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日記
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詳細
私が悲歎におしひしがれ、すっかり心労に疲れ切っているあいだにも、すでに私のまなざしは前方をまさぐり、ぬかりなく何か輝いた物をめざしており、こうして自分の自立した生存を再開している。われわれが自分の全生活を凝集しようとしていたその瞬間の直後に、時間は、すくなくとも前人称的な時間はふたたび流れはじめ、それはわれわれの決意そのものをではないまでも、すくなくともその決意を支えていた熱っぽい感情を洗い流してゆく。人格的実存の方は間歇的なもので、この潮が退いてしまったあとでは、決意ももはやただ無理につくった意味しか私の生活に与えることはできなくなる。
メルロ ポンティー 『知覚の現象学』 より転載
待機とは魔法にかけられたような状態なのだ。動くなかれという命令を与えられているのである。たとえば電話を待っている状態は、打ち明けがたいものまで含めて、こまごまとした無数の禁止から織りなされている。部屋を出ることも、手洗いにいくことも、電話を使うことさえも(線をふさがぬため)できあにのだ。関係のない人から電話がかかってくるのをおそれる。もうすぐ出かけなければならぬのだが、それでは、この心を癒してくれるはずのない呼び出しに、「母親」の帰還に、応ずることができないかもしれない。そう思うとこの心は千々に乱れる。このように私の心をそらせるものは、すべて、待機にとっては失われた時間であり、不純な苦悩というものであろう。純粋な待機の苦悩とは、たとえば、電話に手の届くところになにもせずにすわっているということだからである。
デリダ 『恋愛のディスクール、断章』より転載
待機が「苦悩」だえるのは、いうまでもなく、何かを待つからであり、そして、ただひたすら待つしかないからである。待つことはこの場合、期待と一体になっている。期待は、待てば待つほど膨らんでしますう。期待が宙ぶらりんに放置されるままになっていると、それを着地させようとやっきにならざるをえず、しかも期待に応えるものの兆しがまだ見えないとなると、ますますあたりの微細な変化にも過剰に反応するようになる。微かな兆しについ望みは膨らんでしまい、ぬか喜びと悟るや期待はぺしゃんこになる。期待のかわりにこんどは落胆が膨らんでしまう。この膨らみとへこみの交替は時の経過とともにますmす短くなり、息が荒くなってくる。動悸が激しくなってくる。期待が知らぬまにひどい視野狭窄にはまってしまう。「思いつめて」の背後にはそういう機制がある。
鷲田 清一「待つ」ということ より転載
待つということの心理学について書くとなんか反応が良いので連続で書いてみる。相場の技術で、初歩の練習の間のテキストはちゃんと本が売っているから、よほどの馬鹿でないならそれを読んで100回ぐらい飽きずに練習すれば、どんな馬鹿でも少しは上手くなる。それでも贅沢さえ言わなければ飯ぐらいはきっと普通の人ならそのうちに喰えるだろう。この板はそんな普通の飯させ喰えない人が多いのだろうから(きっと相場をする人の99.999%ぐらい?)その人たち向けにしかたがないからつまんない事をクドクド書いている僕の暇つぶしなのだ。こんな事は全部爺さんの本に書いてある事ばかりなんだ。
それでも間抜けが世の中には大量にいて、何千万も相場でスッタから取り戻したいと思う人なんかがこれを読んで、普段はしたこともないようなことを真似る。「することの意味」はちっとも理解出来ないが、猫がそれで喰っているらしいということを唯一の事実と信じて、猿真似をするのだろうと思う。でも忙しい人が僕の生活そのものを真似るのはきっと困難なんだろうと思う。それが「自由で理想の生活」である限り、普通の人にはそうそう容易には手に入らないだろうと思う。
何かを手に入れるには、他の全てを棄てるという決断が必要だと「決断というものの質」が大抵問われることが多いだろう。この市場では「希少性」に高いタグがつくのは誰もが知っている。
自分に高いプライスタグをつけるのなら、その人がごく稀な希少性を持っているということが最低の絶対必要条件であるだろう。「きみのどこがそうなのよ?」と自問してみれば良い。それの無い人にそんな高いプライスタグがつくのかな?馬鹿でもわかるだろうにと思うのだが。平凡には平凡な値がつくんだろ?群れの中で同じようなことをして同じようなものを喰って同じような車に乗って同じような場所に住んで、同じような会社に行って「どこに希少性があるんだろうか?」と変人と言われる僕は逆に問うてみたいものだ.(笑) |
