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猫次郎のなんたらかんたら書き放題
お山の上から鴨を食うノマドライフは極楽ね

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猫次郎場帳銘柄6000番台
                                                             6/18   寄り                                   7/15引け
6138 ダイジェット          152               287
6203 豊和工業            758               775
6205 OKK              145               159
6208 石川              116               124
6217 津田駒             151               146
6218 エンシュウ           129               133
6316 丸山              247               267
6317 北川鉄             169               181
6331 化工機             209               457
6335 東京機械            88               88
6358 酒井重             339               333
6369 カネツ             263               262
6375 コンベヤ            133               134
6440 JUKI              228               222
6445 蛇の目              90               90
6461 日ピス             188               201
================================================
                    3405(212.8)    3859(241.1)  113.3%

TOPIX                         6/13引け                1243            1273       102.4%

機械など設備投資は今後の相場の本命かな(塊として)と猫個人は運用の主力かな?と
記事が増えるので書くなら優先で、、 すでに動き始めています。
On 2014/06/18, wrote:
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別に宣伝をしても僕は儲からないからどうでも良いのだが、「何が上がるか(下がるか)を当てる」というのが相場で儲ける方法だと硬く信じている一連の人たちが市場には多い。そういう人のいるお陰で、新聞、雑誌、セミナー、投資顧問など一連の業界は飯を食ってるのが事実だ。そういう僕だって、2005年から2年弱は現在と大差ないような事をして、結構なお金になったものだ。リーマンの生涯給与の半分に近いような金額が2年もしないで売れてしまう事実は、「欲望マーケット」は凄く大きいな!という感想を僕にもたらした。「買推奨」は実に良く売れるのだが、『空売り推奨」はちっとも売れないのは何故だろう?とい未だに不思議なのだが、相場が崩れて投げて損を一時的に出す。ここまでは投げて損を確定してリスクを逃げるのだから、程度の差こそあれ誰でも上手ければするだろう。所が、下手は人は投げられないで「固まる。」大きな評価損を抱えたまま死後硬直になって、相場を見なくなる。信用取り引きなら無理ヤリでも投げさせられが現物買いなら売らなければ損は確定しないので、ズルズル引き延ばす。そんな人が数年してさすがに耐えられずぶん投げる時、そういう整理玉の投げが大震災とかその後の2番、3番底である。
もっと前に投げていれば傷は浅くて済むのだが、決断できずに結局はオケラに近い状態になってしまう。家を数件分飛ばすような損はそうして大概は生まれるが、投資家にとっては始めての出来事なのでどうして良いのか分からないというのが本音なのだろう。
 思い通りに行かないのが相場で、それはアマチュアも専業もそう大きくは変らないと思うが、専業は「投げと踏み」が上手くないと生きて行けないからさっさと投げて、こんどはドテン空売りで損を取り戻す。値動きに応じて建ての方向を変えるだけだからすぐにドテンをするわけだ。僕も買い推奨をゼロにして全部売り推奨にして随分取れたのだが、生徒は売った人は3%も居なかったから、ほぼ全員が投げただけで退場したか、固まったということになったのだろうと思う。

 さて大底が2011−2012年には入った。もう下がないとなると上しかない。そして上げ始めた。何人かはほぐれた人も居ただろうし、もう退却して止めた人も多いのだろう。僕は2011年震災後の秋の安値で底打ちと感じて、ポツンポツンとゆっくり少なめに主力を拾って12年は売らなかった。売買無しである。そして13年の連休で一区切りした。資金は当然底値買い時の倍加している。その時から場帳の銘柄は6000番台の機械に関しては一つも変化がない。同じ物を何度もやって全て利食いであった。6203、6205、6208、6218、など何回やったか記憶にないほどいつも売買する。
さて今回も生徒に場帳銘柄を配信した。6/13に機械とこれ以外の電気を配信して、上記のコメントをつけている。
バイアスがかかるのをあまり良いとは思わないが、機械だけは「今年は本命」とマジ思っているのであえてコメントを付けている。つまりとてもバイスを付けて強く押して、中心として買えば?という僕のお薦めであった。
配信して1ヶ月がたったので、結果の検証をしてみた。この間僕の売買は 6331 1− (304)だけである。あとは本日すこし買った。明細はひよこちゃんの板に書いている。増玉である。
まだこれから倍加、3倍加するものがゴロゴロ出ると思う(根拠なんてないよ、感じです)ので、まだ上がっていないものだけを増し玉している。乗せではなく、根玉の数を増やしたということだ。

