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猫次郎のなんたらかんたら書き放題
お山の上から鴨を食うノマドライフは極楽ね

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WOLF OF WALLSTREET

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 Wolf of Wall Street を見て来た。デカプリオの熱演で、かなり本気に証券セールスマンを演じていたのが好ましい。全編ドラッグとSEXというかFUCK一色の豪華な映像だが、嫌らしさが全くないのは、エロスを描くのではなくファナティックを描くという監督の考えによるのだろう。娼婦が都合100人ぐらいは登場するのがいかにも派手好きの株屋らしく好ましい。欲望とは何か、金とは何かがリアルな絵になるとこういうものなのだが、そういう絵が好きな国民がアメリア人には多く、日本人には少ないというだけの事だろう。300名ぐらいの箱で2時からの入りは10名だから大赤字であろう。しかも1000円の割引でこれだから、映画産業も大変だなと思う。木曜の午後に24未満禁止の映画に来ていた女性は、金持ちのマダムが一人、たぶん旦那連れ。フアージャケットにシルクのショートドレス、パンプスに髪はシニョンで化粧は豪華ダイヤの指輪がキラリ、多分50歳ぐらいのご婦人でなかなか美人だった。この映画に出ても違和感がない感じ。(笑)実話を題材に演出とあるから、この手のやり手の成り上がりが未だにアメリカにはいるという健康な証拠だろうと思われる、ちょうどホリエモンが逮捕されたことと何か重なる部分があって、成り上がると潰されるという図式はよく似ている。ジャンボ機を借り切ってfuching partyをやるところも同じなんじゃないのかなあ、、。とにかくお祭りがお祭りを呼ぶ。お祭りはエネルギーの無駄な消失を持って本義であるから、それは奢侈の本質的な社会的役割であるが、普通の人には意味不明の世界ということだろう。「貧乏は美しくない。」というデカプリオの演説が耳に残った。
さて少し動きがあったので数枚動かしてみた。チノーを2枚、神栄を1枚利食い、A&A 4枚、浅沼組を1枚、世紀東急を1枚拾った。どれも繰り返し売買の下値を入れたことになっている。ここから更に下に行きそうな感じが強いから突っ込みをぽつんぽつんと拾うという動作になろう。戻れば外して、突っ込みは拾うといういつもの動作で転がるものは転がすだけのことだ。多分、彼岸ぐらいまではこんな感じが続くと思われる。グラフでは安値の小動きになってきたのもが大半であるから日柄待ちという感じだろう。揉み場が長いということは、結果的に離れる場合は大相場というのが宿命だろうと思われる。前回は18ヶ月揉んで一気に離れたが、今回は長いもので約12ヶ月、短いものでまだ5ヶ月ぐらいだから、そろそろどこか先行する物が動くというのがありそうな気配である。4月の消費税上げぐらいが契機となって動くのかもしれない。何が動くのかは誰にもわからない。だから適当に散らしておく以外に手が無い。当たるも八卦、当たらんも八卦。(笑)