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8013 1969−1983
かつて「待つ」ことはありふれたことだった。一時間に1台しか来ない電車を待つ、数日後のラブレターの返事を待つ、果物の熟成を待つ、酒の発酵を待つ、相手が自身で気がつくまで待つ、謹慎処分が解けるのを待つ、刑期あけを待つ、決定的現場を押さえるために待ち伏せる。万葉集や古今和歌集をはじめ、待ち遠しさを歌うことが定番であるような歌謡の手管があった。待ちこがれつつ時間つぶしをすること、期待しながら不安を抱く事、そんな背反する思いが「文化」というカタチへと醸成された。喫茶店はそんな「待ち合い」の場所だった。農民や漁師、そしてウエイターといった「待つ」ことが仕事であるような職業があった。相撲でも囲碁でも「待った」できないという脅迫がひとを苛んだ、、。そんな光景もわたしたちの視野から外れつつある。
みみっちいほど、せっかちになったのだろうか。
せっかちは、息せききって現在を駆り、未来に向けて深い前傾姿勢をとっているようにみえて、じつは未来を視野に入れていない。未来というものの訪れを待ち受けるということがなく、いったん決めたものの枠内で一刻も早くその決着を見ようとする。待つというより迎えにいくのだが、迎えようとしているのは未来ではない。ちょっと前に決めたことの結末である。決めた時に視野になかった物は、最後まで視野の入らない。頑なであり、不寛容でもある。やりなおしとか修正をがんとして認めない。結果が出なければ、すぐに別の人、別のやり方で、「待たない社会」、そして「待てない社会」。
意のままにならないもの、どうしようもないもの、じっとしているしかないもの、そういうものへの感受性をわたしたちはいつか無くしたのだろうか。偶然を待つ、自分を超えたものにつきしたがうという心根をいつか喪ったのだろうか。時が満ちる、機が熟すのを待つ、それはもうわたしたちにはあたわぬことなのか、、、?
鷲田清一「待つ」ということ より転載
ワッシーは内田樹のお友達である。ご存知関西大学長の哲学者だが、文章は実に平易で鋭い所を常について来る。サミュル ベケットの「ゴドーを待ちながら」を題材に取って、人間にとって「待つ」ということが本質的にどういう意味を持つのかを1冊の選書に書いて行く。
僕たちの生活のすべてのスピードが急激に上がったのは、きっと資本と市場と自動車と電気、そしてコンピュータと形態電話のせいなのだろう。とにかく忙しい。すごいスピードでどんどん世界が変化していく。
相場もそうだ。24時間、世界でどこかで市場が開いている。お金は国境を越えてどんどん移動していく。人間の物理的な要素を飛び越えて、電脳空間で運動することを一瞬たりとも止めようともしない。多くの人たちはそれに巻き込まれていくのだろう。そして大半の人がお金を巻き上げられていくんだろう。理由も知らないうちにオケラになる人は年間に30万人も日本でいるらしいよ。その一人にならないようにね。交通事故の死者は1万人を切るぐらいだ。その30倍の人が、相場でアウトになる。10年で300万人!
都市の生活はみんながみんなとても急いでる。30年前のこと、まだ会社に通勤電車に乗っていた頃のことだが、とにかく満員で足の踏み場も無い。そんなぎゅうぎゅうの電車に乗るのが僕は嫌だった。気分が悪くなるし、混んでいると本も新聞も読めないからだ。そうじゃないゆっくり豊かな暮らしが僕はしたかった。そのためにリーマンを止めて自分で会社を始めたから、通勤だけは車になったが、忙しさは加速度を更に増して寝る時間さへ無くなった。「豊かな暮らし」とは「お金のある暮らし」だというとんでもない思い違いを僕は犯していることにやっと気がついた。でもしかたない始めたので10年は我慢したが、やはり時間が豊かでないから切れた。そして相場師になった。相場師になると時間だけは腐るほど出来る。一応の道具の整備には最初1−2年はかかるがそれが済めばすごく暇になる。けれど忙しさの惰性というのが身体と脳髄に残っているから、どうしても忙しい売買をすることを無意識にしてしまう。身体に馴染んだ時間を変えるのが「とても苦しい」からである。それが抜けるのに技術の細かい部分はなんとか練習で出きるとしても、ゆっくりとした爺さんが言うような理想的な売買をするのにはきっと10年ぐらいは誰にでもかかるんじゃないのかと経験的に思う。
波に一旦乗ったら上手い人は「かならずある程度の時間は玉は寝る」。月足をみればわかるように大回り3年というように2−3年はうねりの天底があるのだ。その時間を利が乗っている玉を寝かすのは一番難しい相場師の我慢の技術なんだろうといつ頃から思うようになったのだろう?