経過は1ヶ月で13.3%の全体の上昇で、指数の5.5倍の上昇率になっている。これを機関投資家でリーマンでやれば外資なら億のギャラになるだろうと思う。市場平均を圧倒的に勝っているからだ。13.3×12   159%となる。100万が250万になる(もっとも12ヶ月続くなんてあり得ないが)可能性はあるということだ。

個別の銘柄の何が上がるかは当たらないが、業種とかグループは当てやすい。昨年の証券とその他金融、不動産も僕は当たって4−5倍に化けたものが結構たくさん出た。今度の機械と電気も同じになるだろう。だって同じ人間が1200の中から選んでいるからだ。その選びかたの癖が同じだから結果が同じになるのであると僕自身は思うほか無い。去年と全く同じ事が起きている。このまま年末高になれば資金は底値の4倍に化ける。予定の通りというわけだ。別に驚くべき事だとは思わない。やっぱり来たねと思うだけ。ロールスゴースト買う?ぐらいはジョークでするかもしれない。
上記の銘柄の業績は全く調べてもいない。有配、無配かも知らないし興味もあまりない。
パッケージで10枚すつ買うと1243万だ。3倍だと3729万になる。機械だけで2500万ほど儲かることになる。
グラフを1200枚ぐらい30年間の長さを書いていると自然に僕はこういう選び方になったという事実があって、それが当たる場合がかなり多いのだ。1月で2倍に化けたのが2つある。このペースが続くと12ヶ月で24だ。つまり全部倍加しても不思議は無い。すると倍加してその資金をまだ動いていないものに入れる。その繰り返しを行うと、資金は倍加どころがとんでもない大きさになるというのがこの投資法の特徴だ。操作なんて難しいことは何も無い。ただグラフを書いて上げそうなものを等分で買うだけの馬鹿チョンである。でも相場の目的がお金なら方法なんてどうでも良い。
結果が全てというのはいかなる仕事でも同じ事であると僕は思う。

別に僕は巫女ではない。全く同じ銘柄を一つも洩れなくmom*kko*さんも選んでいるから、グラフを書くときっと同じ結論に誰でもなるんだと思う。ベトナムさんにも聞いてみたいが、どうですか?

熊から王へ

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 昨晩、グラフの素描を終えた後、少し冗談を書いてみたくなったが控えた。自分がMフーコーよりも知的に優れているという考えるような人はきっと僕のサイトは見ないであろうかと思う。そういう人はきっと株式投資でお金を儲けようなどどはきっと考えないはずである。一方、株式投資以外で僕のサイトを読むような人は変人中の変人で、きっと僕の書くような物事やテキストや生活習慣や価値観の諸々を好奇心以外の対象として自らに受け入れようとはしない人々であろうかと僕は思う。
 こうした人を喰ったような僕のテキストの記述はMフーコーの書く所の、彼らの言説のうちにあって、多くの事物がすでに彼らから逃れ出ている。つまり、彼らは、その上に「彼らの言うこと」、そのはかなく不確実な存在が彼らの生をいっそう遠くまで、いっそう永い間運んで行くべきこの言説の小さな断片がーーー言葉であるか書かれたものであるか、は大して重要ではないーーー彼らから逃れることを欲していないのである。」という心理的な葛藤や矛盾を感じながらも僕のテキストを嫌々ながら読むということを受け入れざるを得ない。その反発、その違和感を思う時、「読まなければなんて楽だろうに!」と僕は思うと同時に、それでも「何で君は僕のテキストを読むのだ?」と意地悪な質問をどうしてもしてみたくなる。
 つまりあなたが毎日自分で物事を考えてたり感じたり表現したり記述したりしているそのあなたの考えとはほとんどあなた自身が考えたことでも感じたものでもないはずであろうという疑問をあなた自身があなたに向け一度でも発したことがあるのかと言う事を実は僕が問うているという事をあなたは認めるという事実があったかどうかという事である。フーコーの言いたかったこと、知の考古学とはシニフィアンとシニフィユの狭間に漂うあなた自身のテキストの起源を問うているという厳密な原産地証明であると僕はきっと言いたかったのかもしれない。あなたの考えている主体性の漂い方の虚ろさとそれは言ってもよいのかなと。

