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猫次郎のなんたらかんたら書き放題
お山の上から鴨を食うノマドライフは極楽ね

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新しい彼女たちの時代

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And even among these rocks
Sister,mother
And spirit of the river,spirit of the sea,
Suffer me not to be separated

And let my cry come unto Thee.


時々、なんで普通の勤め人の暮らしがコツコツ出来ている男が相場で喰うなんてことを魔が差して考えるのだろう?と不思議な気がする。自分の場合を考えると、18歳の時にたまたま少し貯金があった。大学1年の時できっと建設作業員と家庭教師と家のアルバイトをした貯金だったと思う。父親が相場をしていたから、日本経済新聞を読んでいた。それで帝国石油という銘柄の「名前」がカッコイイ!と思って、まあきっと石油の会社だろうとは思ったが何も調べもしないで買った。130円ぐらいだったと思う。競馬と同じだ馬の名前で買うというやつ。日本橋の協立証券だった。(今は無いと思う。)いきなり4000株。買っても分割とかナンピンとか場帳とかグラフとかも全く知らない。時々 新聞を見ていただけだ。その後しばらくして偶然石油ショックが起きた。それでいきなり300円台へ暴騰した。380円ぐらいで全部売った。100万円ぐらい儲かった。大卒の初任給が10万円しない頃のお話。まぐれ当たりである。これで相場は儲かるものだと思って相場師が職業としてはやはり「最高!」だと思い、そのためには資金がたくさんいるなとガキなりに思って、大学を出てリーマンをとりあえず7年した。資金を溜めるためだ。26歳でマダムと結婚した。頭を擦りつけるぐらい平身低頭でお願いして4ヶ月でOKになった。(うねりの周期とほぼ同じだな)涼子さんという鹿児島の女性で後で聞いたら奄美大島の御姫様の末裔だった。恋文を200通は書いたな。毎晩かかさず書いたと思う。その習慣で今もブログ更新の頻度が高く安定して記事を書くのだと思う。TS.Eliot  Ash Wednesday.  Because, I do not hope to turn agein.を10回ぐらいに分けて書く。それは今も同じだ。イイ詩なんだよ、シュールでさ。「書く事」のフェチかもしれない。だからグラフを書いてると落ち着くね、すごく。ピアノ聞きながら「ああ、もうこれ上しか無いよね、3倍は硬いね。弾みなら10倍だ。」とかブツブツ言いながらいつも書いてるそうだ、自覚はないけど、、。
長身でロングヘアー、眼がとても大きな美女です。僕の最大のお宝!!(毎回のろけるが実に僕にはもったいない素敵な女です。「よくママはパパみたいな変な男拾ったよね、信じらんネーっ」と娘は言う。「アタシなら絶対アリエネー」だと。)最初は普通の女の子でしたがいつの間にか今は贅沢女になっていると思う。「美しい暮らし」というのがご希望なんでお金がかかる。でも僕の商売の動機にはなる。一番偉いのはアイデアウーマン、超感覚ウーマンなこと。つまりは上げマンです。最初の商売の企画も「マダムが通っていたアンティークアールデコ喫茶で雑貨を売ったら当たるかも? 」というもの。そこのマスターと仲良しになってそこで雑貨をブランド化したら4年で6億のビジネスになった。前の会社の上司、同僚、部下を6名引き抜いて即席急成長で当てた。製造元と客をみんな頂きです。人をなんとなくその気にさせるのは上手いのかもしれない。組合員組織率も95%と満点だった。アジるのは多分才能がある。テキストの有効性とはまさにそういう言う事だろう。僕のテキストでコロっという人多いです。当たり前だよね、読書量がパンパない。きっと常人の数十倍でしょ、暇だから。思考のリーチが長くないとメタなことは考えられませんよ誰でも。経験量なんて個人じゃ限界あるもの。
 ねこ塾というのも、マダムがお花のアレンジ教室の先生をしていたので、「俺も暇だし相場の先生やろっかなー?」とジョークで始めたら2年で億以上売れました。手間と暇がかかるんで面倒で止めたけど暇つぶしで面白かった。贅沢を経費でガンガン落とせたし、、(笑)           
 マダムは妹のクラスメートでした。子供がマダムが26までに二人生まれた。僕は28で労働組合を作って、派手にストライキをした。パト6台とテレビ局も来た。赤いお揃いのバンダナで覆面して顔を全員で隠した。(笑)肖像権侵害で局を脅すのに弁護士を使うのをこの時に覚えた。その年の東京都の総評の最長ストライキ記録で表彰されたが俺は拒否した。アルチュセール、トロツキー、ゲバラと毛沢東が好き!だからTシャツ持ってます!マダムのお腹には二人目の長女がいたと思う。生産、販売、財務の仕事の基礎をリーマン時代に一応覚えて、ストライキをしながら、アルバイトで他の会社の仕事を受けた。だって就業規則が無い会社だからこちらだって何したっていいはずでしょ?会社の月給は26万、アルバイトは70万なんて生活だった。2年ほど準備して、会社を止めて、部下を先に役員で投入していた会社に資本を追加して役員(代表権あり)で入った。お金は3000万ほどあったと思う。思想的な趣味と行動的商売はまったく一致しないが自己矛盾なんて僕には常に毛ほどもありません。言っている事とやっている事が違っても別に変だとか思わない。相場師なんてそんな適当なもんですよ、きっと。商売は綺麗ごとがききませんから。朝令暮改は当たり前。気に喰わないと業務命令違反ですぐに首を切る。労働法を嫌というほど勉強していたので、今のブラック企業の小型版の走りでしたねきっと。