僕は勘が少し人より多分良い。田舎暮らしをなんとなく始めたのは売買を遅らせるのに有効かな?とちょっと思ったのだ。事実その通りにゆっくりになったからとても楽しく金が出来る。というか勝手に金が寄って来るという感じになってきた。何故だか考えてもしかたがないが、ゆっくりとした売買をする人がどんどん減っているせいだろうと思う。その分、それが出来る人の所にお金のほうが勝手に寄ってくる。アルタミラの洞窟壁画にあるような、動物が人間に喰われるために寄ってくるという共棲空間。
ただ買って待っていれば良い。そのうち売って待つ時間もきっとくるのだろうが、今は「買え!」そう金が言っているのだから買うだけだ。そして待つ。
暇だからまたサミュセルベケットを再読しよう。「ドゴーを待ちながら」
こんな俺は少し変な人らしい。ペルルちゃんがそう書いていた。 |
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3401(上) 8013(下) 比較
3401帝人、随分割安に売られている。旭化成や東レと比べると見る影も無い。
昨年秋に安いところを狙い過ぎでヒゲの底を−1と建てたのは11/11だった。 −1 210 その後の下値が無いので入らない。それで諦めて戻りを外して 12.17 225 1− と年を越したくなかった。そのまま見送りでノーポジだった。
ブログを始めて、ベトナムさんの驚愕のリズムの譜を見たら「俺の出番はないわな、これは」と諦めた。「あなたにあげる!」(笑)
繊維は結構、僕の定番の銘柄群で、東洋紡、富士紡 シキ紡、ダイワボウ、大東紡、クラボウ、ナイガイ、レナウン、東海染工など場帳の核だが、帝人のような大型はあまり僕はやらない。それでも指標株であるから、かならず指数やファンドに入る銘柄だからそれなりのうねりが自然に出やすい。しかも内容の割に売らているから、まあ急がないでそのうちやるかなと思っていた。そこに過去のデータをご提供していただくことが出来たので、もう一度1969年から書いてみたのだ。60円が380円まで6倍に化けた。約2年で陽線月足16本だから日柄としては少し短く、一気に急騰して天井して、その後ダラダラと5年も売られている。一気に人気カして天井するとこのように整理一順感が出るのに2倍以上の下げの日柄を有したということである。
「天井3日、底100日」というけれど、上げの時間より下げの時間、底練りの時間は長い。なかなか動いてくれないのだ。
2012年の298、13年の285がなかなか払えない。ここを抜ければすぐに500円ぐらいはありそうな罫線だと感じるが高値の手前で揉んでいる。下もないからこじっかりという感じで焦れる場所だろうと思う。120枚建っているベトナムさんはヤキモキしているんだろうが、こういう時は忘れて遊んだほうが心には良いのだと思います。
遠藤サンの投資法の定石は、株数をいかに増やすかに肝がある。売った単価よりも再投資は安い単価に下げるのだ。すると回転すればするほど、自然に建玉が増加して行く。天井圏で最大の株数を保持するというまさに良いとこ取りの美味しい利益のあげ方がクレバーである。
資金とは 単価×株数である。単価が低いほど株数を変える。大きな数の積になるから資金は勢いがついて拡大するということが起きた。1000万が30億だから300倍である。まあこんな相場師は日本にほとんどいないだろう。
真似しない手はないなと思って、FAI的な回転を止めてしまった。すると気が長くなることに気がついて「これは鐸だぜ、競合がいないし、買値も売値も細かいことを気にしても結果に大きな差はないから、ポツンと買って忘れるだけで良い。あとは作業の場帳とグラフをするえだけだ。老人向けであると思うが、実に凄い利益率なのだ。年間2倍の投資法というのはこれの事だろうと今は思うのである。』 |
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昨日も4022,8013の過去グラフを3年分素描した。このように毎日3年づつ書いた事は初めてだったから新鮮な感じを受ける。大回り3年という相場格言があるが3年でうねりが大きく変化するという意味で4022のそれは実に激しいのがわかる。