シニアブログの可能性

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日本ブログ村というランキングサイトに行って、シニアブログというのをいくつか拝見した。人生の先輩たちが丁寧に様々な話題をさらっと書いているのはいい感じだなあと思う。家族、健康、天気、食事、植物や趣味、過去の仕事、金、ひとそれぞれ彼らの背景にある生活感が伝わってくる。シニアというだけあって、あまり気負いもないし、脱力して楽に書いているが、写真やイラストなどかなり凝っているサイトも多い。これかなり時間がかかるんのだろうなと思う。テキストは散文的な数行の生活の報告や愚痴、感想といったものが中心だから、誰かに伝えるという体裁をとりつつ、自分に確認の意味で書いているという感じなのかもしれない。ランキング上位ということは読む人がとても多いのだろうから、読み手のことを気遣いながら極端な自我を出すような書き方をしているような人は稀で、誰のを読んでもあまり変わらないような気もする。日本で何かをヒットするためには、「好かれる必要は必ずしもないが絶対に嫌われてはならない」というような事をどこかで目にした記憶があるが、まさにそのような嫌われる要素を排除しているのがシニアな大人の作法という事なのだろう、多分。
 60歳定年を機会に離婚しましたという主婦がいたり、64歳で奥様が病気で他界された後サバの煮込みを作ってなくなった奥様の味に近づけるのに4年かかったという男性、ガンにかかって闘病日記を書いている女性などいろいろご苦労が多い生活をされているのだろうが、書くという行為を通じて自分の記録によって自分を整理し、成立させ、肯定し、進むというプロセスをどなたも取られているようだ。こういう方が多くいれば、老人の比率が高くなっても別に社会が暗くなるとか元気がなくなるようには思えない。話題で多いのは、時節柄、オリンピックが圧倒的だ。僕はほとんどTVを見ないせいで、誰がメダルを取ったのかはグーグルニュースで目に入るが、顔と名前が一致するのは真央ちゃんぐらいしか知らないので「ああそうなんだ」と思うぐらいで、深夜まで見て朝寝坊する人がきっと多いのだろうなあぐらいしか思い浮かばない。世代にもよるだろうが、ブログを書くということはキーボードが打てて、ネットが身近な生活ツールになっているということだろうから器用なシニアということだろうし、写真やイラストや絵文字を入れて、ビジュアル効果を演出するぐらいだから時間的に相当な余裕がある人たちということだろうと思われる。テーマ性があるブログもあって、例えば料理が好きな人はレシピを書いたり、外食が好きな人は行った店のメニューや料理の写真を並べたり、毎日の空や自然の写真を取って載せたりとバラエティーが豊かだ。ペットの写真も多い。僕も猫を飼っているせいか、載せるものが無い時は猫を撮って載せるから、いわば自画像のようなものである。自分の中の他者性というか、他者の中にいる自己性というか、ペットはその飼い主とある意味等価性を持っているように写真からは感じられるのが不思議だ。
 趣味の差といえばそれまでの事だが、あまり本を読んだ感想とか意見とかを書いてる人が多くないのは何故だろう。ブログの中では、節約のために図書館で本や雑誌を借りるという記述があるのにその本が誰の本でどう感じたかなどは書かれていない。図書館に行くとシニア層の利用率は高いのは確認出来るが、本は話題にはならないのかもしれない。まあ共通性が無い話題を買いても仕方が無いと思うのかしら?貧乏を自虐ネタにしている同世代のブログもあった。ご両親がご病気で介護生活の傍ら夜勤が多い仕事らしいから肉体的にも経済的にも困難な様子が伺われる。50歳を過ぎると人間の生活は随分様々な大変さに見舞われるのが当然だというのが確認できる。話題の共通性は僕も同じようなものだし、特別な事は何も無い。あるとすれば相場という事だろうが、これは日常の仕事という事だから、誰しも何かはあるだろうし、それは書いてどうなるというものでもないだろうからあえて書かないということなのだろう。僕はこうした、こうする、こうしないくらいしか書きようが無い。引退した人は年金暮らしの人が大半で多分つつましい生活を楽しんでいる様子が微笑ましいが、こういう人たちは僕のマンションの住人にも多いようだ。子供と同居はしない老人が増えているのはブログを読むとよくわかる。一人暮らしのほうが多いぐらいだと思われる。
アメリカの女流作家、メイサートン の「回復まで」という優れた日記を2年ほど前に読んだことがある。老女が65歳から20年間一人暮らしを綴った日記文学のお手本のようなテキストで海沿いの家で猫と暮らす毎日を徒然に書き下ろしている。文体はリベラルで品がある。彼女はバイセクシャルだから一般の人よりも人間関係が複雑で濃いという背景の特異性があるのだが、自分の恋人が病気で死んで行くのを介護しながら看取る暮らしの回想に自分の老いや病気を重ねて命と自然を淡々と美しい文章で綴る。決してポストモダンの作家たちのような仕掛けを構えて書くようなスタイルではないが、ジンと胸に迫る死に向かう人間の共通性というものをあぶり出しているように僕には感じられた。このような質の高い日記文学がいつか日本でも書かれる時がくるのだろうか。誰も避けることの出来ない死という最終ゴールを意識するというのがシニアの特権だと僕は思うが、それを見ないフリをして若ぶってみてもやがてはやってくるそれに対してどう納得しどう受け入れていくのかというのが老人の尤もエキサイティングな仕事なのではないのかと思えてならない。三島由紀夫は40歳の時に、「僕は65歳ぐらいで病気で死ぬでしょう。」と語ったわずか6年後に割腹で自裁したが、彼にはどんな納得と受け入れがあったのだろうか?あの世に行ったら是非聞いてみたいと思う。宗教というアヘンを吸わずに僕たちはそれをどう綴れるだろうか?