業務上はナンバー1、資本ではボスと同額のリスクを取った共同経営だった。相場もどんどんやった。資産株、優良株(日立、NEC,三菱地所など)を現物買って売るの繰り返し。ゴールデンチャートなんかミーハーで見ていたと思う。33か34の時には1億キャッシュと株式で持っていた。まあバブルの時代で若くて結構上手くやったほうかもしれない。でも寝る暇も毎日ないほど忙しい。子供の顔を見た事もない。海外が100日はある。休日は寝ているだけ。数年で身体が睡眠不足と胃潰瘍でボロボロになる。お金が少しあっても使う時間もほとんどないし、気持ちのゆとりもない。全然、幸せではなかった。仕事はきついだけ。それでも石の上にも3年というが、40までに引退して後は相場師と決めてなんだかんだとだらだら仕事を続けたが、40手前でついに切れた。「おれ会社止めて相場師になる。」「うん、いいよ」と3秒で済んだ。先の見込みなんて何もない。技術も感覚も無論ない。だからグラフと場帳ばかり書いていた。一日最低14時間。多いと16時間。トイレと風呂と飯以外は全部場帳とグラフ。30−40の10年間は年齢の割にはたぶんみんなより贅沢な暮らしだった。最初は楽しかったがすぐに飽きた。外車とか高級賃貸住宅とか海外旅行とかグルメとかまあ少し高級な暮らしをしてみたが、別にすごく楽しいとか幸福とかいう気持ちはしなかった。とにかく「時間がない」のだ。好きな本もほとんど読めないぐらい仕事で疲れる。周囲は元同僚の貧乏リーマンだから羽振りが良いと羨望と嫉妬ばかりでうざったい。そういう暮らしがしたいなら愚痴なんて言わないで自分でリスクを取ってさっさとやればいいだけなのに。300万と35万は均衡的にアンバランスだろうか?経営のギャラに年功性は馴染まない。好きな事をするのはお金がいると思ってはじめた仕事のはずなのに、お金が出きても好きなことが出来ない暮らしならまさに「無意味」である。プロテスタント的労働倫理の限界だね。でもまあ自分一人で仕事をしているわけではないからなんとか我慢して騙し騙し40まではやった。でもやはり切れた。それで会社を売った。アホと「連帯」なんてしたくないもん、俺。一匹狼のが好き。その後2年してそこは潰れた。だって俺がいないと無意味だったから。元のボスは自己破産。元上司は池袋の地下道でホームレスをしていたのを数年後に見た。人生は波乱万丈ね。どこまでひっぱって、どこで利食いを入れて、どこで損切るか?というのは事業も相場も似ていると思う。だらだらしないで、良い所で出て喰って退くに限ると思います。「投げと踏み」これにつきますよ。これだけ出来れば一人前だと思います。あとはやってりゃ馬鹿でも細かいのは覚えるからね。
 相場師は個人経営の商店と同じだ。だから商売であるかぎり、儲けがないと無論喰えない。子供の頃から家が商店だったせいもあるのか、リーマンみたいに25日に給料を貰えるなんて保証は全くないのだという事は当然ガキのころから身体で知っている。稼ぐ時はザックリ取るし、ダメなら赤字が当然の暮らしだ。だから最低限の金=数年は実入りがゼロでも家族が生きていく金はいる。人によって異なるだろうが僕は最低「億」はいる。35ぐらいから常にそういう発想と状態だった。だからきっとリーマンとは最初から話が全然噛み合ない。でも小規模でも事業家ならきっと同様な話はわかるんじゃないかと思う。金は一切借りない、全部自己資金だから人の迷惑にならない。だからどう使おうが文句は出ない。
 金は溜めるものではなくて作り出すものであると同時に費消するものでもある。つまりエネルギー循環だ。「動いていない」と意味を失う。蓄積しても発芽させないなら死んだ籾と同じ事。無いのと変らない。取ってきて使って、また取る。使う額より取る額が少しだけ多ければそれで良いといつも僕は思うから、あまり取るのも使うのも拘らない。というか拘っても無意味だ。取れる時は取れるし、取れない時は取れない。流れで相場次第だ。漁師や猟師と同じ事。獲物がいないのに力んでも疲れるだけ。ここがリーマンと決定的に動作が異なる。寝てるのが正解なの。長くやっていると腕とか運とかは長い意味では平均化していく。商売なんだからそんなもんだろうと思う。豊漁も不漁もあるが、子供は成人して孫が3人も生まれる頃になれば、先は時間的に知れている。もうガツガツしてもしかたないし、明日ポックリ死んでも後悔がない今の快適な生活のほうが、お金なんかより何倍も重要だ。それで57からついにお山の一人暮らしになった。朝寝坊、料理、温泉、昼寝、夜更かし、読書三昧。ネーチャンはいないけどシンプルで緩い猫との静かで気楽な生活。ブログをやってまた新しいガールフレンドが出来た。無論会ってもいないし顔も知らない。ひよこちゃんとペルルさん。昔の俺みたいで尖ってる。失うものが無いというのが好き。自分しかいないのも好き。でも凹んでいないで懸命に前を見ている。顔が下なんか向いていない。大丈夫、絶対君たちは大きくなる。全部成功する要素を持っているから、あとはコツコツやれば良い。女で良かったねー!!