 僕はテキストを自分で意識的に自覚して何かの目的のために記述するという習慣をいつの間にか放擲して久しい。いつからそうなったのか、無意識にペンが、あるいはキーボードが勝手に指先で動いて、あるいは滑って様々な非常識で受け入れがたいテキストを長々と打ち出す結果を僕自身が一連のテキストを打ち終えた後に驚くという習慣も珍しいものではいつの間にか無くなっている。誰か他の人が憑移した僕のテキストはとても刺激的でハマりやすいという評判が立って、いつの間にか知的な人が沢山集まってくるというのはどういう事なんだろうか?きっとそういう人たちのテキストは、どこかの一流会社といわれるような場所で、上司や顧客や部下のために情報を与えるという影響力を強めるために、美しいタブローや隙のない言表を駆って統合的な結論を導き出しその賛同を最大化する目的のためにパワーポイントかなんかのソフトを使いながらPCに向かう事で多くも無い見返りで努力を怠らない人々であろうかと思う。彼らの流した汗と時間に深く無論僕は同情したい、かっての僕のそういう姿を思い浮かべながらも、、。
 数値の反復的な記述(例えば場帳)、タブローの反復的な素描(例えば折れ線や月足グラフ)、いずれも僕が生徒たちにクドく強制する日常的習慣であるが、そうした習慣の無限の反復の体験を通じて僕を良く理解する少ない人たちの大半が経済的に豊かであることの不思議さを思う時、いつの間にか僕のテキストは自然にその人たちと調和して何か一つの流れをいつの間にか作り出している、そんな体験の記憶を僕は何度も繰り返し経験している不思議な男であると思う。そして確実に言える事。そして僕はいつの間にか「自由な金持ちになっていた。」それはなったのではなく「なっていたのである。」

狩猟民族たちの呪術の儀式。あのアルタミラの洞窟のかがり火の中で、幻想を掻立てる怪しげな植物の陶酔の中にあって、巫女は祝詞を捧げ猟の実りを祈願した。野生動物たちはみずからその命を捧げるために人々の元に集まって来た。そういう不思議がこの電脳空間でも起きているという自覚がいつの間にか生まれた。
ポーカー賭博師のポッツィーを描く「賭け」の時間。賭博者が賭けそのものと同位するような時間。
 
 誘惑者は、他者がけっして欲望の果てにたどり着けないことを知っている。主体が何かを愛そうとつね狙いながら、いつも思い違いをしていることを知っている。語られた言葉がすべて、何かを語るつもりで、いつも思った事を言えないことを知っている。秘密、それはつねに人工物の秘密だ。それは、つねに外部の何かを付け狙うことの必要性を意味する。他者を、対話という恐ろしい幻想のうちに探すのではなくて、他者の影として他者につきまとい、他者を包囲することの必要性を意味する。けっして自分自身ではないが、疎外された存在にならないこと。他者のかたちへの書きこみ、外部からやってきた異質な形態への書きこみを消す事。得意な存在や出来事の過程に秩序を与えている、あの秘密の姿への書きこみを消すこと。
 他者とは、わたしが無限にわたし自信を反復することを許さない何ものか、だ。
 ---------言われるとおりだ。たしかに、私は言説の超越性を否認した。言説を記述しつつ、それを一個の主体性と関連づけることを拒んだし、まず、あたかもそれが一般的形態でなければならなかったように、言説の通時的性質を有利に使うことをしなかった。しかし、だからといって、これらすべては、言語体系の一領域の彼方に、すでにそこで試されたさまざまな概念や方法を延長するように運命づけられてはいなかった。言説について語ったとしても、これは決して、言語体系のさまざまなメカニズムや過程がそこで統合的に保持されていることを示すためではなかった。そうではなくて、むしろ、言語運用の厚みのなかで、分析の可能的なレヴェルの多様性を明示するためであり、言語学的構造化の諸方法の傍らに(あるいは解釈の諸方法の傍らに)、さまざまな言表、それらの形成=編成、言説に固有な諸規則性などの特殊な記述を確立しえたことを示すためであった。語る主体への照合を保留したとしても、それは、すべて語る主体によって同一の仕方で適用されるような、構築や形態の諸法則を発見するためではなかったし、一時代のすべての人々に共通な普遍的な大いなる言説を語らせるためでもなかった。
 重要なのは、反対に、さまざまな差異がなにから成り立つのか、一つの同じ言説=実践の内部で、人々が異なった対象について語り、対立する意見を持ち、矛盾した選択をすることがどうして起こりえたか、を示すことであった。また、言説=実践のあれこれが相互に区別されるのはどのような点によるのか、示すことであった。要するに、私が欲したのは語る主体の問題を排除することではなく、言説の多様性のなかで語る主体がもちえたさまざまな位置と機能を明確にすることであった。最後に、次のことをあなたは確認できたわけである。つまり、わたしは歴史を否定しなかったし、変化という一般的で空虚なカテゴリーを保留したが、それは異なったレヴェルの変換を明らかにするためであった、と。私は時間化の画一的なモデルを拒むものだが、それというのも、個々の言説=実践について、その累合、排除、再活動などの諸規則、その派生の固有形態、多様な継起についてのその特殊な結合様態、などを記述するためであった。