2011−2013年にかけてこれから4022は都合3度目のグラフを書いて行くことになるけれど、結果論として言えるのは1969年、猫次郎14歳から60歳までの46年間で大きく長い一相場が完了したということが事後的に分かるというぐらいである。ほぼ人の一生だ。「2回は誰でも経験できないから、相場のどんな局面でも人と値動きは一期一会になる。」という事実を受け止めて、そういう場面でどう動く、動かないというこちらの動作を決めなければならないのだろう。その際に有効なのが、毎度書くが「反復と差異」というドルーズの概念である。「歴史は繰り返す」という格言も全く同じ歴史はないけれども、同様な筋道で進む事が多いという位の理解であるなら大きくは曲がらない。必ず筋道というのはある所与の特徴をいくつか持っているからだろう。「うねりながら上げるという上げ相場の特徴!」そのいくつかの典型的なパターンと時間。横軸と縦軸の無限の順列組合せの中にあって、自分の出来る事を単純によく考えてすること以外に職業相場師の仕事の思考法と実践は無い。「自分の考えているとおりにはならない」という前提があるだけ少し50年間と比べて賢くなったという以外に僕の変化はないだろう。いや当時は4000株しか買う金がなかったが現在はその気になれば10万でも30万でも好きなだけ買える金だけはあるというぐらいの差か?4枚と100枚、300枚の差異。どちらが有利かは言うまでもない。分割回数が4回と
300回でどうやれば4回が勝つのか?という問いにどう答えればよいのだろう。
自滅しない限り資金が多い方が有利なんだから、それをゆっくりとした「寝技」に持ち込むことが安全と勝利の方程式である。相場は勝つ人と負ける人の2種類がいるだけだ。だから急いで勝たなくてもよいから、相手が失敗して負けていくのをずっと見ているのが楽な勝ちかたの定番型なのである。
「買ったら2倍になるまでは放置しておく」というのはそういう方法である。しかし4枚の人には出来ない相談だろう。2倍になるには無限に長い時間がかあkるのではないか?という恐怖心がそれを邪魔する。もしならなかったらどうしよう?という疑念が利食いを急かせるから、長っパリはじつに心理的に出来ない手段であると思う。昔は僕も出来なかったし理解もできなかった。大きくなってはじめてああそうなんだと思ったのである。
株価が2倍になるのにはすごく時間がかかるというのはある意味で正しいが、本当はなるかならないかという疑いのほうが大きいだろう。ある時はなるし、ある時はならない。それも経験を重ねる事でしか感じは生まれてこないのだ。
今日は6138 ダイジェットを久しぶりにザラバで落とした。一瞬ストップを付けたが後が鈍いのでむいいかと成りで売った。348.6円という変な別れ方をしたようだ。ザラバの成り行きなどこんなものである。2日連続でストップ高だから今日なら3回目だが、やはりそうそう一方的には上がらないね。
6138 2013 5.13 162 -5
2014 7.16 348.6 5- 利益93.1万 利益率115% となった。
81万の資金が174万に増えた。このお金でまた安いものを買う。例えば8013なら70円で24枚買えることになる。去年は8013 55 −5 と買って 118 5− と売った。3ヶ月だった。
今回はこれをすると都合50枚になる。数が10倍になるということは同じような値動きになると利益も10倍になるということだ。前回が30万なら今回は同じ事をして300万となるが、やり方は同じような価格帯のものを分割してゆっくり拾う。半年とかかけて慌てない。だから逃すということは起き得ない。買値なんて118以下なら幾らでも良いのである。どうせ倍加するまで売らないのだから平均などいつでも下げる事は簡単だ。何枚か試しを建てておく。そして押したら増して行く。簡単な分割だけをやれば良い。30枚、50枚と自分の数量を決めてこつこつ買うだけ。後は何もしないでみんなが諦めるのを待つだけである。「見つめると薬缶は沸騰しない」という通りのことが株でも起きるのだ。買ったら倍加するまで忘れてしまうこと。これが長っパリの利食いの秘訣である。
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