 古い船には新しい水夫が乗り込んで行くだろう
 古い船を今動かせるのは 古い水夫じゃないだろう
 なぜなら古い船も新しい船のように 新しい海へ出る
 古い水夫は知っているのさ 新しい海の恐さを
    
       吉田拓郎 イメージの詩より    
  

 マダムはお花のある暮らしが好きだし、お仕事をしたいから週に2−3日だけご一緒して僕は召使い運転手兼料理人。彼女は立場が逆転したことに至極ご満悦。丸く収まっているようなイイ感じ。
「相場で成功してお金持ちになりたい」というような子供時代の淡い夢のようなお話は若い貧しい人にはこんな世知辛い世の中では魅力があるときっと思う。人生1回ですごく短いから、誰でもクスぶっていないで若い人はしたいことをするのが良いと思う。それが仮に相場というのなら一度してみれば良いが、それはリーマンとはまったく異なる「狩りの暮らし」だと僕は思う。30−40年もリーマンしかしたことが無いような人は多分しないほうが良いと思う。無くてしまうとお金はその年では絶対に帰ってこない。そういう例を嫌というほど見ている。1000人いたらせいぜい数名が成功する世界だろうと思うから。残る人は相場を事業的な発想や方法で行う人なのだろうと思う。蓄積ではなく循環なのだ。出して入れる。自然な循環が出来る人。Hと似ています。スケベな人に向いています。真面目なリーマンはだから全員毟り取られると思いますよ。思考法がダメなのは直らないんです。僕は30代からずっとインテルヤクザって言われてましたもん。左翼のヤクザってマジいますかね?
 「相場とお金は呼吸と一緒だ。だから相場は新しい人を常に待っている」そう僕は思う。

ひよこちゃんとペルルさんがお友達なのを後でひよこちゃんのメールで知った。お二人は若いからこれからの日本の元気をどうぞ背負ってください。そのうちお暇になったらお二人でご一緒にお山にグラフでも見に来てね。温泉あるし、僕がご飯を作ってあげるからね。パーカー98P以上の美味しいワインが100本は常にあるよ。5年練習したらカフェ飯ぐらいのレベルは出来るようになったからねー。
でもね日本はサッカーと同じでダメ男ばかりですが、そういうの一人二人見つけてどうか相場で儲けてダサイ男でも喰わしてやってくださいよ。そうしないといつか日本人がいなくなっちゃいます。東南アジアでは男は種付け以外には働きませんから、期待しても無駄。温暖化したので日本もそうなってきたのね。下男か召使いだと思ってアゴで使えばいいんです。うちの娘もそうですね。旦那はだから俺より大変従順です。

 現在でもそうですが、日本の未来は女が作る。身体と精神が既にそうなっているから。もう「大きな物語」は終わってます。男は馬鹿だからまだ未だに「忠臣蔵」と「坂の上の雲」ばかり探している。頭が19世紀なんだ。(爆)そんなのはツチノコ見つけるのと同じですねー。いるわけないのよ。
「レクツヲンメカ
 レホヲンメカ
 ルエシオヲョシバイノゴマタノンゴドハンメカ
 レクツヲンメカ
 レホヲンメカ
 ルエシオヲョシバイノゴマタノンゴドハンメカ
 レクツヲンメカ」
猫太郎は呪文のように復唱する。夢の中で母の声のようなものが聞こえた。最後に意味不明の呪文のような音が聞こえた。復唱することで、音が心に落ちる。落ちた心はそれを受け止める。また復唱する。音韻がどこで区切られると居心地が良いのか?どこにアクセントを置くと自然な音の配置になるのか?音節とは何か?その音節の特徴が言葉の成り立ちの鍵ではないか?ふとそんな事を感じた。区切る事と流れること、上がることと下がること、音の一連の流れには自然なリズムや呼吸があるように感じられる。
 もし母の言ったことがこの世界誕生の壮大な神話なら、僕とヒミコは双子の兄弟なのかもしれない、全然似ていないけれど。虎父はそうするとジャッカルということになるのか?ドゴンの卵は世界の子宮ということになる。全ての農作物の発育はこのドゴンの卵がきっと支配しているのかもしれない。水、天候、温度、日照、あらゆる農耕の条件をこの卵が支配しているとすれば、この卵を手に入れれば、世界を支配しているのと同じことになるはずだ。ヒミコはそれを知っているのだろうか?ドゴンの卵は本当に印度にあるのだろうか?
 「レクツヲンメカ
 レホヲンメカ
 ルエシオヲョシバイノゴマタノンゴドハンメカ
 レクツヲンメカ
 レホヲンメカ
 ルエシオヲョシバイノゴマタノンゴドハンメカ
 レクツヲンメカ
 「レクツヲンメカ
 レホヲンメカ
 ルエシオヲョシバイノゴマタノンゴドハンメカ
 レクツヲンメカ
 レホヲンメカ
 ルエシオヲョシバイノゴマタノンゴドハンメカ
 レクツヲンメカ」

