50円か100円だろう。でも売っていないのである。
時間(3ヶ月)と手間の芸であると言える。駿河湾のカタクチイワシが山の上でピッツアの具に成る不思議な生活が僕のお一人様の老後である。

今日は台風日和だ。四国は1月で2000ミリ(2メートルだ!)の降水量だ。地球もやはり少し狂ってきた。人間だって同じだろうと思う。
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