痴呆という病気

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仕事ばかりしている働き蜂の中毒患者のような人が、一旦仕事を辞めたら何をしてよいのかわからなくなって、元気を途端に失って痴呆症になったりすぐに死んでしまうという例が多いらしい。燃え尽き症候群というのか、怠け者の僕には想像もできないことだが、どうしてそんな不可解なことが起きるのだろう?
僕は昔、埼玉と東京の境あたりの新座市という所に住んだ時があった。かれこれ20−25年ほど前だ。お隣さんは、自動車整備の専門家でメルセデスのディーラーにずっと勤めていて僕より10歳ほど年上だったが、その頃の僕はすごく仕事が忙しい時期で家には寝に帰るだけの生活だったので、小さな子供の相手はできなかった。お隣のそのおじさんが息子と娘の土日曜の遊びの相手で、自転車に乗ったり、買い物に行ったり、運動したり、凧揚げや釣りに連れていってくれたりと父親替わりに子供の面倒を見てくれた。彼は独身だったから自由時間で子供の世話をするのがお好きだったのだろうと思う。その後再婚されて、家を新築して奥様と僕の家族とは仲良しになったが、僕の都合で都内に引っ越しをした。僕の住んでいた家はその後マダムの両親が新築し直して住んでいた。そのおじさんが定年で引退されて、しばらく工事関係の技術的なお仕事を少ししていたのは知っていたのだが、10年ほど前に突然入院したという話を聞いた。「がんかな?」と最初は思ったのだが、後で話を聞くと若年性痴呆だと知らされた。奥さんの顔もよくわらくなるらしい。ほとんど近い過去のことをすべて忘れてしまうという病気だ。現在は狭山市の病院に入院しているが回復の見込みはないと医者に言われたらしい。奥さんも仕事をしながら支えているが、家を売るという話になっているらしい。定年後、たったの数年でそうなったのは多分、真面目な性格できちんと仕事をするということに生き甲斐を感じてきたからだろうと思う。正確に、正直に、誠実に、丁寧にと一見何一つ悪い所のないような働き方の真面目一筋のような典型的な良い人=多くの日本人の理想的労働者のような人に若年性の痴呆が多いというのは多分労働災害だろうと僕には思われる。人間はもともとそんな理想的な行動が可能な動物ではないと思うし、そんな正確にキチンと長い間動いていたら、そのつけが後でドッと出て、どこかが壊れたり狂ったりするのは当然だろうといいかげんな僕には思われる。ビジネスは普通は組織でするから、組織の仕事は計画、実行、見直しのフィードバックの無限の連続である。逃げる場所も終点もなく定年まで永遠にそれが続く。人間は機械部品ではないから、そういうプロセスにずっと何十年も耐えられるようには出来ていないと僕は思う。配置転換とか異同とかいうのは、そのために定期的にやらないとたぶん会社の部品として破損が早いからではないかと僕は思う。定年という時間によってそれを強制的に取り上げられたら、その人は生きるという行為の軸そのものを失う。金の問題も多少はあるのかもしれないが、いままでその軸を中心に回転してきた自分という全存在が軸を失えばバラバラになるのは当然だろうと僕は思う。器用にすぐに他の軸を見つけて乗り換えが出来るような人なら、そんな病気にはならないだろうが、なかなか上手くはいかないことのほうが多いのだろうと思う。
昼間からすることがないので酒ばかり飲んでいる定年後の人が多かったり外出しなくなって奥さんの後ばかり付いて回る男が多かったりするのはそのせいだろう。いきなり趣味とか第二の人生とか言われても、忙しくて仕事以外になにもしてこなかったから何をしてよいのかわからない。何かするというのは、つねに会社の業務指示の通りにしてきたから、自分からこうしようと考えて仕事をしてこなかったからどうしてよいのかわからないというのだ。月給取りは基本的にそういうものだと言えばそれまでだが、この話は悲しい。