猫太郎は幽霊のように川に向かって歩き始めた。当たりはまだ薄暗い。時々、川面を小魚が跳ねるような音がする。この少し先に小さな滝があったはずだ。滝の水音が少しづつ大きくなってくる。川に土手ののり面に何か穴のようなものが見える。近づくとそれは蟻の巣のような盛り上がった楕円形のふわりとした細かな土の中心に1寸ほどの穴が開いている。シロアリがそこから無数に湧いている。人差し指をそっと穴に入れてみると、穴の円周の柔らかい土の細かな粒子が広がった。指先には無数のシロアリが纏いついては動きまわる。指先のおびただしい快感が猫太郎の脳髄を刺激した。急いでぶんどしを脱いで、猫太郎はおのれのそそり立つ一物を穴にそっと押し付ける。ズブりと一物は穴に吸い込まれていく。穴の向こう側で誰かがイチモツに吸い付くような快感だ。シロアリが無数に猫太郎のイチモツの周囲を忙しく動き回るとほどなく猫太郎は射精していた。膝がガクガクと揺れてその場に踞る。
 「レクツヲンメカ
 レホヲンメカ
 ルエシオヲョシバイノゴマタノンゴドハンメカ
 レクツヲンメカ
 レホヲンメカ
 ルエシオヲョシバイノゴマタノンゴドハンメカ
 レクツヲンメカ
 「レクツヲンメカ
 レホヲンメカ
 ルエシオヲョシバイノゴマタノンゴドハンメカ
 レクツヲンメカ
 レホヲンメカ
 ルエシオヲョシバイノゴマタノンゴドハンメカ
 レクツヲンメカ」

「白般若と小面だ。」そう猫太郎は快感の余韻の中で叫んだ。面を彫るのだ。それも白般若と小面。怒りと沈黙、ヒミコと猫太郎、反復と差異!ニ項対立の極点としての像。そこにきっとドゴンの卵の答えがある。
急いでふんどしを身につけると猫太郎は檜の森に走った。檜の森は村の東、川から半里ほどのなだらかな山の斜面にある。巨大な数百年もたつような樹齢の大木が空に突き刺さるように天を支えている。ずんずんと森の奥に進んでいくと倒木があった。きっと落雷でやられたのだろう。巨大な檜がまっ二つに裂けてその樹木の面からほのかな香りが立ち上る。猫太郎はのこぎりで幅が20寸はありそうな年輪が細かな部分を二つ慎重に切り取った。檜はズッシリと重い。これで面が出来る。
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2005年頃、職場の男性に進められるがままに株を買い始めたのがきっかけです。この方は証券会社を勤め上げ、社長までやられていたようですが、あまりにキャリアが違うため、細かな質問はできず。また、私も買ったままそのまま放置するばかりで、特筆するほどの益を出せず。
そのまま 、下がり始め、嫌だなぁと思いつつもどうすればいいのかわからず。結局、2011年の2月頭に全部売却。大損しました。
そうしたら、今度は株が怖くなり気軽に売買できなくなってしまい、ちょぼちょぼ手を出すものの、買ったらすぐ売ってしまう、の繰り返しです。


ここまで書いてきて、自分でも嫌になってしまうのですが、この世界で成功していらっしゃる方に是非お会いしたくて、恥ずかしながら19日の会に参加させて頂ければと思い、メールをお送りした次第です。

グラフは最近また書き始めたばかりです。
一時期、株はもうやめよう。財産なくす、と思ったのですが、きっぱりやめることも出来ず、でも全く努力はしていなくて、猫次郎さんか らすればどうしようもない、という状態です。
林輝太郎さんの本と、「相場戦略研究所」さんのブログから猫次郎さんのブログへ飛んできました。

よろしくお願い申し上げます。

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まあよくある話で珍しくもなんともない。猫塾のころは、こんな人がゴマンといたから、平均的なドアホの典型であくびしか出ない話である。まあドアホの自覚だけはあるようだから頭が痛いが一応参加を認めて、参加証を郵送した。当人にとれば一大事なんだろうと思うが、僕にとっては日常茶飯事で、毎日朝日が登るぐらい当たり前の事で大半のアマチュアとはこんなもんである。それがどうした?いいかげんな事をしてるんだから当然の帰結である。3億親の遺産を全部飛ばしがアホもいた。(笑)
自分がダメであるという自覚のある人はまだそれでもなんとか助言のしようがある。でも本人は失敗の理由を切実に自分の考えから必然的に生じたものだという自覚が薄い。真剣に自分が馬鹿だと本当に思うなら、僕に会っても問題など一ミリも改善しないのは明白だ。
元社長に言われたとか、相場では何の意味も無い。「オメーは社長が死ねと言ったら死ぬのかよ?」と聞いてみたい.(笑)自分が変らない限り、残ったお金も時間の問題で僕に貢ぐことにきっとなるんだろう。(直接的な意味ではないよ。市場を通じてという意味だ。)

>グラフは最近また書き始めたばかりです。
一時期、株はもうやめよう。財産なくす、と思ったのですが、きっぱりやめることも出来ず、でも全く努力はしていなくて、猫次郎さんか らすればどうしようもない、という状態です。

