And even among these rocks
Sister,mother
And spirit of the river,spirit of the sea,
Suffer me not to be separated
And let my cry come unto Thee.
時々、なんで普通の勤め人の暮らしがコツコツ出来ている男が相場で喰うなんてことを魔が差して考えるのだろう?と不思議な気がする。自分の場合を考えると、18歳の時にたまたま少し貯金があった。大学1年の時できっと建設作業員と家庭教師と家のアルバイトをした貯金だったと思う。父親が相場をしていたから、日本経済新聞を読んでいた。それで帝国石油という銘柄の「名前」がカッコイイ!と思って、まあきっと石油の会社だろうとは思ったが何も調べもしないで買った。130円ぐらいだったと思う。競馬と同じだ馬の名前で買うというやつ。日本橋の協立証券だった。(今は無いと思う。)いきなり4000株。買っても分割とかナンピンとか場帳とかグラフとかも全く知らない。時々 新聞を見ていただけだ。その後しばらくして偶然石油ショックが起きた。それでいきなり300円台へ暴騰した。380円ぐらいで全部売った。100万円ぐらい儲かった。大卒の初任給が10万円しない頃のお話。まぐれ当たりである。これで相場は儲かるものだと思って相場師が職業としてはやはり「最高!」だと思い、そのためには資金がたくさんいるなとガキなりに思って、大学を出てリーマンをとりあえず7年した。資金を溜めるためだ。26歳でマダムと結婚した。頭を擦りつけるぐらい平身低頭でお願いして4ヶ月でOKになった。(うねりの周期とほぼ同じだな)涼子さんという鹿児島の女性で後で聞いたら奄美大島の御姫様の末裔だった。恋文を200通は書いたな。毎晩かかさず書いたと思う。その習慣で今もブログ更新の頻度が高く安定して記事を書くのだと思う。TS.Eliot Ash Wednesday. Because, I do not hope to turn agein.を10回ぐらいに分けて書く。それは今も同じだ。イイ詩なんだよ、シュールでさ。「書く事」のフェチかもしれない。だからグラフを書いてると落ち着くね、すごく。ピアノ聞きながら「ああ、もうこれ上しか無いよね、3倍は硬いね。弾みなら10倍だ。」とかブツブツ言いながらいつも書いてるそうだ、自覚はないけど、、。
長身でロングヘアー、眼がとても大きな美女です。僕の最大のお宝!!(毎回のろけるが実に僕にはもったいない素敵な女です。「よくママはパパみたいな変な男拾ったよね、信じらんネーっ」と娘は言う。「アタシなら絶対アリエネー」だと。)最初は普通の女の子でしたがいつの間にか今は贅沢女になっていると思う。「美しい暮らし」というのがご希望なんでお金がかかる。でも僕の商売の動機にはなる。一番偉いのはアイデアウーマン、超感覚ウーマンなこと。つまりは上げマンです。最初の商売の企画も「マダムが通っていたアンティークアールデコ喫茶で雑貨を売ったら当たるかも? 」というもの。そこのマスターと仲良しになってそこで雑貨をブランド化したら4年で6億のビジネスになった。前の会社の上司、同僚、部下を6名引き抜いて即席急成長で当てた。製造元と客をみんな頂きです。人をなんとなくその気にさせるのは上手いのかもしれない。組合員組織率も95%と満点だった。アジるのは多分才能がある。テキストの有効性とはまさにそういう言う事だろう。僕のテキストでコロっという人多いです。当たり前だよね、読書量がパンパない。きっと常人の数十倍でしょ、暇だから。思考のリーチが長くないとメタなことは考えられませんよ誰でも。経験量なんて個人じゃ限界あるもの。
ねこ塾というのも、マダムがお花のアレンジ教室の先生をしていたので、「俺も暇だし相場の先生やろっかなー?」とジョークで始めたら2年で億以上売れました。手間と暇がかかるんで面倒で止めたけど暇つぶしで面白かった。贅沢を経費でガンガン落とせたし、、(笑)