相場戦略研究所の総長も、リーマンをしていた時は会社が嫌なときは釣りに伊豆に毎週のように来ていたと言っていた。仕事をやめて相場専業になってから釣りはほどんどしなくなったと言う。したいとも思わなくなったということだ。つまりストレス解消のための逃げの釣りだったのだろう。相場が面白いとか必死になるとかすれば、相場は生きるか死ぬかの容赦など無い世界だからそれ以上に面白いというか真剣になる対象などそうそうあるはずもないから、釣りの必要性がなくなってしなくなったのだろうと僕には思われる。だから自分が本気でなにかをしようとするのならきっと趣味など多分必要ないと思うが、その本気の対象を自分でコントロールできないものだとすると不幸が待っている。喪失感が大きいと軸がぶれて人間は狂うということになる。
 そうならないためには、自分の好き勝手に生きるという以外にないだろう。相手に合わせない。自分に相手を強制的に合わさせる。力技が当然必要となるし、金と体力と悪賢さがある意味不可欠になる。これはどこでも売ってはいない種類のタレントだから自分で工夫して開発する以外にないし、そう簡単に手には入らない。好き勝手に生きれば飢え死にすることはあるだろうが、痴呆になる暇はない。自分勝手な人はいわば生きる社会悪のようなものであるから、周囲から反発を買い、妬みを買い、足を引っ張られる。つまりそれを跳ね返して進まないと好きには出来ないからかなり真剣になる。だから痴呆になる暇はないのだ。結論としてどちらが楽か?良い人をやるほうが楽に決まっている。だから日本人の大半は良い人になって痴呆でくたばる運命を定められていると僕は思うのだ。ジョージソロスは3回離婚して4回結婚した。85歳のじいさんだ。先が長いとも思えないが、大金を払って離婚する。それは彼が好き勝手をするためにお邪魔なマダムを買い替えるファイトと金と体力があるからだろう。すげーな!と同じ女好きとしては思うが、僕には絶対に真似ができない。そこはわざわざそんな今さら大変な思いはしたくないという良い人になってしまうのである。ソロスみたいに金はないしさ。
 たらればの話をしてもしかたないが、次に生まれたら何なるかという下らない質問がよくある。僕はまた相場師になると思う。次ではない今が大事なのだから、今している事以上の欲望があるとも思えない。好きな事だけしているとそれが本当に好きかどうかはわからなくなるが、たまにそれを休んでみるとホッとする反面、またすぐにやりたくなる。そういう三度の飯より好きなことを見つけて没頭できるということが当人の幸福ということなんだろうと思う。その成果は本人にしか本当はわからない。当然、金が絡むだろうが、それは考え方次第ということで無いなら無いの幸せは無論あると思う。多分金は、自分が好きな事をするために周囲に対して支払うコストのようなものだから、彼のものではあるが同時に彼のものでない。その好きを許容してくれた周囲の人のものであるとも言える。
黒鉄ヒロシが西部との対談で成金の定義をしていた。「成金は豪邸を建てたがる、成金は大きな車をたくさん欲しがる、成金は妾をたくさんほしがる」というのが3要素だそうだ。ほとんど僕は該当する項目はないと思われる。それらは確実な物的実需であろう。今、日本が必要としているのはこうした成金だろうと思われる。規制緩和をして重婚を認めるとかすれば出生率は上がるだろうし失業率は下がるだろう。女性差別ではない。女性も重婚すれば女子の成金は男妾を囲えば宜しい。アラブは4人まで妻帯が可能な世界であるから別に人類史で珍しいことではない。トッドではないが、仕組みを根本から変えるには、最も基礎的な小さな単位=家族の単位を変えるが劇的な効果となるのは当然だと思われる。西洋の没落はこの点から始まったと考えて差しつかないと思われる。one to one という平滑平面には逃走線がないのである。平滑平面のブレークスルーには違法状態が必要となる。だからみんな平等で一緒という仲良し世界は成立しない。仮にそういう世界に生まれたら、貧しい若者が「草食男子」なんて悠長な事を言っていられるとは思えない。メスが欲しければ真剣に狩りに行く。そういう本能が失われた時、多分人間は痴呆に向かって進んでいくのだろと根拠なく思うのだが、、。