このように考えているのなら、結論はいやというほど板に書いているからわざわざ会いにくるほどのこともあるまい。数枚しか月足を書いたことのないような人が30年、50年のグラフを見た所で猫に小判で最初から全く意味が無いだろうが、まあ気がそれで済むのなら別に良いだろうぐらいの事である。もしかして美女なら眼の保養ぐらいにはなるかもしれない。(笑)ブスだったらどうしよう?(怖)
話を聞いて金が儲かるかもと思うのは立派な鴨の証拠で、そういう人を相手に商売をしたこともあるから、今回はタダだし(こちらは手出しだよ)聞いてみようかなという人もいるんだろう。話は毎回同じだ。それでも僕の話をDVDにして売ったことがあった。1枚数万したと思う。良く覚えていないが3万か5万だったかな?200−300枚売れたはずで、メルセデスかポルシェを買った金になったはずである。

 時々、相場の話を聞いているのに人生相談みたいな話になってこちらは困る。俺は占い師でもセラフィストでもないから、そういう話は新宿の母とか精神科医に行って欲しい。愚痴も困る。亭主か奥方に言うべきで、相手を間違えている。

勘違いして欲しくないのだが、30年グラフを100枚やそこら書いても相場はちっとも上手くはならない。これは絶対に言えることで(ベトナムさんだって300枚書いてもちっともわからないと言っている)こんな程度の努力で金が取れるのなら世の中で相場で損をする人間がいるはすがない。全員が金持ちだろう。なら何故書けというのか。相場に対する(仕事に対する)取り組み方の姿勢をまず本気にさせるためである。100枚書いて何もきっとわからない。それでダメだと諦めればもう相場とは縁が切れるだろう。わからないからあと900枚は書いてみようと思えば、その人は先に進む切符を自分で買ったということだ。相場をするのは自分である。だから仕事を決めるのも自分であり、リーマンのように言われたことをすればとりあえずは金になるというような温い世界ではないという自覚を作ることがまずスタートラインなのだ。そのスタートラインの100キロぐらい手前でああだこうだと言っている人をアマチュアとか鴨とか僕たち専業は言うのである。
「下手がうつるから側に来るな」とおくあんさんが前に言っていたな.(笑)

「起きろ」そう虎父の低いうなり声が聞こえたような気がした。確かに何か声が聞こえる。女の声?懐かしい優しい声だ。猫太郎はまどろみの中に母の声が何か言っているような気持ちになって、その言葉をひとつずつ丁寧に拾おうとする。
これは遠い記憶なのか?母の記憶か、虎父の記憶か?」

