再読した「土の記」、いつもの硬質の文体が嬉しい。
夜が更けるとともに風洞のなかの津波は退いてゆき、代わりに液体でも個体でもないゲルのような空間を行きつ戻りつしながら、伊佐夫は、今は人生の折々に出会った女たちの黒いスカートの脚を見続ける。女たちは薄い革靴の底を凍らせ、ひそかに骨を軋ませながらそこここに立ちつくしている。戦争で行方不明になった夫を探して旧ソヴィエトの街を歩くソフィアローレンの、黒いスカートの下の足。夫殺しを胸に秘めたシモーヌ シニョレの、同じく黒いスカートの足。昭代の葬式の当日、石かと思うほど固い表情をして漆河原に現れた陽子の喪服の足。三十年前も、その同じ農道を幾度も通ってきた平井の女房の足。つい昨日やって来たどこかの宗教団体の華奢な女の足。陽子を除けば自分はただ眺めていただけだが、どれもがこの世に生きる苦しみを男に告げにくるかのようであったのは、いったいどういうわけか。
十五時間前、漆河原から八百キロの地でマグニチュード9とも言われる大地震が起った。しかし地球は公転も自転も止めたわけではなく、今日も夜は正確に明け、新しい一日が始まる。もっとも人間のほうはさすがに昨日とはまったく同じではあり得ず、生き残った者はそれぞれ有形無形の異変を身体に刻んで、恐る恐る自分の暮らしに戻ったというのが正確だったかもしれない。
伊佐夫もまた、心身になにかしら異様な力が漲っているのを感じながら、夜明けとともに犬を連れて茶畑の巡回に出る。滋養強壮剤を飲んでいるわけでもないのに目も耳も冴え冴えとして、見慣れた杉木立の樹皮の凹凸、枝打ちを待っている若い枝の一本一本、枯れ草の下を走る地鼠の足音、伏流水の水音、ケキョ、ケキョと鳴き始めたウグイスの細い声、その声が響くあたりで薄黄色の雄花をたわわに付けた杉の枝、あるいはその枝の葉先で霜が溶け、いまにも落ちようとしている水滴の放つ光などが一つ、また一つくっきりと刻まれる。杉山の斜面を登る足の一歩一歩も、筋肉が一夜にして増強されたかのようで、ふいに自分がイノシシかクマになったかと思う。昨日までの齢相応の鈍い身体はどこへいったものか、いつもの躁とは明らかに違う、鮮やかな静けさに満たされた世界は、あれもこれも無駄なまでにうつくしく、伊佐夫はたびたび恐怖に近い興奮に駆られる。
否、恐怖というよりは、あまりに大きな呆然自失のあとに差し込んできたわずかな酸素、あるいは日の光への身体の過剰反応だったろう。そしてひと呼吸置くと、あらためて自分や世界のすべての配線が昨日とは違っていることに気づいて驚愕が走る。どれだけの数に上るのか分からない死者たちが、一夜のうちに生き残った者の世界を一気に組み替え、一本の草もただの草ではなく、土も土ではなく、空も空ではない三.五次元の位相が現れたのかもしれない。そして死者たちは、生き残った者の齢や性別や住んでいる土地に関係なく、山のような課題を課しーーーその多くは自省や新たな道の模索や軌道修正といったものだろうーーーそれを背に、生き残った者は為すすべもなく立ち尽くすか、何をすべきなのか分からずにとりあえず忙しく動き回るかだが、伊佐夫はどちらかといえば後者だったわけだ。
「土の記」高村薫 より転載
連休があるといつもと別の本が読みたくなる。この「別」のという副詞は、通常とは異なる気分というだけのことであり、まあいわば気まぐれのようなもので明確な判断基準が別段あるものでもないのだが、あるかなり長い時間的周期をもって、ある一定の傾向をもった好みの作家の文体がやけに懐かしく、食べずにはいられない好みの料理が食べたくなる個人的な欲望のサイクルに似たようなものである。僕のケースでは高村しかり、川上宏美しかり、大江、中上しかりというように、主に硬質で重層的な文体の日本の現代作家が中心であるように思う。一般的には読みづらい口語化しずらい文体とでも言おうか。構造主義が知識界を席巻した1980年代以降は、レビーストロースしかりミッシェルフーコーしかりであり、特にフーコーは生活の技術という言葉でフランスの週刊誌「ル ヌーヴェル オブセルヴァトール」にH ドレイフェスのインタビューに答えて次のように語っている。
「いま私は性よりも「自己」の技術に関わる問題に大いに関心をもっているということを言っておかねばなりません。、、、性は退屈ですよ。」