 この本は、いくつかの予備的困難を遠ざけるために書かれたにすぎない。他人と同様、私も、自分がそれについて語り、またこの十年来企ててきたこれらの探求がーーー言葉の厳密な意味においてーーー「実りのない」ところをもちうることを知っている。私は、言説を扱うにあたって、そこで自己を表現するやさしい、無言で、親密な意識から出発せずに、匿名の諸規則の曖昧な総体から出発するとき、そこに少々の軋みがありうることも知っている。天才と自由の働きが純粋な超越性のなかでくりひろげられるのを見る習慣が人々にあるところで、一つの実践の限界と必然性とを明らかにすることには不愉快なところがあること。これまで、生命の安心させるさまざまな形態変化やいきられたものの意図的な連続性によって生気を与えられていた言説の歴史を、変換の一つの束として扱うことに、挑戦的なところがあること。最後に、個々人が彼自身の言説のうちに「自己自身」について置こうと欲し、置こうと考えているものがあるとして、彼が語ろうと企てるときに、そこに耐え難いものがあること、作者の変貌した顔が浮かび出ることなしに、いまや沈黙へとたちかえったこれたすべてのテキストを切り取り、分析し、結合し、再組織することには、そこに耐え難いものがあること。これらを私は知っている。「なんと言われる!積み重ねられた多くの語、多くの紙の上に配列され、無数の視線に供されている多くのしるし、それらを分節化する動作の彼方にそれらを維持しようとするきわめて大きな努力、それらを人間の記憶のうちに保存し、登録することに払われたきわめて深い敬虔な心ーーこれらすべては、それらの語やしるしを描く貧弱な手、それらにおいて安らぎを得ようとする不安、以後生き延びるためにはそれらしかもっていない破産した生、などが少しも残らないようにするためであろうか?言説は、そのもっとも根本的な決定において、
「痕跡」ではないだろうか?また、そのささやきは、実体なき不死性の場所ではないであろうか?言説の時間は歴史の諸次元にもたらされた意識の時間、あるいは意識の形式のうちに現存する歴史の時間、ではないことを認めるべきであろうか?私の言説中には自己の永生にかかわるものがないと考えるべきであろうか?また、語ることによって私は自分の死を祓うのではなく、確固としたものにする、と考えるべきであろうか?あるいはむしろ、私の生にきわめて無関心かつきわめて「中性的」な外部において、私はすべての内面性を廃止する、と、また私の生と死との間にはなんらの差異もない、と、考えるべきであろうか?」

 これらのすべてについて、人々の気持ちの悪さがよくわかる。おそらく彼らは、次のことを認めるのにかなり苦労したはずである。すなはち、彼らの歴史、経済、社会的実践、彼らの語る言語、彼らの祖先の神話、幼時に彼らが話を聞いたさまざまな寓話までも、彼らの意識にすべては与えられていない諸規則にしたがっている、と。彼らは、自分たちが考え、信じ、あるいは想像するところを、直接的に、隔たり無く言いうることを欲している場所としての言説を、その上、さらに、とり上げらられることをほとんど望んでいない。彼らの言説が諸規則や分析可能な変換にしたがう複雑な、差異化された一つの実践であることを否定することの方を、彼ら自身からのみ由来し、源泉のもっとも近くに限りなく存在しつづける一個の言葉の新鮮さによって、世界や生でないまでも、少なくともそれらの「意味」を変えうるきわめて慰安的な優しい確実さを奪われるよりも、むしろ好むであろう。彼らの言説のうちにあって、多くの事物がすでに彼らから逃れ出ている。つまり、彼らは、その上に「彼らの言うこと」、そのはかなく不確実な存在が彼らの生をいっそう遠くまで、いっそう永い間運んで行くべきこの言説の小さな断片がーーー言葉であるか書かれたものであるか、は大して重要ではないーーー彼らから逃れることを欲していないのである。彼らは、次のように言われるのを互いに聞くに耐えられないのである。(そして、彼らのことも少し理解できる。)