「はじまりの世界には宇宙すらなく、天の創造神アンマのみが存在していた。アンマは言葉から宇宙を生み[、次に二つの白熱する壺を創ると、赤い銅の螺旋を巻きつけて太陽とし、より小さな壺には真鍮を巻きつけて月とした。天に掲げられた太陽は一部が砕け、その破片は星となった。空を満たしたアンマは、次に粘土から女の姿をした大地を創り上げると、それを妻とした。大地は生殖器としての蟻塚と、陰核としての白蟻の巣を身に宿していた。アンマは大地と交わり創世を続けようとしたが、その時、白蟻の巣がアンマを拒み交わりは困難となった。そのため、アンマは白蟻の巣を切り落とした。だが、この時になされた不完全な交わりはユルグを生む。ユルグは金狼の姿をした子で、男の魂しかもたない単性の存在だった。アンマは次に大地に雨を降らせて双子の精霊ノンモを生み出した。ノンモは自らを生み出した神の種子、すなわち水でできた存在で、緑色の毛をまとい、植物の未来を予言した。ノンモは母である大地に繊維を織った衣を着せた。だが、先に生まれた子、双子ではなく両性でもない孤独なユルグは妻を求め、その衣を剥がして母と交わってしまう。この近親相姦により、大地には月経の血が流れ、不浄な存在となり地上から秩序が失われた。ユルグは交わりによって言葉を得て、「夜、乾燥、不毛、無秩序、死」の領域を支配する存在となり、母との間に生まれたイエバン、その子アンドゥンブルと共に藪に潜むジャッカルとなった。一方、ノンモは「昼、湿気、豊穣、秩序、生」の領域を支配する水と言葉の存在となり、アンマに代わって天地の管理を行うようになる創造神アンマは不浄と化した大地から遠ざかり、粘土から人間の創造を始める。アンマが最初に創りだした人間は両性具有の性質をもっていたが、割礼を与えて性の識別を行った。結果、男女各四人からなる八人が生まれた。彼らはそれぞれ十の子供を得て数を八十人に増やす。この時期の人間には死の概念がなく、老いた最初の人間は大地の子宮である蟻塚に戻されて、ノンモの力によって精霊となって天に昇った。こうして精霊となった八精霊と人間の子からなる八家族は、天上で神から八種類の穀物を与えられて暮らしていたが、全ての穀物を食べてしまうと、やがて与えられていなかった生命の最初の胚種「フォニオ(最も小さい種子の意)」まで口にしてしまう。決まりごとを破った八家族はアンマとノンモを恐れ、相談の末、天からの逃亡を決めた。最初に長子の一家が行動を起こす。巨大な駕籠に天上の土を厚く塗り固めて方舟をつくると、天の八つの穀物を始めとするありとあらゆる魚、家畜、鳥、野獣、植物、虫を詰め込んだ。天から持ち去る品々を入れ終わると、長子は屋根に糸巻き棒を突き立てて、矢に糸を結びつけてから天蓋に放った。矢は天蓋に深々と突き刺さり、糸を伝って方舟が地上へ降りていく支度が整う。だが長子はそれだけでは満足せず、天上の鍛冶職人でもあったノンモの作業場に忍びこんだ。目的は鍛冶道具一式と熱源として使われる太陽の欠片(火)だった。太陽の欠片は灼熱を放っていたが、長子は二股の杖を用いてそれを持ち去ると、自らの方舟に隠した。全ての準備を整えた長子とその家族はついに降下を開始する。虹の曲線に沿い、回りながら建物は降りていく。だが、その途中にノンモが強奪と逃亡を知った。ノンモは天から長子の家族へと雷を落とす。落雷に打ち据えられた衝撃は凄まじく、長子たちの手足はあちこちが折れ曲がってしまった。それでも方舟は降下を続け、大地に到達する。だが地に降りるその振動により、乗っていた人間や積んでいた動植物は世界のあらゆる場所に放り投げられ、拡散した。その一方で、ノンモの雷撃を受けて折れ曲がった体は新たな関節となり、初めて人間の体は鍛冶や農作業に従事できるようになった。続けて残る七家族も相次いで降下し、ドゴン族を代表する八家族が地上での生活が始まる。その際、最後の八番目に降りたレーベ・セルは、自らの死をもってユルグに穢された大地を浄化した。これは人の最初の死とされ、その後、レーベは地上にヘビの姿のノンモとして転生した。レーベの死と転生に至る一連の流れは、植物の死と再生(特に小麦)の象徴とされている
四家族が地上に降りる前、地上はユルグの支配する領域となっていた。地上は穢れ果て、闇と乾き、そして死に満ちていた。だが、ノンモの化身である八家族の精霊が降り立ったことで闇は払われ、天の土から作られた方舟は穢れ無き大地として八つの穀物を育む新天地となった。天の領域以外ではユルグはなおも強大であったが、七番目の子孫の時代、ノンモの一人が蟻を通じて人々に「第二の言葉」を授けると、人間はユルグの支配を打ち破れるようになり、ユルグは支配の力を大きく喪失した。農耕による大地の浄化に伴って広がるノンモの領域において、ユルグに残された力は「世界の秘密の暴露」のみとなる。ノンモの制約の下では、ユルグは人間へ世界の全貌を伝える預言者だった。そのため、ドゴン族の行う占いではユルグに問いかけを行い、ノンモの守護のもとその言葉を受け取る。不完全で無秩序なユルグがノンモの制御を受けて人に恵みをもたらすという形は、占いだけに限らない。植物の死と再生を繰り返す農耕においても、それぞれを象徴するユルグとノンモは共に欠かすことはできないとされている。そのためドゴン神話では、世界の正常な運行のために両者とも必要不可欠な存在と扱われている
ドゴン族の神話に度々登場する存在として『世界の卵』という概念がある。ここでは、世界の卵が登場する神話を紹介する。また、「シリウス」の節においては、マルセルグリオール1950年にジェルマンディターレンとの共著でアフリカ学協会ジャーナル誌に掲載し、センセーションを引き起こした研究論文『スーダン原住民の伝承によるシリウス星系』のドゴン族の宇宙観について解説する。
宇宙を作り終えたアンマが次に創造したものは、キゼ・ウジ(『最小のもの』の意)であった。キゼ・ウジは最初の生命であり、ポーという穀物の種子となる。キゼ・ウジは神の手で揺さぶられ、揺れ幅は次第に大きくなっていった。アンマが七度目に振動させた時、キゼ・ウジは『世界の卵』を生む。世界の卵は原初の子宮であり、アンマ以外で初めて人格のある二組のノンモがその胎盤に宿っていた。双子にはそれぞれ片方に男の魂が、もう片方に女性の魂が入り、同時に生まれて両性のバランスを保つものとされていた。だが、男の魂を持つユルグという名のノンモがアンマの意思に反して先に生まれると、神の穀物ポーとそれが生み出した七種類の穀物を盗みだした。さらに胎盤を千切りとると、それを方舟として宇宙へと旅だっていった。しかし、ユルグは不完全な単性の存在であり、孤独に苛まれて自分自身の魂でもある双子の妹、ヤシギを求めて世界の卵に戻ってくる。だが、アンマはそれを許さず、ヤシギをもう一組の双子の元へ隠してユルグを永遠に自らの半身を求める満たされぬ存在とした。ユルグはヤシギを得られぬまま世界の卵を再び去る。ユルグは代わりに胎盤を大地へと変えると、自らを生み出した胎盤からなる大地と交わるという禁忌を犯した。アンマは穢れた大地を浄化するため、未だ胎盤に眠るもう一組のノンモをバラバラに切り落として、大地の四方にまいた。ノンモの体は清浄な水からできており、またその破片には穀物の種子が宿っていた。ノンモから芽生えた植物は次第に大地を満たし、大地の穢れも生い茂る穀物によって払われた。それを見届けたアンマはばらまいたノンモの破片を集め、次に天の土と木を使って形をつくって再びノンモを復活させた。アンマは残された世界の卵の胎盤を使って「方舟」をつくると、復活させた一組のノンモと、新しく創造した四組の人間、そして八種類の穀物を始めとする新天地に必要なもの全てを積込み、地上へと送り出した。方舟の到来とともに地上はノンモの領域となる。大地は正常を取り戻し、人間には豊穣と秩序が与えられた