「おっしゃるとおりで、性はギリシア人には大問題ではなかったのです。たとえば、ギリシア人が食物と食養生の占める場所について何と言っているか比べてみてください。食物ーーこれはギリシアではいつでもどこでも片時も離れぬ配慮ですが、食物を特別なものと考える時期から、性現象に関心をもつ時期へと進行するきわめてゆっくりとした動きを観察してみることは、ひじょうにおもしろいと思います。キリスト教の初期には、食物のほうが性よりもはるかに重要なことだったんですね。たとえば、修道士規律において、問題は食物で、基本的に食物のことだった。つぎに、中世の間にゆっくりとした変化がみられ、それから、17世紀以降、問題は性に関わる事象です。」
「私がびっくりしているのは、ギリシアの倫理学では、人々は宗教的な諸問題のことよりも、自己の道徳的行動、自己の倫理、そして自己との関係、他人との関係のほうに気をかけていたということです。死んだら、われわれはどうなるのか?神々とはなんなのか?神々は介入してくるのか、来ないのか?というような類いの問いはあまり重要ではなかったんですね。なにしろそういう問題は倫理とは直接には関係がなかったのですから。倫理が一つの法体系と結びついていなかったわけです。たとえば、性的不品行に対する法律の数は多くなかったし、またそれほど拘束力をもつものでもなかった。ギリシア人が関心をもっていたもの、ギリシア人のテーマというのは、生き方の美学であるような倫理を作ることだったのです。」
高村の「土の記」というテキストは上下巻500ページほどの「新潮」誌上に3年ほどにわったて連載された農村稲作小説である。「生の沸点、老いの絶対零度」という帯の見出しにあるように、古希を超えた老人が、17年ものあいだ交通事故か自殺かが原因で植物人間化した妻を看取って残りの人生を稲作をしながら犬と鯰と妻の妹と暮らす「まだらボケ」の男の残り時間の物語であり、僕にとればこれからのあとの10年を予感させる残り時間への生活へのヒントという身だしなみという知恵でもあるんだろうと思う。
奈良の大宇陀の漆河原の大地主、三百年以上も続く豪農の庄屋の入婿と妻の一生を綴った一代記となっているのだが、この美女しか生まれない大地主の家系はこの100年間一人の男児も生まれない女系家族であった。だから女児は色男を金で強引に入婿として迎えるがそれでも男児は産まれない。それで4代続いて途中から他家の見知らぬ男に走るという愚行を繰り返すという喜劇が連綿と続いて行くのだ。天皇家でさえ同じ男児不足に悩むのは側室制度が崩壊したら男児による系統の継続はたったの3代で危機となる瑞穂の国の現状と映し絵のようでもある。1/2という確率のジャンケンに人は勝ち続けることは不可能なのであると思う。
72歳を過ぎた頃に、伊佐夫の記憶が一部分飛ぶ、ボケが自覚できるほどある記憶が一部飛んでしまうという現象が起きて、それ自体を忘れてしまう。MRIやCTの解析で9ミリ大の脳梗塞の後が見つかって、血栓溶解剤を投与して治療するが、まだらボケは直らないという有様だ。
妻が死んで、義弟が死んで、妻を事故に合わせた運転手も死に、次々に世代交代が進み、エリートの一人娘は家を棄て、日本を離れニューヨークでアイルランド人と再婚する。農家を継ぐ人は誰もいなくなり三百年続いた豪農の家系はいままさに途絶えようとしている。稲作という文化がグローバリズムに席巻される様を田舎の農家の毎日に移しとっているのである。
高村は風土を書かせると実に上手い!「晴子情歌」で青森県の鯵ヶ沢のハタハタ漁の記載があるのだが、あまりの見事さに僕は2回も当地にドライブで見学に行った。このような土地で晴子は子を産んだのか!
「奈良の北東の空に浮かぶ額井岳や戒場山の山塊を見たい」と思わせる記述ということである。古事記と日本書紀の時代から連綿と続く稲作の歴史と生活が日本文化の中心だったということを都市生活者の僕たち日本人の多くは記憶と行動としては忘れてしまっただろうが、味覚の遺伝子は異なる。米飯の味に対する僕らの味覚は残っている!と思うのだ。性よりも食が大事というフーコーやギリシア人の指摘を待つまでもないことだが、続いてきたのは米を食うという文化である。
そんなことを思いながら、今夜は赤飯を2合炊いた。餅米100%の炊きおこわはストーブという鍋で60分ほどで出来る。大納言という小豆が大きくて嬉しい。