「言説とは生ではないし、その時間はあたなたの時間ではない。言説において、あなたは死と和解することはないであろう。あなたが、あなたの言われたことのすべての重みの下に神を殺した、ということは十分ありうることである。だがあなたが言われたことのすべてによって、神よりもいっそう生き永らえる一人の人間をつくるであろうなどとは考えてはいけない。」
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8013.4022を続いて買いてみた。
8013は77年は大化けで1年で4倍になっている。70円が320円まであったからこいつは美味しい。今日が70円ぐらだったから、値ごろが同じである。
来年は300円台もある可能性が高いということだ。
同様に4022もきれいにうねる。うねりの位相がずれているのが同じ時間軸で2枚重ねるとよくわかる。年間最大利益を狙うなら、等分数で立っておいて動き始めたほうに増玉する。上げ切ったら全玉落として、出遅れの増玉に乗せるという手もあるが、まあ下手な人はしないようが良いだろう。
 リズムとうねりが出来ないとぐちゃぐちゃになってどちらも取れないというこちになりがちだ。同じ時期に同じ銘柄を売買しても、上手い下手でそれこそ利益は10倍以上変るものなのだ。だから当てようとしないで、上手く波に乗って降りることができるように、変動感覚と分割技術が必要となるのである。
4022と8013のピークとボトムがほほ同時だから8013を利食いして4022の底付近に全資金叩き込むことが出来れば4×2=8倍になる。
 うねり取りの組合せだが、これはなかなか難しいよ。
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mom*kko*さんに 大感謝!


朝4時からのW−cup 決勝戦を見るのに夜更かししていた。そしたら、いつもお世話になっている大先輩のmom*kko*さんが、4銘柄僕の推奨株の貴重な過去データを板に上げてくれました。お仕事がお忙しい中わざわざ生徒のためにしてくれたこと、大変感謝いたします。どうもありがとうございます。
mom*kko*さんは猫塾のころからのおなじみで、僕より相場歴も長く、直接爺さんに教わった商品相場の頃からの大先輩である。ベトナムさんの先輩という所だろうと思う。ずっと平和不動産や新日鉄をされていたので、なんか僕は彼とどこか似ている部分があるのかもしれない。生徒に長期グラフデータを与えて、「何でもよいから買っとけ下手は」という愛である。練習生はお礼をちゃんと書いておくように。提供データはきっと株価総覧の過去分ではないかと推察するが、もうきっと古本屋さんでも回るか、国会図書館でもいかにと閲覧できない貴重なデータである。練習生はすぐにコピペしてしっかりと長期グラフを書いてほしい。もう既に書いてる人はこの分だけ書いて、カットして張り合わせても良いし、2枚目だと思って書くのは更によいだろう。

アメーバのうちは、何で同じ物を2回、3回と書くのか?時間の無駄だと思う人もいるんだろうが、そういう気分がしているうちは絶対に大きくなれないんだな。「ラッキー!また書ける。」そう自然に思えるように自然になると、年に数千万、億と取れるように始めてなれるのだと経験から確実にそう思うのだ。経験した事がある人にしかわからない。だからド下手は黙って金が欲しいのなら書け!と書いておく。

さて、寝坊して起きたら13時30分だった。サッカー見ながら4022、8013の2つを実は書いていたのだ。
いいカタチにうねっている。69年は僕が14歳。中学の頃である。今と同じ株価である。その頃、ロングピースが50円だったと思う。今は440円だっけな。物価は10倍になっているものも多いのに、ナイガイは当時のほうが高いなんて不自然だね、実に。だからこれが10倍になると1000−2000円でもまあ当然ということさ。
起きたら機械株が吹っ飛んで、ダイジェットがストップ高していた。リズム時計の大幅に新高値更新、その他金融や証券もコツンで反発だ。まあ軽い2段整理だったから月末には新高値に進むだろう。
低下を売ると殺されるという相場がもう始まっている。ちなにみ現時点で僕の今日のPFは+200万を楽勝超えている。日給で200万だ。だまって買ってれば、アホでも取れる相場なのである。


それにしても4022,8013は良い型をしている。今も同じように良い型だ。2年で500円オーバー確実だなという型だね。
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