僕のマダムのお話

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桃、メロン、プラム、スイカと果物が大好きだ。葡萄も好きだしバナナもオレンジも好き。昔は果物なんてあまり美味しいとは思わなかった。でも結婚してマダムが果物好きなので引きずられているうちに好きになった。まことに何事につけても主体性のない男だとつくづく思う。なんでもすぐにマダムに影響を受けて変化する。変化しないとすぐに棄てられるなときっと心のどこかで本能が感じているんだろう。こういう一番近い人から受ける影響というのは即座に人生に強烈なインパクトになるから、一緒に暮らす女を選ぶのは男にとって人生で最大の重大事であるのは言うまでもない。これにしくじると、人生の幸運の大半を棒に振ることになるので、真面目な男はまず最初にこれに真剣に取り組むというのが物事の順序だろうと個人的には思う。本能が無くなった生物は即座に死滅する。だから草食男子はそのうち自殺者が激増するのは確実だろう。まあもともといてもいなくてもどうでもよいというような個体は集団の一部には常にいるはずだから心配する必要など無い。人間に限らず種は強者の遺伝子を中心に生き残るものだ。
 マダムが南国生まれで広島育ちだから吉田拓郎と一緒の生い立ちだから拓郎は悲観的なインテリ臭い詩を書くのが上手いが、マダムは楽天的というか、「歩く楽天」である。ワインが大好きで毎月の生活費で一番多いのがワイン代になってからもう10年以上がたつと思う。まあ彼女に上等の酒を飲ますために今もシコシコと地味に相場をやっているようなもんだ。車なんてそれに比べたら安いものである。
 僕は子供時代からずっと悲観的な暗い性格で実は自分でも困っていたのだが、マダムと結婚して度肝を抜かれることが毎日起きた。「悩むとか悔やむ」ということを彼女はしないのだ。まあ人間だから全然しないわけではないのだろうが、そういうそぶりを相手に見せない、いつもニコニコと楽しいこと、嬉しいことばかりを楽しそうに話すのだ。欲望の塊!至る所にバナナや果実が実っていると思っている女だから、お金に困るという事を本当に切実に感じるという部分がない。「楽しいから楽しそうに生きるの。その何か悪いの?」と正面切って言われるとこちらが暗い顔をして生きるのは事実馬鹿らしくなる。「はいそうですね」しか答えようが無い。それで僕は明るくなった。まあ適当にやれば良いという事だ、全て。成り行きでいけば良いんだ。だから凄く気が楽になる。だから直ぐに壊れるデカイ、ジャガーを東京では6台も乗ったがさすがに田舎では壊れると生活に支障をきたすのでいやいやメルセデスになった。本当はマダムは嫌いなのを知っているから内緒で買ったのだ。
だから我が家は実にうるさい。いつでも音楽がかかりっぱなしである。ジャズピアノとラッパが多い。あまりにウルサいから「考え事」なんかするゆとりは無いのである。こんなにウルサいとテレビなんか買ったらまた更にウルサくなるということで、ずっとテレビは結婚して20年以上買わなかった。そういう変な家で暮らすと、子供たちはすこし変って育ったかもしれない。大人になったからまあもういいかと思って大型テレビを新宿のドンキで雨の日セールというのをやっていたので30万ぐらいのを21万で4台だけ売るというのにたまたま台所洗剤と焼き肉のタレかなんか買う時に偶然出会ったので即買いしてみた。42型のパナソニックのプラズマだった。そもそもプラズマと液晶の違いが今でも何か知らないし興味もないし映ればなんでも良いし、21万(2005年で)が安いか高いかも無論知らない。たまたま財布に100万ほど現金が入っていて、マダムのご機嫌が良かったというだけの偶然である。100万円なんて毎日の値動き以下の日が多いのだから、毎月の生活費は全部誤差の範囲のような生活にいつの間にかなってしまった。財布が空になりそうだと銀行で100万降ろして財布に入れる。その繰り返しだ。マイダスタッチという英語表現があるけれども、触れたものが瞬時に金に変るミダス王の故事にならって、富が多すぎると不幸になるという意味であろうか?僕の場合はまだちっとも不幸にはなっていないから低位株で何億か取っても不幸にはほど遠い。これからもどんどんとお金は必要もないが増えそうだし、幸福ももっとたくさんやってくるような気がする。そしたらベトナムに家でも買って、オネーチャンを紹介してもらって、カラオケバーでも丸ごと買ってみようか?ベトナムさんと1億づつ出して馬鹿な日本人のリーマンのオッサンを鴨にカラオぼったくりバー共同経営なんて面白いかな?でも美人を全部取られるのは困るな。ネーチャンはくじ引きかじゃんけんにしよう。これなら酷い不均衡は多分おきないからね。専業相場師が地味に取る額は富というほどのものではないという事だろう。富みという言葉にきっと失礼だ!100億ぐらいで富というのだろか?やはり是銀の200億ぐらいからそう言うのだろうか?バカラ氏の目標が10年前に100億だったと思うが、彼は取れたのかな?とちょっと週刊誌的興味が湧く。重工と大成だったなあ、銘柄は。
 でも60歳で一人暮らしの山の生活にお金は全然必要ない。30万でも100万でも200万でも生活の質に大差はないだろうと思う。そもそも贅沢品消費が楽しいのは若いうちだけだろう。「あれが欲しい、これも欲しい」というのは無いから欲しいのであって、苦労して金を儲けて買ったら「ああこんなもんか」とがっかりしたと思う事がきっと誰でも大半じゃないのかな?と経験的には思う。嬉しいのは最初の数年だ。あとは全部僕は飽きて興味がなくなった。その点、相場は面白いからいつまでもダラダラとやっている。
内田樹は2000万以上の金は意味がないという。それ以上消費しようとすれば、「金が金を買う、売る」という世界しか実質的にはない。日常生活の本質とは関係ない金という記号世界の出来事だから、「なくてもよいもの」であると言う。不動産、株式、債券の類いは金の違った意味での記号である。生活とは関係があまりないものばかりである。だから全部使って楽しいことを家族とか親しい人と共有するのが豊かな気持ちと豊かな暮らしだ。みんなそうすれば少しは幸福が広がると思う。
 ベトナムさんのネーチャンが、お兄ちゃんの軍人さんにオートバイを買って上げるという良い話があったが、家族の誰かがたまたま当たって金が儲かればそれをみんなで分けて楽しむというような緊密な社会性というのが企業社会が発達してからずっと日本では破壊されて来た。単身赴任とか多いのはそのせいだ。日本で一番多いのは尊属殺人である。親子、兄弟、祖父母や配偶者の殺人事件が多い。直接的な加害者は家族で被害者も家族ということだろうが、実は加害者は企業中心の生産社会そのものによる家族の解体が根本的な原因である。レビーストロースはこうした歴史を批判したインテリだ。
 人間集団の最小単位である家族の変質は、最も重大な人間社会の変化である。これに眼をつけているのは社会人類学者や人口学者であるが、あまり日本ではこの種の変化を考えている人は多くないようだ。物事の見方、考え方という視座が近視眼的で刹那的で、思想のリーチが短かすぎる嫌いがあると思う。
国民がそうなら政治家はその鏡に過ぎないのだから、政治家の馬鹿や無能を笑ったり批判してもそれは自分の馬鹿の照り返しの反射像にすぎないことだ。まず自分自身を変える、それも今直ぐに決定的に方向転換して勇気を持って企業生産社会と決別して個人の力で単独でも豊かに生き抜いていくような生き方を僕たちは求められてはいまいか?と何故政治家を馬鹿にする国民は考えないんだろうと不思議な気がする。どうせ誰もが定年で棄てられる運命は変らない。洩れなくリーマンとは最初からどうせ全員が使い捨ての予定調和の駒なのだ。でもまあ、温い仕事でも一応小銭でもくれるなら貰っておくのも貧乏臭いが手ではある。奇特な会社があるのなら頂戴して楽しく暮らせば良いだけだとも思うが。でもやはり時間は無駄になる。やりたいことが出来ない人生はもったいないなと僕は思ったので30でやめた。マダムは「ふーんそうなの、がんばってね。」そう一言言っただけだった。偉いが恐い女であるとつくづく思う。

