「今の日本の飲食店は、構造的に法を犯さないとやっていけない」「昔、月400時間働いていて年2回しか休みがなかった。ブラック企業のさらに上の企業なんて他にいっぱいある」と“氷山の一角”にすぎないとする指摘や、「高校野球での連投」や「『島耕作』(弘兼憲史さんの漫画)のような働き方」が称賛される日本社会の根底にある「猛烈な働き方を美徳とする土壌を、一部の人間に悪用されない仕組み作りが必要だ」という主張も。
このほか、あるツイッターユーザーは吉野家の「牛すき鍋膳」が成功した一方で、すき家が今春「牛すき鍋定食」を始めた結果、アルバイトの離職や店舗閉店が相次いだと分析。「社内で議論を重ね、什器(じゅうき)の専門化やキッチンの対応強化など万全の体制で挑んだ」吉野家と、「やればできる」という上層部の成功体験から「できないことに挑んでしまった」すき家とを、経営姿勢の観点から比較、分析している。
ゼンショーは深夜の1人勤務の解消など、問題の改善に動いている。「牛丼がこんなに安く食べられるのは、裏で店員さんの犠牲があるからだ」。あるネットユーザーの書き込みは真理を突いているが、その常態化は許されないだろう。
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今年のブラック企業大賞というのが毎年あるらしい。一昨年は東京電力が金賞だったとか。まあヒドイんだからしかたがないが、今年は牛丼屋が取るらしい。月に400−500時間ってどういう世界だろうか想像もつかないが、よほど剛健な人でも続ければ健康を害する時間だろう。全部立ち仕事、水仕事、火の仕事だから辛いにきまってる。僕も台所で牛丼作ることもあるが、1−2食作るのに多分10分か15分(ゴハンを炊くのは別だ)かかる。ゴボウ、タマネギ、ネギと茸を切って、酒、みりんと出汁で1分煮てから牛肉を入れて2−3分、それに卵を落として蒸らせば終わりだから簡単だ。でも肉は愛鷹牛の肩ロースだから100グラム580円ぐらいだ。200グラムで1200円。ゴハンと卵と野菜で150円ぐらい。食材の製造原価は1350円ぐらいだと思う。きっと高島屋の地下の今半で食べるすき焼き定食1980円よりも良い肉と量があるから、お吸い物でも付けて小鉢を加えて美しいお重で売れば3000円か4000円だろうと思う。5星ホテルの昼のメニューは大体そんなものである。一方でオーストリアかアメリカの安い肉なら300円で外食できる。1/10の単価である。庶民が何を喰っているのか、どういう顔をして喰っているかを見るのに、5年に1回ぐらいは吉野家に調査に行くことがあるが、正直「悲しい気持ち」になってしまう。便利で安いというサービスに文句をつけるつもりはないが、味は正直褒められない。第一なんで「甘い」んだろう?肉の味がわからないだろう?と思うので美味しいと感じた事が無いのだ。食事は「楽しみ」だから、栄養だけ取れれば良いというものでもないだろう。第一働いている人が苦しい状態だと動作は粗雑でムードは暗くて辛いなら、それが商品、サービス、店の雰囲気に現れる。外食は「ハレの楽しみ」である僕にとっては論外ということになる。それなら家で自分で作ったほうがマシであると思うのだ。でもそれしか選択肢のない人たちはきっと沢山いるのだろう。「日本ってホントに先進国なの?」(笑)
きっと資本主義という仕組みの一部分が既に大きく狂ってるか壊れているという事だと僕は思う。こんなにまでして働いて毎月一体いくら給料をくれるのか?50万も100万もくれるならまだわからないでもないが、多分アルバイトにそんなお金は上げないんじゃないかと思うのだが。働くほうも異常だが、実は喰う客も異常なのだ。ちゃんと600円でも1000円でも支払えばきっとこういう事にはならないだろう。昔僕がリーマン時代、あるいは会社をしていた時、高田馬場でランチは外食が結構あったが、その時は単価1000円前後だったと思う。炊いたサバに野菜の煮付けの小鉢、小さな冷や奴、梅干しにみそ汁。ゴハンはお変わり自由で950円なんてのを美味しく食べていた。70歳を過ぎた婆ちゃん二人がやっている定食屋さんだった。ほうじ茶がついていた。これなら近所にあれば今だって行きたい。別にすごく高級な刺身や肉が出ないでも良い。サバでもシャケでもイワシの煮付けでも豚の角煮でも宜しい。ちゃんとした食材をきちんと美味しい料理に仕立てるのが外食のお仕事だろうと思うのだが。
それが半分以下、ワンコインにいつからなったのか?は1997年ぐらいからだろう。ここから国民所得が下がり始めデフレになったのだ。あの山一の倒産の後からである。リーマンの平均年収が380万まで落ちたからだ。それからもう17年が過ぎた。コンビニ弁当は300円を切っている。どんな国でどんな食材を使えばこの値段になるのか?という事を考える人はいないのだろうか?「安すぎてあまりに危険」と感じる僕は絶対に食べない、デパ地下の1000円弁当も怪しいと思うから食べない。だって偽装ばかりしている業界なのである。ホットモットという弁当屋で友達が買って来た唐揚げ弁当というのを一度喰って胸焼けしてヒドイ思いをしたことがある。きっと油がヒドイ状態なのか、あるいは鶏肉がヒドイのか、人間が喰える飯ではないと感じた。「安さ」だけを訴求するような商品にロクな物が無いのは当然だと言えばそうなんだが、それでも許される範囲というものがあるだろう。それを越えているというのは罪悪に近い。回転鮨の穴子はウミヘビだそうだ。ちゃんとした値段を取らないからそうなるんだろう。どこか店も客もおかしいんじゃないかと思わない感覚が異常である。これでは先進国では多分ないだろうと思う。未開の黄泉の国.(爆)何が出てきても不思議でない国か?
6月に新宿の麺どころ「武蔵」で4年ぶりにラーメンを食べた。全部のせで1000円ぐらいだったと思う。ちゃんとして美味しかった。これは自分では作れないレベルのスープと麺だ。プロの仕事である。1000円を高いとは感じない。2000円でも支払う値打ちがある。客がその店に何を本当に要求してるのか?をわかっている店が多くないというのが問題点である。それは店の責任であると同時に、ダメな客の責任でもある。政治家と国民の有り様と全く同じ事がこの国で起きているという証拠だろう。きっともう水野和夫の指摘するように資本主義と民主制の賞味期限が切れかけているのだろう。 |
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