雪道の散歩

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今日は別荘地探検に出かけた。登山靴を履いて、ダウンを着てストックと手袋とサングラスで準備万端で往復5キロほどのいつもの散歩道を行く。大半が傾斜のかなりある坂道で、2カ所ほどストックがあるほうが安全な場所がある。除雪が出来ていない場所があり、自動車の通過が不能な場所は1カ所のみ。普段でも勾配が10度以上有るカーブで2速でなんとか上れるという場所だから雪があるとまず上がれない。管理事務所の除雪車と6−7人のアルバイトの若者がスコップで雪を除いていた。それ以外の道は除雪車が通って、路肩に雪を積んでいるから、1車線分の道の中央は乾いている部分が多かったが、すれ違いが難しい場所が多い。今日は宅急便も生協の宅配便もスタッドレスタイアで配達をし始めた。僕の部屋にもいつもより3時間遅れで、猫砂と猫飯が届いた。みなさんご苦労さん。
先週金曜にロハコという通販サイトで発注した物の到着予定日は、土曜というメールが最初来たが、今日になっても届かない。大阪発らしいから高速のストップで大幅に遅延しているらしく基幹店というところにまだ朝は有った。これは大和便だが、各社高速のストップで大きな遅延になっていると思われる。コンビニの棚にパンや弁当がない店が山間部付近では多発したものと思われる。在庫を持たないジャストインタイムのかんばん方式の生産システムは普段は効率が良いが、非常時には全ラインが部品1つで止まるというリスクを抱えてる。以前、東北の地震の時に、トヨタの部品が遅延して全ラインが数日止まったことがあったが、陸上輸送が発達すると逆にリスクが高まるケースも起きるということだろう。しかたないと諦めることしかない。それでも地球は回って行くし、大したことには多分ならない。人間はなんとかするものだからだ。いつものルートで管理事務所の屋上から別荘地全体を撮影してみた。僕の建物は中央のオレンジの屋根の左上にある傾斜のあるひな壇式のベージュのマンションのフラットだ。かなり山の高い所にあるが、その背景にある積雪のある山は玄岳と言って標高が1000メートルで、現在もここを通る伊豆スカイラインは通行止めになっている。路面凍結が続いていると思われる。
 80分ほど散歩すると汗をかなりかく。傾斜が急な道が多いので帰りのほうが大変なのだ。部屋に帰って1時から温泉にゆっくりとつかってマッサージを15分2セットやるともう3時を過ぎる。ゆっくりと場帳を書くが、眠くなる。この眠くなるという時は、値動きが緩慢な特徴で、いつも眠くなる。しかたないから濃いカフェオレを入れて飲む。今日は3004と8013を拾った。いずれも2回目のなんぴんだが、下が堅くなってきている。2.4の突っ込みの安値を下に切ったものはほとんどない。5541が切ったぐらいだろう。12月に5541は1枚突っ込みを買い、1月に戻りを売った。また同じ事になると思う。慣れたモノは扱いやすいという事だ。そのなれによる感じというのが変動感覚ということで、低位株の値動きはどれもよく似ているから、値ごろが同じぐらいのものをやるほうが、感覚が近いから上達が早いと思われる。テラスに出している白梅は莟が膨らんでいるもののまだ開花しない。熱海とここでは5−6度は気温差があるから1ヶ月ぐらい遅くなるだろう。春はまだ函南に訪れないが、気配はしている。あと4−5週で暖かくなるだろう。相場もそれぐらいから動き始めるのではないかなとこじつけで感じている。(笑)

雪でも安心な準備

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大雪になったのでその対策が少し具体的に分かった。次のようなものがあると便利だ。落ち着いて快適に救助を待つことが出来るだろう、あるいは助けを求めて移動することが出来ると思う。積雪50−60センチ移動距離は30−50キロ。それぐらい移動できれば安全な文明があると仮定する。30万都市に行けばなんとかなると思うのだ。まず電気が停電するのと積雪で道が通行不能な山間部の孤立集落の状態を想定してみた。電気が止まると文明から一気に隔離された感じが心理的に強くなるのだ。暗いと怖い、怖いとパニくるというわけだ。登山で山頂付近の山小屋に吹雪で閉じ込められたと考えると同じような対策になると思われる。今回は全国で10万戸くらいの停電があったそうだ。復旧に時間がかかると思わぬ不便を感じると思う。明日は我が身という想像力も大事だろう。なってから慌てても間に合わない。便利と不便は隣り合わせであり、僕たちの便利は他人の仕事で成立していることを忘れがちで、お金で代替できないことも実に多いのが災害でよくわかる。東電はボロボロだからナニが起きても不思議は無い。実態は債務超過状態である。大規模なブラックアウトがあると救助するサイドもパニックで助けようが無いということも起こりえる。