マダムは妹のクラスメートでした。子供がマダムが26までに二人生まれた。僕は28で労働組合を作って、派手にストライキをした。パト6台とテレビ局も来た。赤いお揃いのバンダナで覆面して顔を全員で隠した。(笑)肖像権侵害で局を脅すのに弁護士を使うのをこの時に覚えた。その年の東京都の総評の最長ストライキ記録で表彰されたが俺は拒否した。アルチュセール、トロツキー、ゲバラと毛沢東が好き!だからTシャツ持ってます!マダムのお腹には二人目の長女がいたと思う。生産、販売、財務の仕事の基礎をリーマン時代に一応覚えて、ストライキをしながら、アルバイトで他の会社の仕事を受けた。だって就業規則が無い会社だからこちらだって何したっていいはずでしょ?会社の月給は26万、アルバイトは70万なんて生活だった。2年ほど準備して、会社を止めて、部下を先に役員で投入していた会社に資本を追加して役員(代表権あり)で入った。お金は3000万ほどあったと思う。思想的な趣味と行動的商売はまったく一致しないが自己矛盾なんて僕には常に毛ほどもありません。言っている事とやっている事が違っても別に変だとか思わない。相場師なんてそんな適当なもんですよ、きっと。商売は綺麗ごとがききませんから。朝令暮改は当たり前。気に喰わないと業務命令違反ですぐに首を切る。労働法を嫌というほど勉強していたので、今のブラック企業の小型版の走りでしたねきっと。
業務上はナンバー1、資本ではボスと同額のリスクを取った共同経営だった。相場もどんどんやった。資産株、優良株(日立、NEC,三菱地所など)を現物買って売るの繰り返し。ゴールデンチャートなんかミーハーで見ていたと思う。33か34の時には1億キャッシュと株式で持っていた。まあバブルの時代で若くて結構上手くやったほうかもしれない。でも寝る暇も毎日ないほど忙しい。子供の顔を見た事もない。海外が100日はある。休日は寝ているだけ。数年で身体が睡眠不足と胃潰瘍でボロボロになる。お金が少しあっても使う時間もほとんどないし、気持ちのゆとりもない。全然、幸せではなかった。仕事はきついだけ。それでも石の上にも3年というが、40までに引退して後は相場師と決めてなんだかんだとだらだら仕事を続けたが、40手前でついに切れた。「おれ会社止めて相場師になる。」「うん、いいよ」と3秒で済んだ。先の見込みなんて何もない。技術も感覚も無論ない。だからグラフと場帳ばかり書いていた。一日最低14時間。多いと16時間。トイレと風呂と飯以外は全部場帳とグラフ。30−40の10年間は年齢の割にはたぶんみんなより贅沢な暮らしだった。最初は楽しかったがすぐに飽きた。外車とか高級賃貸住宅とか海外旅行とかグルメとかまあ少し高級な暮らしをしてみたが、別にすごく楽しいとか幸福とかいう気持ちはしなかった。とにかく「時間がない」のだ。好きな本もほとんど読めないぐらい仕事で疲れる。周囲は元同僚の貧乏リーマンだから羽振りが良いと羨望と嫉妬ばかりでうざったい。そういう暮らしがしたいなら愚痴なんて言わないで自分でリスクを取ってさっさとやればいいだけなのに。300万と35万は均衡的にアンバランスだろうか?経営のギャラに年功性は馴染まない。好きな事をするのはお金がいると思ってはじめた仕事のはずなのに、お金が出きても好きなことが出来ない暮らしならまさに「無意味」である。プロテスタント的労働倫理の限界だね。でもまあ自分一人で仕事をしているわけではないからなんとか我慢して騙し騙し40まではやった。でもやはり切れた。それで会社を売った。アホと「連帯」なんてしたくないもん、俺。一匹狼のが好き。その後2年してそこは潰れた。だって俺がいないと無意味だったから。元のボスは自己破産。元上司は池袋の地下道でホームレスをしていたのを数年後に見た。人生は波乱万丈ね。どこまでひっぱって、どこで利食いを入れて、どこで損切るか?というのは事業も相場も似ていると思う。だらだらしないで、良い所で出て喰って退くに限ると思います。「投げと踏み」これにつきますよ。これだけ出来れば一人前だと思います。あとはやってりゃ馬鹿でも細かいのは覚えるからね。
相場師は個人経営の商店と同じだ。だから商売であるかぎり、儲けがないと無論喰えない。子供の頃から家が商店だったせいもあるのか、リーマンみたいに25日に給料を貰えるなんて保証は全くないのだという事は当然ガキのころから身体で知っている。稼ぐ時はザックリ取るし、ダメなら赤字が当然の暮らしだ。だから最低限の金=数年は実入りがゼロでも家族が生きていく金はいる。人によって異なるだろうが僕は最低「億」はいる。35ぐらいから常にそういう発想と状態だった。だからきっとリーマンとは最初から話が全然噛み合ない。でも小規模でも事業家ならきっと同様な話はわかるんじゃないかと思う。金は一切借りない、全部自己資金だから人の迷惑にならない。だからどう使おうが文句は出ない。