 田舎に一人でいると一人で買い物に行く。だから欲しいもの、好きなものしか買わなくなる。昨日はまた村の駅という産直に行って、果物、野菜、魚を買った。
マグロのカマのでっかいのが200円、多分安いのだろうと思う。この前 寿司屋でカマ焼きを喰ったら2500円だったから1/10だね。メロンは680円だ。高野だともう少し大きいけど1万円だ。プラムなんて8個200円だ。タダみたいなもんだね。田舎は農産物がとても安いのだ。伊勢丹の生鮮売り場の1/3とか1/5が平均だろう。でもこっちのが毎朝とれたやつだから不揃いだが美味しいよ。食費はこうして半分とか1/3になってしまった。住居費も安い。管理費はたったの5万ほどだ。都会の家賃や駐車場の10分の一である。でも相場は田舎でも都会でも変らないというか田舎のほうが売買がゆっくりになるから利食いの値幅が伸びる。ますます年をとって欲しい物が減って金は要らなくなるのに金は増えるという皮肉なことが起きてしまう。
 アメリカの小説家の誰かが(ミラーがスタインベックか)書いていたように思うが、男の人生を劇的に変えるなら「住む場所と寝る女を変えろ」ということだった。まさしく真実であると思う。あげマンがいると男は劇的に変ると思う。現在不幸な男は即座にそうするべきだろう。やり直しはいつでも遅くない。ジョージソロスは4回もやった。高橋源一郎も4回もやった。運が良いのか悪いのかよくわからんが、随分と金とエネルギーがたくさん必要だったろうと同情したい。(笑)ご苦労様!!


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