1暖を取るには電気系がダメだから石油ストーブが一番簡単だ。電池で着火できるのものを容易しておくとお湯も沸かせる。
 灯油の買い置きが2ケースぐらいあると10日ぐらいは保ちます。低体温症にかかると4時間で心肺停止になるのは冬山と同じです。身体を
 濡らすとヤバいので衣服は防水性のあるものを必ず用意すると屋外の雪や雨でも安心です。ウールの厚手の靴下と防寒防水手袋は必須です。
2携帯カイロがあると歩行時に便利、サングラスがいる。結構雪が眩しいから。
3登山靴とアイゼンがあると雪道でも滑らず安全に歩行可能。傾斜がある坂でも楽チンだ。これに手袋、ストックがあると10キロぐらいの
 歩行は楽勝にできる。水筒に熱いコーヒーがあるとピクニック気分だ。山屋で防水、防風のゴアテックスの上着とパンツを買っておくと助かる。
4ヘッドランプがあると夜間でも歩行可能。3000円ぐらいで明るいのがあります。手が空くので安全。電池も予備が要ります。
 リュックも必須だと思う。食料は水と携帯可能食とインスタントラーメンがあると暖かいものが食える。プリムスの携帯コンロは凄い!
 ガソリンの発電機があると良いのかもしれない。HONDAのが20万ぐらいでホームセンターで売っていた。
5車は4WDのスノータイアがあると助かる。積雪が50センチもあると4wdでも車高の低いのはタイヤハウスに雪が詰まって無理。
 お金があればスノーモービルを買うのも良いと思う。いくらかな?
6情報は携帯とかモバイル端末からが良いが、電源のスペアを用意するのが重要だ。バッテリーパックが複数無いと長時間は用を足さない。
 僕はI-PHONE,I-PADで通信とデザリングをしている。車のバッテリーから充電できるようにしておくのは当然の対策。まあこんなもんで多分救助       要請の連絡が出来るから数日は生きていられるだろう。車以外は大きな費用ではないと思うので地震などにも役に立つからこんな機会に早めに準備しておくと助かりますね。あとコンパスとかあると知らない道でも迷わないと思う。地図アプリは便利ですね。

災害時や非常時に一番困るのは、自分で歩行が出来ない人だろう。車もダメならスノーモービルかヘリぐらいしか手が無いが、着地できる場所まではなんとか動かす必要がある。台車やカートが使用出来ない状態が起きるので担ぐしかないだろう。ロープとかベルトとか捕捉具があるとなんとかなるだろう。
持病などある人は薬の予備の買い置きも10日分ぐらいは必須だと思う。災害時は被災範囲が広いとトリアージュの問題で、弱い人ほど後回しが
救助側の効率である。死にそうな人より生きそうな人を先に助けるほうが全体効率が良いのは当然で、それを恨んでもしかたない。誰かが助けてくれなくてもなんとか自分で助かる方法と可能性を広げておくという以外にないかもしれない。余裕のある人は災害用車両を普段の車とは別に用意してそれに必要なものを全部入れておくとその車だけでなんとか生き残ることが可能かもしれない。ハマーなんかなら軍事用だからタフだろうと思う。毛布、タオル、水、スコップ数本、バッテリー、ガソリン予備も忘れずに。

 前回の震災の時もそうだったが、なんか僕は災害、台風、震災など非常時に気分がハイになる傾向があるようだ。小学生の時の遠足の前のような気分がして、災害規模が大きくなって被害が大きくなるとなぜかワクワクするのだ。倫理にもとるのは承知だが、するものはするのだから仕方が無い。こんな時は金など何の役にもたたないが、現金を40−50万持っていると人に頼んでなんかしてもらうとか分けてもらうとか可能かもしれない。災害時はすぐ何でも売れ切れになるので、普段の時に買っておかないとお金の意味が無いと思われる。
雪で思ったのは、降雪時の気温が1、2度違うだけで降雪量に格段の差が出るということである。僕のフラットは標高が700Mぐらいだから、近くの道路より400M上がる。普段でも2−3度は低いからその分雪が多くなったのだろう。道路では畑のように除雪していない所でも2センチぐらいの雪しか残っていなかったが、フラットの付近は60センチなのだ。たったの400Mの差で60センチの差になるというのは驚きだと思う。
昨年、長野県の山岳センターという場所で夏山登山の基礎講座というのを数回受けて登ってみたのだが、自分の体力と、荷物の重量、歩行距離などの関係がこれぐらいはokというのがわかっていると安心だった。出来ないことをすると事故る。出来る範囲でやる以外ないのだ。どこまでリスクを取るかが自分でわかっているのが一番重要だろう。片道2−3時間、標高差700メートルの歩行距離片道7キロの坂道歩行を夏に実験でしたみたが、けっこう水を飲むのがわかった。フラットから舗装路経由で山の下にある駒の湯温泉まで歩いてみた。水が500ccでは全く足りないのがわかった。買えればよいが、買えない状態ということも有り得る。停電は自動販売機はアウトである。まさか破壊して取るのもはばかられるし。

今週も20日の木曜日に降雪の可能性があるらしい。みなさんご用心。
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