金は溜めるものではなくて作り出すものであると同時に費消するものでもある。つまりエネルギー循環だ。「動いていない」と意味を失う。蓄積しても発芽させないなら死んだ籾と同じ事。無いのと変らない。取ってきて使って、また取る。使う額より取る額が少しだけ多ければそれで良いといつも僕は思うから、あまり取るのも使うのも拘らない。というか拘っても無意味だ。取れる時は取れるし、取れない時は取れない。流れで相場次第だ。漁師や猟師と同じ事。獲物がいないのに力んでも疲れるだけ。ここがリーマンと決定的に動作が異なる。寝てるのが正解なの。長くやっていると腕とか運とかは長い意味では平均化していく。商売なんだからそんなもんだろうと思う。豊漁も不漁もあるが、子供は成人して孫が3人も生まれる頃になれば、先は時間的に知れている。もうガツガツしてもしかたないし、明日ポックリ死んでも後悔がない今の快適な生活のほうが、お金なんかより何倍も重要だ。それで57からついにお山の一人暮らしになった。朝寝坊、料理、温泉、昼寝、夜更かし、読書三昧。ネーチャンはいないけどシンプルで緩い猫との静かで気楽な生活。ブログをやってまた新しいガールフレンドが出来た。無論会ってもいないし顔も知らない。ひよこちゃんとペルルさん。昔の俺みたいで尖ってる。失うものが無いというのが好き。自分しかいないのも好き。でも凹んでいないで懸命に前を見ている。顔が下なんか向いていない。大丈夫、絶対君たちは大きくなる。全部成功する要素を持っているから、あとはコツコツやれば良い。女で良かったねー!!
古い船には新しい水夫が乗り込んで行くだろう
古い船を今動かせるのは 古い水夫じゃないだろう
なぜなら古い船も新しい船のように 新しい海へ出る
古い水夫は知っているのさ 新しい海の恐さを
吉田拓郎 イメージの詩より
マダムはお花のある暮らしが好きだし、お仕事をしたいから週に2−3日だけご一緒して僕は召使い運転手兼料理人。彼女は立場が逆転したことに至極ご満悦。丸く収まっているようなイイ感じ。
「相場で成功してお金持ちになりたい」というような子供時代の淡い夢のようなお話は若い貧しい人にはこんな世知辛い世の中では魅力があるときっと思う。人生1回ですごく短いから、誰でもクスぶっていないで若い人はしたいことをするのが良いと思う。それが仮に相場というのなら一度してみれば良いが、それはリーマンとはまったく異なる「狩りの暮らし」だと僕は思う。30−40年もリーマンしかしたことが無いような人は多分しないほうが良いと思う。無くてしまうとお金はその年では絶対に帰ってこない。そういう例を嫌というほど見ている。1000人いたらせいぜい数名が成功する世界だろうと思うから。残る人は相場を事業的な発想や方法で行う人なのだろうと思う。蓄積ではなく循環なのだ。出して入れる。自然な循環が出来る人。Hと似ています。スケベな人に向いています。真面目なリーマンはだから全員毟り取られると思いますよ。思考法がダメなのは直らないんです。僕は30代からずっとインテルヤクザって言われてましたもん。左翼のヤクザってマジいますかね?
「相場とお金は呼吸と一緒だ。だから相場は新しい人を常に待っている」そう僕は思う。
ひよこちゃんとペルルさんがお友達なのを後でひよこちゃんのメールで知った。お二人は若いからこれからの日本の元気をどうぞ背負ってください。そのうちお暇になったらお二人でご一緒にお山にグラフでも見に来てね。温泉あるし、僕がご飯を作ってあげるからね。パーカー98P以上の美味しいワインが100本は常にあるよ。5年練習したらカフェ飯ぐらいのレベルは出来るようになったからねー。
でもね日本はサッカーと同じでダメ男ばかりですが、そういうの一人二人見つけてどうか相場で儲けてダサイ男でも喰わしてやってくださいよ。そうしないといつか日本人がいなくなっちゃいます。東南アジアでは男は種付け以外には働きませんから、期待しても無駄。温暖化したので日本もそうなってきたのね。下男か召使いだと思ってアゴで使えばいいんです。うちの娘もそうですね。旦那はだから俺より大変従順です。
現在でもそうですが、日本の未来は女が作る。身体と精神が既にそうなっているから。もう「大きな物語」は終わってます。男は馬鹿だからまだ未だに「忠臣蔵」と「坂の上の雲」ばかり探している。頭が19世紀なんだ。(爆)そんなのはツチノコ見つけるのと同じですねー。いるわけないのよ。 |
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